アストル・ピアソラがこの世を去って22年になる。その後のタンゴの世界にはさまざまな変化が訪れた。ギドン・クレーメルのピアソラ・アルバムをきっかけにクラシックやジャズで起こったピアソラ・ブーム。今世紀に入ってからのエレクトロニック・タンゴや、タンゴのアフロ・ルーツを探る動き。伝統的なタンゴも、ダンスの劇場化と連動しながら、新しいファンを獲得している。

 しかしタンゴの行方に関心を持つ人たちから一貫して注目されてきたのはピアニストのパブロ・シーグレルだ。長年行動を共にしてきたピアソラ五重奏団が活動を停止した後、彼はソロ、デュオ、トリオ、カルテット、クインテット、室内楽、オーケストラ…と多様な編成で現代タンゴのあり方を探してきた。近作はオランダのメトロポール・オーケストラとの『アムステルダム・ミーツ・ニュー・タンゴ』で、これは昨秋のラテン・グラミー2013にノミネートされた。世界各地から引く手あまたで、近年は日本にも自身のグループやオーケストラとのコンサートの他、ワークショップなどでしばしば訪れている。

PABLO ZIEGLER Amsterdam Meets New Tango Zoho(2013)

「アストル・ピアソラと会う前はブエノスアイレスでジャズやミュージカルや映画やテレビの音楽をやっていた。そんなある日、彼の五重奏団にいた知り合いのギタリスト、オスカル・ロペス・ルイスから電話があった。アストルのグループに加わらないかと。タンゴなんか弾いたことがないよと言ったら、だからこそピアソラは君に来てほしいと言ってるってね。当時のブエノスアイレスのジャズ・シーンではトム・ジョビンのボサノヴァはよくても、ピアソラの曲を演奏しようと言うと、いい顔をされなかったんだよ。で、アストルに会ってみると、こう言われた。君の即興が好きなんだ。ただしわれわれの言語で即興してくれ、タンゴの言語とフレイジングで即興してくれ、とね。以来こうしてタンゴを演奏し続けているわけさ(笑)」

 クラシック・ピアニストをめざして音楽学校で猛練習していたパブロ少年を脇道に導いた天使は、近所に住むジャズマンだった。デューク・エリントンの音楽を聞かされたパブロはジャズに興味を持ち、時代を縦断してジャズを吸収し、やがて自分のグループを率いるようになった。そんなパブロにとって“タンゴの言語による即興”とは、ジャズとどんなふうにちがっていたのだろう。

「ジャズとはちがうことをやろうとした。抽象的な言い方になるけど、メロディやムードを大事にしながらメロディやムードを再創造するように即興していくんだ。アストルは、わたしが入る前は、ピアノもすべて譜面に書いていた。タンゴの要素を持った複雑な室内楽のようだった。わたしが加わってから作った曲では、自由に即興できるスペースを残してアレンジしてくれた。だからわたしは自分のカデンツァを加えて弾いたりしていた。彼はもっと作曲しろと言ってくれたよ。君の音楽をやれと」