(左から)坂本龍一、川崎弘二

武満徹と坂本龍一。日本を代表する2人の作曲家は互いの存在をどのように意識しあっていたのだろうか。

2018年7月にアルテスパブリッシングから刊行された川崎弘二著「武満徹の電子音楽」には、武満による坂本龍一への言葉がいくつか綴られている。それはたとえば坂本の才能を高く評価したうえでの批判や、その後作られた『戦場のメリークリスマス』(83年)への肯定的な批評だ。

一方の坂本も「音楽は自由にする」(2009年、新潮社)やインタヴューなどで折に触れて武満徹について語っている。そのなかでも大学生時代の坂本が、武満を批判するビラを撒いていたというエピソードはよく知られている。

今回のインタヴューでは川崎弘二が聞き手となり、映画音楽、ミュージック・コンクレートにいたる武満徹作品への評価や、自身への影響など〈坂本龍一の武満徹〉をたっぷりと語っていただいた。貴重な証言も含まれる今回のインタヴューは多くの音楽ファンにとって必読のものと言えるだろう。 *沼倉康介(アルテスパブリッシング)

川崎弘二 『武満徹の電子音楽』 アルテスパブリッシング(2018)

 

62年の高橋悠治のコンサート

――坂本さんと現代音楽の出会いとして、小学校4、5年生のころに草月会館ホールで聴かれた高橋悠治氏のコンサートがあったと発言されています。

「高橋悠治さんと一柳慧さんの2人がいたというのは間違いないんですよね。川崎さんはいろんなインタヴューをお調べになっていて、過去にはジョン・ケージの曲を演奏していたというようないい加減なこともぼくは言っていましたけれども、それはあくまで印象です。ピアノは2台並んでいたような気がするんです。1台は草月会館にあった赤いベーゼンドルファー。そのコンサートのメインは高橋悠治さんだったように思います」

(60年代に草月会館ホールにて開催された高橋悠治によるコンサートのリストを見せる。62年2月23日に開催され、一柳も演奏に参加した〈高橋悠治ピアノ・リサイタル2 Piano Distance〉を指す)

「これっぽいな」

――そうだとすると、武満徹「ピアニストのためのコロナ」、高橋悠治「ピアノのためのエクスタシス」、湯浅譲二「ピアノのためのプロジェクション・エセンプラスティク」、イアニス・クセナキス「ヘルマ」といった作品の世界初演を聴いていたということになります。

「そういうことになりますね。そのときのコンサートでは目覚まし時計が鳴ったりだとか、野球ボールをピアノの弦の部分に投げ入れたりだとかしていた記憶があるんだけれども、その可能性がある曲は演奏されていますか?」

――武満氏の「コロナ」や湯浅氏の「プロジェクション・エセンプラスティク」は完全な図形楽譜の作品です。

「ああ、図形楽譜でそういうことをやったと。普通のピアノの内部奏法をする作品だと、野球ボールを投げ入れたり、目覚まし時計をジリジリ鳴らしたりするなんてことはないですよね。しかし、当時の雰囲気としては過激にやるっていうことで、あまり洗練された内部奏法ではなく、ちょっとダダ的だったのかもしれない。そのときはまとまった曲を演奏しているという印象は受けませんでした。ぼくはてっきり悠治さんの作品だと思って観ていたんだけれども、舞台の上でむちゃくちゃなことをやっていて、ひと繋がりのなにかを演奏し続けていたという印象しかないな」

 

武満徹のレコード

――中学生から高校生にかけて、現代音楽のレコードをひととおり聴いていったと発言されています。

(60年代に発売された武満徹のレコードを見せる。リストはインタヴューの最後に掲載

「これとこれとこれは持ってない。あとはみんな持ってた。よく聴いてた。あと、悠治さんの『ローザスII』の入ったアルバム(70年作『ピアノの変換』)もよく聴いてたなあ。高校生になったらこういうレコードを聴いていましたね。だけど、そのころのぼくはどっちかというと武満さんより三善晃さんのファンで、厳格なコンセルヴァトワールのメチエを学び、それを習得したうえで不協和音を書いているのがかっこいいと思っていた。そして、武満さんはそういうメチエの積み重ねがない人だというふうにも見ていた。

だからこそ武満さんはすばらしいんだっていうことも分かっていました。しかし、自分は小学校から作曲を学ぶような環境にたまたま育ってしまった。アカデミックなメチエを積み上げていく世界のおもしろさっていうのもありますからね。コンセルヴァトワールとかですと、一生ハーモニーしか教えない先生だっているわけじゃないですか。50年代に三善さんがパリに留学したときに習った、レイモン・ガロワ=モンブランのハーモニーなんていうのは、それはそれでおそろしく洗練された世界ですね。

そういう音楽もすばらしいなと思っていたし、アカデミックなところから外れている湯浅譲二さんや武満さんや悠治さんのような作曲家もすばらしいと思っていた。そして、同時にそれらの父的なジョン・ケージの音楽もおもしろいと思っていました。とにかくそのころのぼくの関心は全方位だったので、自分がどこに向かったらいいのかはなかなか決めることができなかったです」

 

クロス・トーク

――高校に進学されると、アメリカ文化センターの主催、秋山邦晴、湯浅譲二、ロジャー・レイノルズらのプロデュースにより67年11月にスタートした〈クロス・トーク〉という演奏会のシリーズを観ておられたようです。

「高校に入ってからは『美術手帖』のような雑誌を読むようになり、〈クロス・トーク〉といった現代音楽のコンサートにも行き始めた。どこかのビルの狭い部屋の中で開催されていたというのもよく憶えています。でも、一緒に行ってくれるような友達は高校にいなかったので、一人で行っていました。そこまで現代美術や現代音楽に関心のある同級生はいなかったんですよ、残念なことに」

――69年2月には代々木の国立競技場において、3夜にわたる〈クロス・トーク/インターメディア〉という大がかりなイヴェントが開催されています。

「憶えていますよ、あれは。代々木の体育館で開催されたこのイヴェントをいちばん鮮明に憶えています。ライティングも凝っていておもしろかったんですよ。そのころはロックのコンサートも観ていましたから、そうしたコンサートとの親近性を感じていましたし、シアトリカルなイヴェントでもあった。60年代末ですからアングラ演劇も先進的なことをやっていたわけで、状況劇場とか黒テントのような演劇も観にいっていたんです。そうしたシアトリカルなものにも関心があったので、そういう意味での刺激も受けたような気がします。

強烈に印象に残っているのは、大きな体育館の真ん中に人間が立っているパフォーマンスでの光の演出です。体育館の左右にライトが設置してあって、一方から強い光で人間を照らす。ライトがバンッと切り替わって、反対側からの光で人間が照らされる。人間は動かないでただ立っているだけなのに、一瞬にして移動しているように見えるんですよ。目の錯覚ですけれども、ライティングというのはおもしろいことができるものだと思って、いまだに強く憶えていますね。

テリー・ライリーの映像を見た記憶もありますし(71年6月に開催された〈クロス・トーク6〉)、できたてほやほやのアメリカの実験音楽をいちばん強い関心を持って聴いていた感じですね。そうした音楽と比べると当時の武満さんや三善さんは既に古典的な感じで、特に三善さんのようなスタイルは保守的に見えるようになってきた。ジョン・ケージですらその当時はそんなにたくさん聴かれていなかったのに、ケージの息子といってもいいような次の世代の音楽がどんどん紹介されるようになってきたので、とてもわくわくしていました」

 

ノヴェンバー・ステップス

――坂本さんが高校1年生だった67年11月9日に、小澤征爾の指揮、鶴田錦史の琵琶、横山勝也の尺八、ニューヨーク・フィルハーモニックにより、武満氏の「ノヴェンバー・ステップス」がNYにて初演されています。

「雑誌の『音楽芸術』は、目を皿のようにして読んでいましたし、『美術手帖』のような美術系の雑誌も読んでいましたから、たぶん情報としては知っていたと思います。初めて『ノヴェンバー・ステップス』を聴いたのはいつだったか記憶にないけれども、そのころはNHK-FMの『現代の音楽』が重要な情報源で、レコードが発売されるよりも早く各地のライヴの録音が放送されることもあった。解説を担当していた柴田南雄さんのトークは華麗なもので、こうした番組で聴いていた可能性はありますね」

――大学生になった坂本さんは、武満氏の「ノヴェンバー・ステップス」のような作品はジャパネスクを安易に取り入れていると批判されていたとのことですが、高校生のころはそうした感情はお持ちでなかったのでしょうか。

「そうですね。あまりそこには注意を払っていなかったような気がします。自分の問題としてそういった問題と向かい合うようになったときに、先行事例として考えるようになったということかもしれません。ただ、そのタイムラグは2、3年くらいのことだと思います」

――坂本さんは大学生のころに武満氏を批判するビラを撒かれたと発言されています。

「武満さんを批判するビラを書いたのは正確には憶えていないんですけれども、72年くらいかしら。最初は東京文化会館の小ホールにビラを撒きに行ったんです。でも、コンサート自体は聴いていないんですよ。入り口でビラを撒いていただけで。そして、2回目にビラを撒きに行ったのは、野外で開催された秋山邦晴さんの企画によるマルチメディア的なイヴェントでした。多摩のほうで開催されたような気がするんですけどね。そのイヴェントではステージに自動車が何台か出てきて、ライトを点けたりクラクションを鳴らしたりするノイジーなパフォーマンスをしていたことを憶えています。

そのときに初めて武満さんと会った。武満さんはビラを持って向こうからやって来て、〈これを書いたのは君かね〉と言われて立ち話することになったんです。武満さんはずいぶん長く、親切に話に付き合ってくれた。面と向かっちゃうとそんなに批判もできないんだけれども、ぼくは緊張しながら言うべきことは言わなきゃならないと自分を奮い立たせて、ビラに書いてあるようなことを話したと思います。

いまになって考えるとずいぶん的外れなことを批判していたんじゃないかと思いますけれども、そのときはよく分かっていなくて、武満さんは保守的だとかそういうことを言ったんじゃないかな。最後の方になって武満さんが、〈ぼくは武満教の教祖であり、唯一の信者なんだよ〉と言ったのをとても強く憶えています。でも、武満さんからは全体的にのらりくらりと躱されてしまっていたような気がします」

※坂本が矢吹誠と2人で作ったビラを2回目に撒いたのは、74年8月6日から7日にかけて軽井沢ミュージックセンターにて開催された〈New Music Media〉というフェスティヴァル

――坂本さんによる武満批判には〈邦楽器によるジャパネスクを安易に取り入れたこと〉〈大阪万博に芸術家が大量に参加したこと〉〈武満氏の成功によって邦楽器による作曲を追随する作曲家が多く現れたこと〉といったさまざまな要因も背後にあったのではないかと推測しています。

「そのころは邦楽器による演奏集団も結成されていましたが、音楽的には非常に貧困で、つまらないものもあったんですね。視点を変えてみればずっと邦楽でやってきた演奏家たちが、伝統音楽だけをやるのではなく現代の音楽も作っていこうじゃないかという気概に溢れていたとは思うんですけれども、音楽の内容が伴っていないというか、残念ながらそこにはいい作曲家がいなかったということになるんでしょうか。

60年代から70年代ごろというのは、ぼくだけでなく日本社会全体に少しでも戦前を思わせるようなものは反動だと決めつける空気がありました。風潮というより、とくに左翼でなくても当時の国民はそういうマインドになっていたんです。当時の日本社会では、その拒否反応というのはまだまだ強かったと思うんですよ。ですから武満さんにとって、邦楽器を使うということはそうとうリスキーな行動だったんじゃないかな。でも、いまから思えば武満さんには、そういうつまらないステレオティピカルな観念をぶち壊そうという気持ちもあったと思います。邦楽器を使ったから保守的だなんていう、そんな表層的な批判に屈せず、常に楽器の響きの豊かさや音楽の新しい可能性について考えていらっしゃった方だから」

分散・境界・砂

――75年に竹田賢一氏らと設立された〈環螺旋体〉というグループについて、坂本さんは〈反武満的な、メディア論的な運動体〉であったと発言されています。そして、当時の現代音楽の状況を、民族性と切り離されたエリート性・階級性の強いものとして批判しています。

「そうねえ。毛沢東主義みたいなことにすごくはまっていて、芸術なんていう自立した美の領域なんてものは許さん、芸術なんていうものは人民に奉仕してこそ存在意義がある、というような非常に過激なことを言っていました。まあ、当時のゴダールなんかもそうで、彼はそれが原因となってトリュフォーとは訣別するんだけれども、当時の過激な若者はそういう考えを持っていたんですよ(笑)。

悠治さんも70年代には毛沢東主義にはまっていたし。悠治さんの自宅に竹田賢一さんと2人で伺って、長くお話ししたこともあったんです。だからそういう思想に対するアンチとして、武満さんという存在が代名詞になっていたんでしょうね。武満さんを深く研究して批判したというのではなく、武満さんといえば、美の小宇宙、自立した美の代名詞のように考えていたんじゃないかな。だから、芸術とか嫌だよね、みたいなノリでそんなことを言っていたんだと思います」

――76年3月1日に東邦生命ホールにて開催された〈高橋アキの夕べ 6人の若い作曲家のピアノへの捧げもの〉では、「分散・境界・砂」というピアノ曲が初演されています。初演の直後に武満氏と新宿のバーでお会いされた際、このピアノ曲に対して肯定的な評価を受けられたそうですが、この褒め言葉は素直に坂本さんに届いたものと思われます。

「そうですね。〈ビラの君だね、君はいい耳してるね〉なんて言われて、うれしかったりして(笑)。原田力男(いさお)さんというとても志の高い調律師の方がいて、彼は調律の仕事をしながらも、日本の音楽の状況を憂いていたんですね。若い自立した作家を育てなければいけないと考えていたようです。そこで原田さんは、個人のお金で、ぼくらのような学生に声をかけて、高橋アキさんにそれらの作品を初演してもらうコンサートを企画して、そこに武満さんも聴きに来てくださったというわけです」

坂本龍一 『Year Book 1971-1979』 commmons(2016)

――しかし、77年に発行された「音楽全書」という雑誌への寄稿では、〈武満の感性ってさ、ユーミンとほとんど同じものを持ってる〉と発言されています。

「それはね、新宿のバーでお目にかかったとき、武満さんがマイクを持ってユーミンを歌っていたんですよ(笑)。こっちもびっくりして。武満さんのポップスじみた曲ってあるじゃないですか。ぼくはあれがあまり好きじゃないんです。ユーミンを歌ったりする人なんだなって、ショックとまではいかないけれども、なるほどなと思うところがあったんです。しかし、ぼくは三善晃さんのことはほとんど書いてもいないし発言にも出てこないのに、なにかといえば武満、武満と言っているのはよっぽど気になっていたんですね」

――79年9月にYMOのセカンド・アルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』がリリースされています。このアルバムに収録された“キャスタリア”という曲は武満氏の音楽が下敷きになっていると発言されています。

「それは厳密なものじゃなく、雰囲気くらいのことです。音楽的には武満さんなんかよりもはるかに保守的な曲です。ぼくはとくに『地平線のドーリア』が好きだったんですよ。武満さんの『弦楽のためのレクイエム』のような、もやっとしていてあまり音の動きが明確じゃない曲を作りたかったんでしょうね」

YMO 『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』 ソニー(1979)

――坂本さんによる武満氏への批判を辿ると、〈邦楽器によるジャパネスクを安易に取り入れたこと〉から、〈民族性と切り離されたエリート性・階級性の強い音楽を象徴した作曲家であること〉へと移行し、そして〈時代の流行に乗り、ロマンティックな表現へと向かっていること〉へと推移しているように感じられます。

「ちゃんと動向をフォローしているんですね(笑)。ということは武満さんの作品をちゃんと聴いていたっていうことかなあ。武満さんはどこまで行っても、個人の美意識の世界でしょ。それは武満さんという作曲家にとってどうしようもないことだけれども、悠治さんはもともとがコンセプチュアルな作曲家でしたから、そのころは対照的な存在に見えていた。武満さんを批判したってどうしようもないんだけれども、19世紀的な芸術のありかたはもうやっていてもしょうがないっていう気持ちが強かったんでしょうね」

 

ロンドンでの再会

――83年5月に映画「戦場のメリークリスマス」が公開され、武満氏は坂本さんによるこの映画の音楽を非常に高く評価されています。武満氏がそうした発言をされているのをご存知でしたでしょうか。

「いや、知らなかったですね。武満さんが評価してくださっているというのは秋山邦晴さんから直接聞きました。それもうれしかったですね(笑)」

坂本龍一 『戦場のメリークリスマス 30th anniversary edition』 ミディ(2013)

――91年10月10日から13日にかけて、ロンドンのバービカン・センターでは〈ザ・タケミツ・シグネチュア〉という特集が組まれています。この特集では武満氏もロンドンに招かれ、坂本さんとデヴィッド・シルヴィアンとで昼食をご一緒される機会があったようです。76年に新宿のバーでお会いしてからロンドンで再会されるまで、武満氏とお話しされる機会はございましたか。

「なかったような気がしますね。ロンドンで会ったときは、その間にデヴィッド・シルヴィアンと武満さんが友達になっていたというのが不思議でね。どうやって知り合ったのかいまだに分からないんですけれども、シルヴィアンから〈明日、武満さんと会うけど来ない?〉なんて電話がかかってきてびっくりした。まったく領域の違う2人が友達になっているという。ぼくが紹介するんならまだしも、シルヴィアンに誘われるっていうのは不思議な感じでした。

ぼくはほいほいと行ってですね、武満さんの娘さんもいて、ずいぶん長く話しました。3時間くらいかな。ぼくの大好きだったロンドンのブレイクス・ホテルの地下にエスニックのレストランがありまして、そこでお昼を食べ始めたんだけどランチ営業が終わっちゃって、残っているのはぼくらのテーブルだけになっても話が盛り上がっていた。わだかまりのようなものは2人ともすっかりなかったような気がします。そこで小津安二郎の映画の話をしたのはよく憶えています」

――3人で創作をしようと約束されたと発言されています。

「誘われました。小津の映画の音楽があまりにも凡庸だから(笑)、2人で作り直しをしようって。小津の映像はバウハウスのモホリ=ナジに匹敵するようなすばらしいものなのに、音楽はそれにまったく釣り合っていないじゃないか、おかしい、それなら2人で作り直そう、って盛り上がったわけだけれども、シルヴィアンもいるわけなので、世代やいろいろな垣根を超えて3人でもなにかをやろうということでも盛り上がったわけですね。それからすぐに武満さんの側からこれをやらないかということで連絡があったのが、あまり好きではない武満さんのポップ・ソングの仕事だったんですよ。

武満さんは石川セリさんと仲がよかったですよね。セリさんが歌っている武満さんのポップ・ソングのアルバムがあるでしょ。あのアルバムでぼくにもアレンジをしてほしいという依頼だったんです。ぼくが忙しかったこともあり、武満さんとコラボレーションするならポップ・ソングじゃないだろうという気持ちもあり、けっきょくはポピュラー・ミュージックの人に見られているのか、というがっかりした気持ちもあり、そして、実験的なことをシルヴィアンも入れてやりたいという強い気持ちもあった。だからうだうだ言っていて、結局やんなかったのね。

そうしたら武満さんが亡くなったあとにセリさんから連絡があって、〈あのとき武満さんは待ってたわよ〉と言われてしまった。やればよかったとそれはショックでした。セリさんの仕事は逃げちゃったけれども、絶対になにかやれるはずだと思っていたので、その後入院されて亡くなったというのを聞いてほんとうに残念だった」

石川セリ 『翼〜武満徹ポップ・ソングス』 日本コロムビア(1995)

 

「LIFE」以降

――武満氏に対する評価は、99年9月に初演されたオペラ「LIFE」を機に変わっていったものと思われます。

「『LIFE』という作品は戦争と革命の世紀である20世紀の歴史というものを、いわばオペラのリブレットにして、いくつかのアスペクトで切っていくというものだったんですね。音楽的には20世紀のいろいろなヨーロッパ音楽のスタイルというものを、模倣的に後追いしていくというようなかたちになっている。ちょうど世紀をまたぐあたりのドビュッシーからミニマリズムのあたりまでを追っていくなかで、20世紀の音楽というものを聴きなおしてみたんですね。

長くファンであったピエール・ブーレーズですとか、メシアンとか、ヴェーベルンとか、ケージとかをまとめて聴いたんだけれども、やっぱり武満さんの音楽の強さっていうものを改めて認識させられたんです。100年後にブーレーズの音楽は誰も聴いていないかもしれないけれども、武満徹の音楽は100年後も聴かれているだろうと思いました。ルチアーノ・ベリオなんていう作曲家はすばらしい音楽を書く力を持っている人で、ぼくはとても尊敬しているんです。でも、いまでさえヨーロッパですらだんだん演奏されなくなってきている。残酷なものですよね。

しかし、武満さんの作品はますます再演が繰り返されるようになっているという話を、昨日、藤倉大くんとしていたところなんですけれども、それだけ強い魅力が武満さんの音楽にあると思います。大くんの意見では、ブーレーズは自分で自分の作品を指揮して録音しちゃったから、もうあれ以上の演奏はできない、誰も再演したくならないよね(笑)ってことなんですけれども、確かにそういう面はあるかもしれないですね」

――武満氏が59年に手がけた映画「ホゼー・トレス」の音楽を高く評価されています。

「『ホゼー・トレス』の場合は、映画音楽としてというよりも音楽として佳作であるということで、とても好きな作品です。日本人でこんなに美しい動きによるハーモニーの音楽を作れる人間がいたんだということに、いま聴いてもびっくりさせられるんですよね。武満さんご本人がいちばんそう思っていたかもしれないけれども、なんで俺はフランスに生まれなかったんだ、極東で日本語を喋っている俺は、何者なんだと感じていたんじゃないかと想像させられてしまう。

映画音楽として考えますと、高く評価できるのは実験的な『怪談』(65年)ですかね。『切腹』(62年)っていう映画もあるでしょ。ぼくは何年か前に『切腹』をリメイクした『一命』(2011年)っていう映画の音楽を担当したんです。武満御大がやられた『切腹』のリメイクをぼくがやることになったので、心して見直してみましたけれども、映画音楽としては正直言って古い感じがしてしまいました。やっぱり現代音楽ふうというか。

でも、数年違いで作られた『怪談』はいまでも新しいというか、古くはなっていない。その音楽は通常の映画音楽という範疇に入らないような音楽で、いまでもとてもおもしろいですね。『怪談』には胡弓だけで、数分間ほど一音だけが続く場面があるんです(第1話「黒髪」のラストシーン)。一音しかないのにものすごい強さなんですよね。いまでも自分でなにかを作るときには常にそのことを考えます。

あれは究極だと思うんですよ。回転を落とした琵琶のビィーンっていう音。あれも一音じゃないですか。一発の音だけで映画音楽としてものすごい効果を生み出している。そのように極端に切り詰められたなかで、強い表現力を出すというのは映画の音楽を書くときの課題だといつも思っています。ただ、並の映画であれをやると音楽のほうが強すぎる。ああいう音を入れられるような映画なんてそうざらにあるものじゃないと思います」

VARIOUS ARTISTS 『commmons: schola vol. 10 Ryuichi Sakamoto Selections: Film Music』 commmons(2012)

武満徹 『[Vol. 3]武満徹の音楽』 ミュージックグリッド(2017)

 

武満徹の電子音楽

――武満氏の作曲された広義の〈電子音楽〉をどのように評価しておられますか。

「例えば『ヴォーカリズムA・I』なんていう作品は聴いているとむずむずしちゃってね、実はあんまり好きじゃないんですよ(笑)。ただ、川崎さんの書いた『武満徹の電子音楽』を読んで、〈愛〉という言葉を使ったのはピエール・ルヴェルディという詩人からの影響が関係しているのかもしれないことが分かったし、ミュージック・コンクレートを聴いてもいなかった若いころから、具体音を使った音楽を独自に構想していたことも知りました。

日本最初のミュージック・コンクレートを作った黛敏郎さんですら、武満徹が日本で唯一のミュージック・コンクレートの作曲家だったと認めていた、なんてことも書かれている。ですから、武満さんの電子音楽はたいへん重要だったんだなと思うし、武満さんの尺八やガムランに対する興味も根っこは同じなんだなと思う。また西洋の楽器を具体音として使いたいという欲求があんなに若いときからあったということも驚きですね。

そう思って聴き直すとなるほどなとは思うんだけれども、いまの耳で聴くとリバーブやディレイなどが当時の音ですから、かなり古臭く感じてしまうんだよね。いま作ったら違うと思うんだけど。ただ、ぼくはミュージック・コンクレートのコンセプト自体はすばらしいと思うのね。そのコンセプトを思いついたピエール・シェフェールはすごいと思うけれども、シェフェールの作品というのはおもしろくない(笑)。

当時、武満さんが黛さんによる初のミュージック・コンクレート『X・Y・Z』を聴いて、具体音楽だけれども音楽的には保守的じゃないか、以前の音楽と同じじゃないかと感じたという意味のことも書いてありましたけれども、黛さんという人は昔の音楽語法を守って具体音楽を手がけたわけですよね。武満さんがそれを的確に批判したというのはさすがだと思うし、表層的に使われている具体音だけではなく、その背後にある音楽性をきちんと聴き取っているというのもさすがだと思いますね。

いままでのぼくは面倒だから鍵盤を使って作曲していた。ものすごく遅いんだけれども、ここに来て12平均律などの呪縛からやっと解かれ出したんです。そういう音楽がほとほと嫌になっちゃってね。家に2台あるピアノも1台は調律するのを止めて、どんどん狂っていけばいいと思っているんですよ。塩とか塗って錆びさせたらどうなるんだろうなんて考える。弦の間にコーヒー豆を落としてみるとか、最近はそんなことばかりやっているんです。内部奏法もケージのような繊細なものではなく、石をバーンと転がしてみたりとかね。

だから、10歳のときに草月会館で観たような、ああいうところに戻りつつある。あと20年くらいは生かしてもらって、武満さんを追いかけないといけない(笑)。あらゆる音楽が平均律を土台にしていて、売られているシンセサイザーだってもちろんそういうものですよね。使っている音楽のソフトウェアにしても拍節構造ありきですから、なかなかそこから抜け出すのは難しい。武満さんもそういうことを目指していたと思いますが、ぼくにとって絵を描くように音楽を作るような手段がやっと整いつつある。だから、いまこそ武満さんとコラボレーションできたらおもしろいと思うんですよね」


10代の坂本龍一が愛聴していた武満徹作品の録音と収録CD

60年代に発売された武満徹のレコードのうち、坂本龍一が所持していたのは以下の1~5の録音。

1.『日本現代音楽シリーズ』(64年)

渡邉暁雄 『三善晃:交響三章、武満徹:樹の曲』 日本コロムビア(1995)

「樹の曲」収録 ※現在廃盤

 

2.『現代日本の音楽』(65年)

高橋悠治, 岩城宏之 『高橋悠治:オルフィカ、石井眞木:「響層」、武満徹:テクスチュアズ』 日本コロムビア(2006)

 「テクスチュアズ」収録 ※現在廃盤

 

3.『オーケストラル・スペース Volume 1』(66年)

小澤征爾 『オーケストラル・スペース1966(I)』 TOWER RECORDS VICTOR HERITAGE COLLECTION(2006)

 「独奏ピアノとオーケストラ群のための孤」収録

 

4.『オーケストラル・スペース ’68』(68年)

一柳慧 『オーケストラル・スペース1968』 TOWER RECORDS VICTOR HERITAGE COLLECTION(2006)

「二つのバンドネオンと磁気テープのためのクロス・トーク」収録

 

5.『小沢=武満 ’69』(69年)

VARIOUS ARTISTS 『Masterworks Of The 20th Century』 Sony Classical(2015)

「弦楽のためのレクイエム」「地平線のドーリア」「グリーン」「アステリズム」収録

 

6.「弦楽のためのレクイエム」(61年)

岩城宏之, NHK交響楽団 『日本の現代音楽の古典』 KING RECORDS X TOWER RECORDS(2011)

 

7.『武満徹の音楽』(66年)

武満徹 『[Vol. 1]武満徹の音楽』 ミュージックグリッド(2017)

武満徹 『[Vol. 2]武満徹の音楽』 ミュージックグリッド(2017)

武満徹 『[Vol. 3]武満徹の音楽』 ミュージックグリッド(2017)

武満徹 『[Vol. 4]武満徹の音楽』 ミュージックグリッド(2017)

 

8.「ノヴェンバー・ステップス」(68年)

小澤征爾 『武満徹:ノヴェンバー・ステップス ほか』 RCA Red Seal(2016)