同時代のインディー・ロック・シーンに絶大な影響を与え、90年代へ至る道を作りながらも解散……その不在時にもカリスマとして君臨してきたピクシーズ。復活後は安定して活動を推移している彼らの功績を、ニュー・アルバム『Beneath The Eyrie』のリリースを機に振り返ってみよう!

 まさかのリユニオンで世界中のファンを狂喜させたヴィヴィアン・ガールズがタグ付けされる〈ノイズ・ポップ〉というジャンルがすっかり定着したいまとなっては、どの時代の作品でもいい、ピクシーズを聴いてもノイジーなギター・サウンドと、ポップで、場合によってはドリーミーなメロディーのアンビヴァレンスはもはや想定内。驚きはそれほどではないかもしれない。だから、彼らがデビューと共に当時のリスナーに与えたインパクトを知るには、それなりに想像力が必要だ。

 アメリカのボストンで活動を始めたピクシーズがイギリスのインディー・レーベル、4ADからデビューした87年当時、USでもUKでも現在のノイズ・ポップに通じる新たなロックの胎動はすでに始まっていた。しかし、それがグランジ・ブームを経て、〈オルタナティヴ〉という言葉と共に認知されるのは、それから数年後。つまり、デビュー当時、ピクシーズはアンダーグラウンド・シーンから同じように頭角を現してきたソニック・ユース、ダイナソーJr、サウンドガーデンら――その後、グランジ/オルタナ・シーンの顔となるバンドと共に異端の存在だったことを今一度、思い出しておきたい。

ハスカー・ドゥとピーター・ポール&マリー

 そんなピクシーズの結成は、ロックがもっとも華やかだった80年代が折り返しに入った86年のこと。そもそもの始まりは、ブラック・フランシス(ギター/ヴォーカル)とフィリピン系のジョーイ・サンティアゴ(ギター)がマサチューセッツ大学アマースト校の学生寮で出会ったことだった。共にロック好きだったことで意気投合した2人は、ジャム・セッションを楽しんだり、ブラック・フラッグのライヴを観に行ったりしているうちにバンド結成の夢を膨らませると、大学をドロップアウト。ボストンに移り住んで、倉庫で働きながらバンド結成に向け、曲を作りはじめた。

 そして、86年1月。曲を作り貯め、バンドを始める準備を整えた2人は早速、地元紙にメンバー募集の広告を載せる——〈求む! ハスカー・ドゥとピーター・ポール&マリーが大好きなベーシスト〉。

 ちなみにハスカー・ドゥは、79年に結成されたミネアポリスのハードコア・パンク・バンド。その頃にはパンクのエッジを残しながら、メロディアスなギター・ロックを奏でるようになっていた。一方のピーター・ポール&マリーは、60年代から活躍する男女フォーク・トリオ。ボブ・ディラン“Blowin' In The Wind”のカヴァーや“Puff”のヒットが有名だ。

 このセンス、わかるか⁉ そんな気持ちも少なからずあったのかもしれない。しかし、理解されるにはハイレヴェルすぎたのか、ジョークだと思われたのか、広告を見て連絡してきたのは、たった1人。しかも、もともとはギタリストで、ベースは弾いたことがないという。それがキム・ディールだった。

 しかし、2人は彼女を大歓迎。続いてキムの双子姉妹にあたるケリーがドラマーに決まりかけるものの、そもそもドラマーではない彼女が自信がないと辞退したため、キムの夫の友人で、カナダのプログレ・ハード・ロック・バンド、ラッシュのファンだというデヴィッド・ラヴァリングを迎える。結果としてテクニシャンのドラマーがバンドの屋台骨を支えることになったが、プレイヤーとしての経験に頓着しないメンバー選びからは、ピクシーズが演奏の上手さを一番に考えていなかったことが窺える。

 早速ライヴ活動をスタートさせた4人だが、メンバー募集で示されていた通り、方向性がすでに決まっていたバンドが注目されるまでに、それほど時間はかからなかった。同じボストンのスローイング・ミュージズと共演した際、彼女たちのマネージャーとプロデューサーに薦められ、87年3月にはフランクの父親に1,000ドル出してもらって17曲のデモ音源をレコーディング。このデモがきっかけとなって4ADと契約を結ぶと、デモから8曲を収録したミニ・アルバム『Come On Pilgrim』で同年9月にデビュー。ボストン界隈でライヴを始めたばかりの新人バンドと4ADが契約したのは、すでにスローイング・ミュージズをデビューさせ、アメリカのバンドに興味を持っていたことももちろんだが、やはりピクシーズのサウンドが、それまで聴いたことがないものだったことが大きかったのだろう。

 ノイジーでポップということなら、ピクシーズも参考にしたに違いないジーザス&メリー・チェインが85年に『Psycho Candy』で衝撃のデビューを飾っているが、4ADのオーナーであるアイヴォ・ワッツ・ラッセルが当初〈ロックンロールすぎる〉と契約に二の足を踏んだことからもわかるように、ピクシーズはいかにもアンダーグラウンド・バンドらしいシュールリアリズムも持ちながら、同時にニヒルになりがちなアンダーグラウンド・シーンに風穴を空けるのに必要な過剰なエモーションとロック本来の熱量も持っていた。それが、80年代ロックの華やかさを虚飾だと考え、もっとガツンとくる、よりリアルな表現を求めつつあったリスナーの欲求に見事に応えたのだろう。『Come On Pilgrim』はいきなりUKインディー・チャートの5位に食い込み、ピクシーズの存在をアピールした。

張り詰めた緊張から生まれた名作たち

 それからわずか半年後、ミュージシャンとしての成功を足掛かりにプロデューサー業にも乗り出していたスティーヴ・アルビニと組んだファースト・アルバム『Surfer Rosa』をリリースして、ピクシーズはその評価と人気を決定づける。UKインディー・チャートの2位を記録したことに加え、“Bone Machine”、キムがリード・ヴォーカルを取る“Gigantic”、“Where Is My Mind?”といった人気曲を収めた同作を最高傑作に挙げるファンは少なくないが、ニルヴァーナのカート・コバーンは、このアルバムを聴いて、後に自分たちの『In Utero』(93年)にアルビニを起用しようと思ったというから、アルビニのプロデューサーとしての成功は、ここから始まったと言っても過言ではない。

 ピクシーズとアルビニの作り上げたサウンドが以降のロックの源流の一つになったことは、カート・コバーンのみならず、スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンや、『Rid Of Me』(93年)にアルビニを迎えたPJ・ハーヴェイらが『Surfer Rosa』をオールタイム・ベストに挙げていることからも明らかだが、ピクシーズのユニークさは、音楽面以外にも及んでいたんじゃないか。例えば、その後のオルタナ・シーンで、男女混成、多人種のバンドが増えたのは、ピクシーズという存在がいたからのようにも思える。

 もちろん本人たちにそんな意識はなかっただろうが、さまざまな影響や示唆を与えながら、何かに駆り立てられるようにピクシーズは毎年フル・アルバム——それも毎回、新たな要素を吸収した濃密な作品をリリースするという信じられないスピードで活動を続け、『Doolittle』(89年4月)が全英8位、『Bossanova』(90年8月)が全英3位としっかり結果も残していった。

 しかし、同時に緊張が張り詰めた活動はメンバー間に軋轢も生む。なかでも自分の曲が使われないとブラックのワンマンなやり方に不満を募らせていたキムがそれならとスローイング・ミュージズのタニヤ・ドネリーらとブリーダーズを始めたことで、ブラックとキムの関係は悪化。しかも、ブリーダーズの初作『Pod』(90年)が全英22位のスマッシュ・ヒットを記録したことにブラックが良く言えばライヴァル心、悪く言えば嫉妬心を燃やしたことで、両者の対立は決定的になった。

 そんな火花の散る状況下で『Trompe Le Monde』を完成させ、91年9月にリリース。そして、92年2月~4月にかけてはU2のツアー・サポートに抜擢され、全米各地をツアー。さらなるステップアップのチャンスを掴んだものの、93年1月、ブラックが解散を宣言する。ニルヴァーナ、スマッシング・パンプキンズ、レディオヘッドら、ピクシーズの影響を認めるチルドレンたちが表舞台に立つのと入れ替わるようにピクシーズがあっけない結末を迎えたのは、皮肉と言うか、何と言うか。やっと時代が彼らに追いついた。これからだと誰もが期待していただけに解散が与えたショックもまた大きかった。

 解散後、ブラックはフランク・ブラック、及びフランク・ブラック&ザ・カソリックス名義で精力的にリリースを重ね、キムはブリーダーズの活動に専念。“Cannonball”のヒットを生んだ2作目『Last Splash』(93年)は全英5位/全米33位という『Pod』以上の成功を収めた。ジョーイとデヴィッドはさまざまなセッションに参加。ジョーイは妻とマルティニスというバンドを組んだり、TV番組の音楽を手掛けたりするなど、多才さもアピールした。

バンド活動を楽しむバンド

 しかし、ゲット・アップ・キッズやウィーザーらが参加したトリビュート盤『Where Is My Mind?』(99年)が作られるなど、オルタナ・ブームの定着と共に、その先駆者として改めて評価されたピクシーズの再結成を求める声は高まるばかりとなった。そして、解散から11年。2004年についにオリジナル・ラインナップで再結成が実現すると、世界中のファンが伝説のバンドの帰還を歓迎。その年の7月には〈フジロック〉出演という形で初来日が実現した。

 その後は世界中からオファーが相次いだのだろう。バンドは世界各地をツアーしながら、しっかりと手応えを取り戻すように活動を続けていった。2013年にはキムがソロ活動に専念するため、バンドを脱退。マフズのキム・シャタックを迎えてツアーを続けるが、2014年からはア・パーフェクト・サークルなどで知られるパズ・レンチャンティンが参加。女性ベーシストにこだわるのは、ピクシーズ・サウンドには女性ヴォーカルが不可欠だからだ。

 再結成から10年、満を持して2014年にリリースした初のアルバム『Indie Cindy』は3枚のEPをコンパイルしたものだったが、多くの人が新作を待っていたのだろう。同作は全米23位/全英6位のヒット作になった。その後の彼らは、トム・ダルゲティをプロデューサーに迎えた『Head Carrier』(2016年)、同布陣でこのたびリリースされたばかりのニュー・アルバム『Beneath The Eyrie』とマイペースながら順調にリリースを重ねている。

PIXIES Beneath The Eyrie Pixiesmusic/BMG/ワーナー(2019)

 再結成後のアルバムを聴き、ピクシーズらしさは変わらないと思いながら、ちょっと物足りないと感じているリスナーも少なくないようだ。しかし、ヴォーカリストとしても大きな役割を担うパズとバンドの相性がいいということに加え、解散前の反省なのか、年齢を重ねて成熟したのか、現在の彼らはバンドを長続きさせようと意識しているように思える。ノイズ・ポップというジャンルが定着し、時代や世界と取っ組み合う必要がなくなったいま、もしかしたら彼らは心底、バンドを楽しんでいるのかもしれない。 *山口智男

DISCOGRAPHIC PIXIES
ピクシーズを知るための7枚

文/香椎 恵

PIXIES Come On Pilgrim 4AD(1987)

その年の3月にゲイリー・スミスと吹き込んだ17曲入りのデモテープ、通称〈The Purple Tape〉からの8曲が収められた、記念すべき4ADからのデビューEP。奇妙で美しい“Caribou”で幕を開け、初期衝動と呼びたい何かよりも周到に用意された楽曲それぞれの表情が瑞々しい。

 

PIXIES Surfer Rosa 4AD(1988)

スティーヴ・アルビニがプロデュースにあたり、後のオルタナ世代に直接的な影響を与えることになった初のフル・アルバム。キムが共作してリード・ヴォーカルを担当したシングル曲“Gigantic”、後の映画「ファイトクラブ」での使用も名高い“Where Is My Mind?”などの人気曲揃い。

 

ギル・ノートンをプロデュースに起用した、これまた名盤の誉れ高い2作目。解放的なリフを備えた“Debaser”での幕開けからして前作とは異なり、乾いた音色の快い“Monkey Gone To Heaven”も“Here Comes Your Man”も含めてある種のポップネスのような人懐っこさが作中を貫いている。

 

同布陣での制作を継続しながら、どこかウィアードなノリも漂ってくる3作目。サーフトーンズ“Cecilia Ann”のカヴァーで始まり、甘酸っぱくも響く“Velouria”の背景にテルミンが吹き流れていくのもおもしろい。そんな海岸から宇宙までを串刺しにするまっすぐな“Rock Music”の激情も最高。

 

PIXIES Trompe Le Monde 4AD(1991)

〈世界を騙せ〉という邦題ももっともらしかった、ひとまずの最終作。ドリーミーなコーラスも映える威勢のいい“Alec Eiffel”やジザメリのカヴァー“Head On”などを含め、初期とは違う意味でのギター・バンド感が鋭利に響く。シンセで貢献したエリック・ドリュー・フェルドマンの存在も重要。

 

PIXIES Indie Cindy Pixiesmusic/PIAS/HOSTESS(2014)

再結成から10年を経ての5作目は、初めてキムなしで録音に臨んだ3枚の連作EPをパッケージしたもの(ベースは元フォールのディングが演奏)。プロデュースは解散前からの流れでギル・ノートンが担当しているが、キム脱退後の不安を受け手に問いかける表題曲などには大人になった姿も窺えたり。

 

PIXIES Head Carrier Pixiesmusic(2016)

パズ・レンチャンティンを正式メンバーに迎え、オルタナ育ちのトム・ダルゲティにプロデュースを委ねてリフレッシュを図った6作目。パズが共作してリード歌唱を担当する“All I Think About Now”はキムへの感謝を歌ったもの。ある意味で現行ピクシーズのデビュー作とも捉えられる佳作だ。

OTHERDISCOGRAPHIC
ALBUM
Beneath The Eyrie(2019)

COMPILATION
Death To The Pixies
Pixies At The BBC
Complete 'B' Sides
Wave Of Mutilation: Best Of Pixies ...and more!

ALL I THINK ABOUT NOW
ピクシーズの歴史に名を刻んできたメンバーたちを紹介!

文/香椎 恵

BLACK FRANCIS


 ボストン出身で65年生まれ、ピクシーズのヴォーカルとリズム・ギターを担当するフロントマンにして大半の楽曲を書くメイン・ソングライター。少年時代に母や継父の導きで教会/宗教音楽に親しんで育ったことが後の作風に影響したとされる。進学したマサチューセッツ大学アマースト校でジョーイ・サンティアゴと出会い、ピクシーズを結成。バンド解散発表の前からソロ作を構想し、フランク・ブラック名義の『Frank Black』にて93年にソロ・デビュー。翌年のヒット作『Teenager Of The Year』も含めてジョーイが演奏に参加し、いずれもプロデューサーには『Trompe Le Monde』で起用したエリック・ドリュー・フェルドマン(元ペル・ウブ他)を迎えていた。

 97年にはライル・ワークマンらとフランク・ブラック・アンド・ザ・カソリックスを結成してコンスタントにアルバムを重ねていき、2004年のピクシーズ再結成にあたってはソロで『Frank Black Francis』を発表。以降はピクシーズでライヴを行いつつ、ブラック・フランシス名義でソロ作を発表するという二本立ての活動を続けていく。2013年にはかねてからの宣言通りソロ・キャリアを終了し、ピクシーズに専念していくことになった。

左から、フランク・ブラックの93年作『Frank Black』、94年作『Teenager Of The Year』(共に4AD)、フランク・ブラック・アンド・ザ・カソリックスのボックスセット『The Complete Recordings』(Cooking Vinyl)、フランク・ブラックの2004年作『Frank Black Francis』(SpinART/Cooking Vinyl)、2006年作『Fast Man Raider Man』(Back Porch/Cooking Vinyl)

 

JOEY SANTIAGO


 フィリピンのマニラ出身で65年生まれ、ピクシーズのリード・ギター担当。少年時代にマルコス政権の戒厳令で米国に移住し、9歳の頃にギター演奏を始めたという。進学したマサチューセッツ大学アマースト校でブラック・フランシスと出会い、ピクシーズを結成。バンド解散後はブラックのソロ作にパートタイムで参加する一方、当時の妻であったリンダ・マラリとマルティニスを組み、映画「エンパイア レコード」(95年)のサントラにユニットの初音源“Free”を提供した後、2004年に唯一のアルバム『Smitten』をリリースした。ピクシーズの再結成後は、並行して映画やCM音楽などの制作も手掛けている。

左から、95年のサントラ『Empire Records』(A&M)、マルティニスの2004年作『Smitten』(Cooking Vinyl)、タニヤ・ドネリーの97年作『Lovesongs For Underdogs』(Reprise)

 

DAVID LOVERING


 マサチューセッツ州バーリントン出身で61年生まれ、ピクシーズのドラムス担当。10代の頃はマーチング・バンドでも演奏していた。進学したウェントワース工科大学で電子工学を学び、地元のバンドで演奏していたが、友人のジョン・マーフィーとキム・ディールの結婚式をきっかけにしてピクシーズ結成に参加する。その解散後はニッツァー・エブなど複数のバンドでツアー・ドラマーを務め(この時期にフー・ファイターズ参加を断っている)、タニヤ・ドネリーのレコーディングにも参加。一時は音楽を辞めるものの、フランク・ブラック・アンド・ザ・カソリックスやマルティニスとの演奏を経て、ピクシーズの再結成に参加するに至った。

 

KIM DEAL


 オハイオ州デイトン出身で61年生まれ、ピクシーズのオリジナル・ベーシスト。一卵性双生児のケリーと共に幼い頃からさまざまなロックに触れて育ち、10代の頃には姉妹でブリーダーズを名乗って曲を書いていた。もともとギタリストだったがメンバー募集広告に応じてピクシーズに加入。そのツアー中にレーベルメイトだったスローイング・ミュージズのタニヤ・ドネリーと意気投合し、89年にブリーダーズを結成。ブリーダーズは4ADから90年に『Pod』でデビューして人気を博すも、ブラックとの軋轢が深まっていく結果となった。

 ピクシーズ解散後は妹のケリーも交えてブリーダーズに専念し、93年の『Last Splash』ではプラチナ・ヒットを記録。その後は一時的にアンプスを組みつつブリーダーズを継続する傍ら、2004年からは再結成したピクシーズでも演奏していく。2012年末には初のソロ・シングル“Walking With A Killer”を7インチで発表し、翌年にピクシーズ脱退を発表。同年には『Last Splash』の20周年をきっかけに当時のラインナップでブリーダーズを再結成。スティーブ・アルビニをエンジニアに迎えた『All Nerve』(2018年)が高い評価を得たのも記憶に新しい。

左から、ブリーダーズの90年作『Pod』、アンプスの95年作『Pacer』、ブリーダーズの2018年作『All Nerve』(すべて4AD)

 

KIM SHATTUCK


 63年生まれのギタリスト/シンガーで、2013年にピクシーズのライヴ・ベーシストを務めた。もともとはハリウッドのガレージ・シーンで知られたパンドラスに85年に加入し、解散する90年まで在籍。91年にはバンドメイトのメラニーと共にマフスを結成し、93年にメジャー・デビューを果たしてポップ・パンク系のサウンドで活躍した。2013年の秋ツアーから代わりにピクシーズで演奏するもツアー終了と共に解雇。近年はバーガー方面のリイシューも手伝って再評価されたパンドラスの再結成に参加し、新たにクーリーズでも活動中だ。

左から、マフスの95年作『Blonder And Blonder』(Reprise/Omnilove)、パンドラズの2018年『Hey! It's The Pandoras』(Burger)

 

PAZ LENCHANTIN


 アルゼンチンのブエノスアイレス出身で73年生まれ、2016年より正式メンバーとしてピクシーズのベース/ヴォーカルを担当。幼少時にLAに移住し、ヴァイオリンやギターの演奏を始める。2000年からパーフェクト・サークルに参加し、2002年にズワンに加入。その解散後はチェルシーやエントランス・バンドなどさまざまなバンド/プロジェクトで手腕を発揮し、自主ソロ作のリリースと並行してクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジやレンカ、ジェニー・ルイスらの作品でもプレイしている。2014年のツアーからピクシーズのライヴ・メンバーを務め、2016年の『Head Carrier』から正式に加入。今回の『Beneath The Eyrie』でも“On Graveyard Hill”を共作するなど新たなバンド像に貢献している。

左から、ズワンの2003年作『Mary Star Of The Sea』(Reprise)、エントランス・バンドの2009年作『The Entrance Band』(Ecstatic Peace!)

HERE COMES YOUR MAN
耳で聴いたピープル・トゥリー
ピクシーズをめぐる音楽の果実は、ここに一本のトゥリーを生んだ

文/香椎 恵

 

THE SMASHING PUMPKINS Shiny And Oh So Bright Vol. 1: No Past. No Future. No Sun Napalm(2018)

オルタナ界の性格悪い坊主……と聞いて誰を思い浮かべるだろう? それはともかく、ジェイムズ・イハが18年ぶりに合流してほぼオリジナル・メンバーが揃った本作のサウンドは、再結成後のピクシーズにも似たラウドで甘美な大人の味わい。ビリー・コーガンとパズ・レンチャンティンはズワンでの縁もあった。

 

NIRVANA Nevermind DGC/Geffen(1991)

ピクシーズやブリーダーズ好きで知られたカート・コバーンだけに、かの“Smells Like A Teen Spirit”が“Debaser”のリフの強い影響下にあるというのは有名な話だろう。入れ替わるようなタイミングでニルヴァーナがブレイクしたのも皮肉だが、『Surfer Rosa』の音像を求めて『In Utero』でスティーヴ・アルビニを指名したという逸話もあった。

 

DAVID BOWIE Heathen Columbia/ソニー(2002)

ジョーイがブラックに教えたレコードのひとつはボウイだったそうだが、当の本人は80年代末にソニック・ユースやピクシーズに憧れてティン・マシーンを結成(ライヴでは“Debaser”をカヴァー)。同バンドは短命に終わるも、10年経ったこのアルバムでは改めてピクシーズ曲を正式に取り上げている。その選曲がT・レックスを下地にした“Cactus”だというのもボウイらしい。

 

VIVIAN GIRLS Memory Polyvinyl(2019)

いわゆるヴェルヴェット・アンダーグラウンド(ジョーイ・サンティアゴが心酔していた)的なスタイルから発展してきたノイズ・ポップの系譜において、オルタナ~ガレージを経て近年のドリーミーな潮流を織り成してきたのがブルックリン発の彼女たち。この5年ぶりの再結成作がピクシーズと同時期に出るのも興味深い。

 

THE JESUS AND MARY CHAIN 21 Singles Rhino(2002)

世界同時多発的な動きだったのか、どうなのか、ピクシーズに先んじてUKでドリーミーな爆音を轟かせ、後にシューゲイザーと括られるインディー・ノイズ・ポップの源泉となったJAM。UKでまず受け入れられたピクシーズが彼らの“Head On”(88年)をカヴァーしたのは必然的だったのかも。

 

TIGERCUB Meet Tigercub Pヴァイン(2015)

ニルヴァーナやヴァインズ直系とも評されたブライトンのバンドによる日本デビュー作。収録曲の核となるのは近年のピクシーズをプロデューサーとして支えるトム・ダルゲティだ。ロイヤルブラッドやダイナソー・パイル・アップらで実績も残してきた彼のオルタナ・リヴァイヴァル的なセンスがレジェンドに瑞々しさを与えているのは言うまでもない。

 

NUMBER GIRL SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT ユニバーサル(1999)

往年のBEAT CRUSADERSやART-SCHOOL、近年のtricotまで影響下にある日本産バンドも数多いが、やはり代表格となると、御大のストレンジな風情やカリスマ性まで独自の奇妙さに発展させた彼らだろう。本作にはピクシーズ結集時のエピソードをもじったような“PIXIE DU”も収録。ピクシーズとすれ違いで解散、からの再結成まで含めて運命的だ。

 

THE BEACH BOYS Pet Sounds Capitol(1966)

『Bossanova』期からジョーイのギターも含めてピクシーズに表れてきたサーフ・ロック志向だが、同作のストレンジなひねくれポップ感はこちらの箱庭感にも繋がるところ。後にブラックがカヴァーした際に“I Know There's An Answer”でなく“Hang On To Your Ego”を選んだのも性格が出ている?

 

MAXIMO PARK Our Earthly Pleasures Warp(2007)

後世がイメージしている〈ピクシーズっぽさ〉の一端を担うのは『Doolittle』から解散までを支えたプロデューサーのギル・ノートンでもあり。エコバニやフー・ファイターズも手掛けてきた重鎮の彼だが、21世紀仕事における〈っぽさ〉ということでは、ポスト・ポスト・パンクなオルタナ・サウンドの漲る本作がひとつの極みかも。

 

THROWING MUSES Anthology 4AD(2011)

クリスティン・ハーシュとタニヤ・ドネリーを中心にロードアイランドで結成されたポスト・パンク・バンド。彼女たちによって4ADがUSインディーに興味を抱いていたからこそピクシーズが見い出されたのは間違いない。ブリーダーズ結成の縁はもちろん、タニヤのソロ作でデヴィッドが演奏するという繋がりもあった。

 

PEDRO THUMB SUCKER ユニバーサル(2019)

BiSHのアユニ・Dが田渕ひさ子らと繰り広げているバンド・プロジェクトの最新弾。もともとBiSH自体が音源的にはアルビニのグランジーな音像をめざして始まった部分もあるが、今作では『Doolittle』あたりを好きそうな本人の嗜好も反映され、田渕からの隔世遺伝も含めてノイジー&ポップなUSオルタナ感が漲っている。