舞台『珈琲時光』の繊細さについて
はじめ鳴海康平さんから「来年の作品は『珈琲時光』」と聞いたときには、正直不安だった。台湾を代表する映画監督侯孝賢(ホウ・シャオシェン)が小津安二郎へのオマージュとして撮った『珈琲時光』は淡々としていて、なかなか盛り上げようのない作品だったからだ。そもそもタイトルからして、要は「コーヒーを飲む時間」のことだと思うと、ドラマティックな展開がなかなか想像しにくい。でも実際に見てみると、すごく納得のいく選択に感じた。これほどに「繊細」な国際共同の劇作品は、あまり見ていない。
東京を経由しないからこそできること、東京では見えにくくなっていることを、東京で伝えること。東京芸術劇場での舞台『珈琲時光』上演は、この東京芸術祭の使命の一つを果たすことができるものになったと思う。
三重を拠点にする第七劇場と台北を拠点にするShakespeare's Wild Sisters Groupの協働作業はこれで三年目になる。一年目にはドストエフスキー、二年目にはジョージ・オーウェルの作品を上演していた。三年目にして、ようやく「自分たちの話」ができるようになった、ということなのだろう。西洋を経由してしか「自分たちの話」ができない、というのは、ちょっと『珈琲時光』の物語にも似ている。
現代の日本と台湾のあいだで生まれる個人レベルでの関係を描く侯孝賢監督の『珈琲時光』では、日本植民地時代の台湾出身の作曲家江文也と内地出身の妻の話が語られる。恋人同士だった頃、二人で喫茶店に行き、一杯の珈琲にたくさんの砂糖を入れて、何時間もおしゃべりをした話、等々。江文也は内地で電気工学と西洋音楽を学んだために、内地を活動の拠点として、内地の女性と生活をともにすることになる。いわば西洋近代の文化が、「台湾人」と「日本人」(という表現は当時においては正確ではないが、 回顧的にはこのように語られることになる)のあいだの中立な場として、二人のあいだを媒介することになる。
だがそこには、戦争やオリンピックを通じて、つねに「国」という不思議な枠組が影を落としている。舞台『珈琲時光』で「軍艦マーチ」が聞こえるなか、敬礼する「日本人」と「台湾人」。この「私たち」が、ともに同じ戦争を、一つの「国」として戦ったということが、「戦争」という言葉を全く使わずに語られる。どう語るべきなのか分からないこと、語るべき言葉が見つからないことを、身体を通じて、繊細に、重層的に語ること。王嘉明と鳴海康平、そして劇団員やスタッフたちが長い時間をかけて関係を築いていったからこそできた作品だろう。舞台美術、照明、音響、衣裳、そして資料づくりなどのスタッフワークも、繊細さが際立つ作業になっていて、時間をかけて丹念にこの作品に取り組んできたことがうかがわれる。
侯孝賢作品にインスピレーションを受けた今回の舞台『珈琲時光』では、江文也らしき人や小津安二郎らしき人、そして東京オリンピックの時代の人、現代の人、数十年後の人が同じアパートに住んでいる。彼らが対話を交わすのは、受話器から聞こえる声や、記憶のなかの人ばかりで、実際に出会う人とはほとんど口を交わすことがない。台湾ニューシネマで繰り返し描かれてきた孤独というテーマがかなり極端な形で提示されているが、これは今の日本と台湾が抱えている現実でもある。「遠くにいてもつながれる」ようになることで、「近くにいてもつながれない」ようにもなってしまった社会。これは産業革命と植民地主義を通じて「グローバル化」された今日の世界全体が抱えている問題の縮図に他ならない。
今回上演された舞台『珈琲時光』には三重、金沢、静岡、台北を拠点とする俳優たちが参加している。「首都」を経由しないからこそ、「国と国」の関係でないからこそ築くことができる関係。ともに珈琲を飲むこと。時には言葉も交わさずに、同じ空間で、同じ身体をもつことを感じながら。そこで醸成された親密で繊細な関係は、今日の世界において舞台芸術が果たすべき本質的な役割を実感させてくれるものでもあった。
INFORMATION
三重県文化会館×金沢21世紀美術館
第七劇場×Shakespeare’s Wild Sisters Group
日台国際共同プロジェクト Notes Exchange vol.3
舞台『珈琲時光』
三重公演
○2月10日(日) 14:00 / 19:00開演
○2月11日(月祝)14:00開演
会場:三重県文化会館 小ホール
www.center-mie.or.jp/bunka/event/detail/21060
金沢公演
○2月16日(土) 14:00 / 19:00開演
○2月17日(日) 14:00開演
会場:金沢21世紀美術館 シアター21
www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=25&d=1846