〈出会いの魔法〉の連続で、初来日から50周年
新作を携え、ブラジリアンポップの帝王が来日。W杯母国開催を祝し去年8月に作ったアンセム“ワン・ネイション”他、めくるめくセルメン・ワールド全開だ。テーマは出会いの魔法。これまでの人生では?
「初渡米のNYでディジー・ガレスピー、キャノンボール・アダレイに会えたこと。ジョビン師との出会い、シナトラとのツアー等、人生は魔法の連続だ。日本の初仕事が当ホテルだったとは、望外の魔法だね」
ナラ・レオン、チアゥン・ネト、エヂソン・マシャードとですね?(と、64年7月の証拠写真開示)
「おぅ、この写真との遭遇もまさに魔法だ! 64年4月に長男が生まれ、軍事クーデター勃発で渡米を決意し、到着したのが11月だったからね」
92年『ブラジレイロ』以来、長い付き合いが続いている、カルリーニョス・ブラウンとの出会いは?
「90年、朋友パーカッショニスト、メイア・ノイチ(※今回来日したジビは実弟)の紹介だった。就寝中に電話が鳴って、いきなりカルリーニョスが電話の向こうで歌いだした。怒りで殺意さえ抱いたのに、クレイジーな彼が好きになっていた。約束してバイーアに着いた瞬間、目の前の通りで30~40名が演奏を始め、ダンサーが踊り出してね。以来、深い友情が育まれ、2年前オスカーにノミネートされたアニメ『Rio(邦題:ブルー初めての空へ)』サントラも一緒に作った。今回もバイーアへ赴き、2曲を作り込んだ」
彼との音作り、共同作業の魔術を教えて。
「私にとって最重要なのがメロディ。それも、覚えやすいメロディを探し、ハーモニーをつけてみる。カルリーニョスとの場合、彼の持つ多彩なリズムとビートのアイディアを、一緒に融合させていく」
ウィル・アイ・アムとの関係のスタートは?
「彼のレコード会社を通じて紹介された。私は好奇心が強く、異文化や若い世代から常に学びたいタチだ。彼は、私の全LPを手に我が家へやって来た。12~13歳の頃、LAで私のレコードを聴いて育ったそうだ。ブラック・アイド・ピーズの2004年『エレファンク』で、ピアノを弾いてと頼まれた。それがとても楽しくてね。10年ほどアルバムから遠ざかっていたが、何か一緒に作りたくなって、ブラジルで彼と“マシュ・ケ・ナダ”を録音し、『タイムレス』が完成。ウィルは有機的でオーガニック、自由な発想が次々に湧いてくる。彼のお蔭で40年後の録音が新たなヒットとなり、若い連中が私を知った。曲に独自のビートやダンス・リズムをもたらす、彼との共同作業も順調だよ」
ひとつの国を謳いつつも、セレソン応援を公言する御大。欧州ツアーのため、W杯はTV観戦だとか。