人生の時間を顔の皺に刻み込んだ監督と、時間のざわめきを作曲した音楽家
これまで数々の映画音楽を手掛け、大島渚、ベルナルド・ベルトリッチ、アレハンドロ・イニャリトゥなど、強烈な個性をもつ映画監督と仕事をしてきた坂本龍一。その多彩なリストに新たな名前が加わった。今から3年前、ヴェニスの海岸を散歩していた坂本が、突然名前を呼ばれて振り返ると、そこには台湾映画の鬼才、ツァイ・ミンリャンがいた。そこで二人は共に時間を過ごし、それから数週間後、坂本はミンリャンの新作「あなたの顔」のサントラを依頼される。長らくオリジナルのサントラを使っていなかったミンリャンが曲を依頼するというだけで珍しいが、「サカモトの自由に作ってくれ」という依頼も普通では考えられないことだった。坂本はミンリャンの作品にどんな風に向き合ったのか。自粛で静まり返った休日の東京。ニューヨークから来日した坂本は、ホテルの一室で今回のコラボレーションについて語ってくれた。
――ツァイ・ミンリャン監督の作品を手掛けるのは初めてですが、これまで交流はあったのでしょうか?
「ヴェニスの海岸で会う4年前に初めて会ったんですけど、その時は挨拶したくらいでした。ヴェニスで再会した時に仲良くなったんです。その後、メールで(サントラの)依頼を受けたんですけど、僕は〈何でもやるよ〉っていう感じでした。もともと好きな監督でしたから」
――監督の作品のどんなところに惹かれますか?
「音楽って時間の芸術だって言われますよね。時間のなかで成立しているわけなんですけど、それは映画も同じ。現存する監督のなかで、ツァイ・ミンリャンは最も時間にこだわっている人じゃないかって思います」
――「あなたの顔」も時間がテーマになっていますね。13人の人物が登場して一人ずつクローズアップで顔が映し出される。ある者は自分のことを語り、ある者は居眠りしていたりと様々ですが、それをミニマルな構成で順番に見せていきます。それぞれの顔に刻み込まれた人生の時間、映画で流れる時間。二つの時間を意識させられる作品でした。
「映像を観た時、音楽をつけるのは難しいと思いました。通常の音楽では邪魔になってしまう。この数年、僕が興味を持っているモノが発する音……例えばこういう音(チンと指でコップを弾く)が合うと思ったので、どの人にはどんな音が合うのかを試しました。5分なら5分、その人が映っている時にどんな時間が流れているかが大事ですね。まばたきしたり、口を動かしたり、人それぞれに固有のテンポが、時間の流れがある。それを邪魔しないように音を入れていくことを心掛けました。そして、それぞれにテンポも音色も違った音楽をつけていったんです」
――その音源を監督に渡して、自由に使ってもらったそうですね。
「この曲は誰のもの、ということは一切言わずに監督に渡しました。だから、完成した映画を観ると僕が思っていたのとは違うところに当てられていた曲もありました。僕と一致していたのは半分くらいかな。でも、僕にとってもツァイさんにとっても、いちばん大切なのは最後の建物のところの曲だったと思います。そこがちゃんと合致したのはとても嬉しかったですね。僕が感じたことが伝わったんだと思いました」
――撮影が行われた台北中山堂の内部が映し出されるシーンですね。建物の〈表情〉を通じて、建物の時間(歴史)を観客に感じさせるようなシーンでした。音楽はドローンのような持続音が鳴っているなかで、ざわめきのようなノイズが聞こえてくる。まるで、建物に浮遊するゴーストの声のようでしたね。
「そう、まさにゴーストの声です。台北中山堂は日本が台湾を統治していた頃に建てられたもので、日本人にとっても台湾人にとっても複雑な想いがある歴史的に重要な建物です。そこには、いろんな出来事や人々の想いが堆積していますから。その歴史から呼びかけてくるゴーストの声を響かせたかった。実際に現地に行って音を録音するんじゃなく、想像力でね。ノイズの向こうにたくさんの人が話をしているような声が聞こえてきますが、それが建物の声に聞こえるようにイメージして曲を作ったんです」
――実際に人の声を使っているんですか?
「使っています。確かニューヨークで録音したんじゃないかな。英語だとわかったら面白くないんで。フィルターなんかを使って、声だか音なんだかわからないギリギリのところまで曇らせて変化を加えていったんです。そういう作業はいつもやってることですけど、今回大変だったのは間ですね。シーンにあった間を見つけるのに時間がかかりました」
――鍵盤やパーカッションのような音が使われている曲もありますが、その間合いが独特ですね。
「そう、そこが一番難しかった。〈本当にここで良いのか?〉って。規則的になったら面白くないんで、自分の感覚で〈ここ〉っていうポイントを見つけないといけない。書道みたいに〈えいっ!〉っと(筆で点を打つ仕草)」