MAGDALENE=マグダラのマリアの二面性
マグダラのマリアという新約聖書の登場人物は、西欧世界のキリスト教において聖女とされながらも、いまだに多様な解釈がされている存在である。ここ日本では10数年前の「ダ・ヴィンチ・コード」ブームでそのことを知った人も多いだろうが、FKAツイッグスは子どもの頃から彼女に強く惹かれていたのだそうだ。いわく、マグダラのマリアは〈神聖さと世俗性を併せ持っていて、(それらを満たす時)女性がもっともパワフルでいられる〉のだと。娼婦から聖女に改悛したという、その二面性に着目しているようだ。
そのマグダラのマリアを指す名前がつけられたFKAツイッグスのセカンド・アルバム『MAGDALENE』。ファースト・アルバム『LP1』(2014年)からほぼ5年ぶりのリリースだが、前作のリリース以降、ハートブレイクや子宮筋腫の摘出手術を経験するなど、彼女は精神的、肉体的に大きなダメージを受けたという。実際、手術の直後に受けたCM出演の仕事では、傷痕が開いてしまうのではというような辛さと戦っていたそうだ。だからこそ、今作には彼女の憔悴と苦悩、そしてそこからの再生の過程がダイレクトに投影されていると言えるだろう。
苦しみと救いを代弁する音
前作ではラナ・デル・レイの『Born To Die』(2012年)を手掛けたエミール・ヘイニーをプロデューサーに起用していただけに、ダークな表現にはこだわりを見せるFKAツイッグスではあるが、今作はどちらかといえば悲しみや嘆きといった感情の機微の描写に重きが置かれている。例えば、“home with you”での低音の効いたキックのサウンドは自身の不安を、ザラついたエフェクトがかかりノイズが取り巻くヴォーカルは悲痛な心の叫びを、それぞれ代弁しているようにも聴こえてくる 。
ただ、注目すべきはその曲の途中に、まるで絡み合った苦しみの糸がほどけるように 、シンプルなピアノが漏れ出すように奏でられる優しく穏やかなパートが差し込まれている点だ。また最後にはサックスが鮮やかに彩りを添え、輝かしいラストを迎えるのも感動的である。 アルバム全体を俯瞰してみても、終盤の“mirrored heart”以降は落ち着いたバラードが続く展開になっていることからも、今作には彼女が苦しみのどん底でもがき、そこから這いあがって新たに救いを見出していくプロセスが克明に刻まれていることがわかるだろう。
生々しい感情を表現するサウンドと、祈りとしての歌
そんなタフな楽曲制作を助けたのが、豪華で多彩な参加アーティストたちだ。中でも“holy terrain”は、スクリレックス、ジャック・アントノフがプロデューサーに名を連ね、さらにサウンド・プロダクションにはケンドリック・ラマーの作品に貢献し続けているサウンウェイヴが寄与。テイラー・スウィフトなどポップスターを多く手掛けるアントノフと、ビート・ミュージック~ヒップホップ畑の人物がタッグを組むことで、トラップ風のトラックにメロディアスなFKAツイッグスの歌が絡む秀逸な1曲に仕上がっている。
ゲスト・ヴォーカリストはアトランタのラッパー、フューチャー。マグダラのマリアを象徴的に持ち出した彼女に、オルター・エゴを用いて自身の痛みを吐露する彼のスタイルがシンクロしている様子は、今作のハイライトのひとつだ。
なおエド・シーラン等を手掛けるベニー・ブランコがプロデュースした“sad day”“mary magdalene”もやはり歌が印象的な楽曲で、今作における歌の重要性にも改めて気づかされる 。その証拠に彼女のヴォーカリゼーションも飛躍的に表現力豊かになっており、驚くとともに感動させられもした。“fallen alien”での怒りや挑発の表出や、“sad day”での囁くようなウィスパー・ヴォイスの微かな震えに垣間見える脆さや優しさからは、これまで神秘的なアイコンとしての印象が強かったFKAツイッグスの、一人の人間としての感情の起伏を感じ取れる。今作のほぼ全体を共同プロデュースしているニコラス・ジャーが得意とする電子音のプロダクションの生々しさは、まさにその彼女の生の人間性を引き立てていると言えるだろう。
そして、ラストの“cellophane”の歌声のエモーショナルな美しさ――ここでの彼女の声には、例えばアノーニやモーゼス・サムニー に比肩するような清らかな神々しさが宿っているように思えてならない。きっと彼女は、今作を通じて苦悩と再生のプロセスやそれに伴う感情のすべてを讃え、さっぱりと新しく生まれ変わった自分自身に、歌で祈りを捧げているのではないだろうか。
『MAGDALENE』は何度でも、私たちに勇気と自信を与えてくれる
FKAツイッグスは今年で31歳。彼女はダンサーであるから、身体と精神の統一に人一倍気を配ってはいるのだろう。ただそもそも女性にとって身体と精神のバランスを崩しやすいのが20代から30代に入る時期で、かくいう筆者も違わずなのだが、FKAツイッグスはというと大きな手術を受けた上、ポールダンスまで習得してしまった(“cellophane”のミュージック・ビデオや最近のステージで披露している)そうだ。そんな彼女のストイックで求道者的な佇まいにはつくづく見惚れてしまう。また一見軽やかそうに見えるが、実際は身体の重みに耐えるのが非常に大変だというポールダンスの持つ二面性は、苦難を乗り越え成熟した女性の人生に通じるところがあるとともに、FKA ツイッグスが惹かれるマグダラのマリアの二面性にも重なる部分だろう。
ボロボロになって、もうこれまでのようには戻れないかもと思っても、その先ではもっと素晴らしい景色が見られる――FKAツイッグス自身が掴んだそんな人生の指針が形になった危うくも強靭な今作。心が折れそうな時に今作は何度でも、私たちに勇気と自信を与えてくれるに違いない。