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世代を超えて〈80年代のなかの未来〉に魅入られた人々

80年代カルチャー・ブーム。それは、新しいものを追い求めるフロンティア精神と古いものを懐かしむノスタルジーの念が交差する地点において成立した現象と言えるだろう。

まず、当時を知らない人々は80年代カルチャーを〈発見〉した。たとえば80年代カルチャー・ブームを象徴する現象と言えるシティ・ポップ・ブームを最初に担ったのは、その種の日本の音楽にリアルタイムで触れていない海外の音楽ファンだった。2017年、YouTube上に違法アップロードされた、竹内まりや“Plastic Love”の音源(2020年11月現在は削除済み)。これがインターネット上でミーム化しながら、爆発的に再生回数を伸ばしていったのだ(その経緯についてはこちらの記事に詳しい)。そんななか、はじめは専ら竹内に向けられていた眼差しが、やがて彼女と同時代に良質な作品をリリースしていた山下達郎や大貫妙子、細野晴臣といったアーティストにも向けられるようになり、その過程で当時の日本産ポップスの品質水準の高さが広く知られるところとなった。それらは年代的には古い音楽だが、当時を知らない海外の音楽ファンにとっては新曲同様に新しい音楽であり、だからこそ支持の対象となったのだろう。

一方、当時を知る人々は80年代カルチャーを〈懐古〉した。海外の人々や若者たちが新しいものとしてもてはやす80年代カルチャーが、リアルタイム世代のなかに郷愁の念を掻き立てたであろうことは想像に難くない。だがここで、疑問がふと頭をかすめる。彼らは80年代カルチャーを通して何を懐古したのだろう、と。そもそも懐古というのは、ある特定の事物そのものを対象とするわけではない。懐古する人にとって、事物は一つの触媒に過ぎないのだ。だとすれば、80年代当時を知る人々もまた、当時のカルチャーやコンテンツそれ自体を懐かしんでいたというより、そこに付随する記憶や当時の空気感を思い出し懐かしんでいたのではないか。

この一見些細な違いはその実、重要である。なぜなら当時を知る人々と知らぬ人々が、立場の差異を超えて80年代カルチャーのなかに同じものを見ていた可能性を示唆するからだ。彼らが80年代カルチャーのなかに見ていたであろう同じもの、それは未来である。〈懐古する人々が未来を見ていた〉と言うと、奇妙に感じられるかもしれない。しかし〈当時の未来観を懐かしむ〉とか〈当時描き出されていた未来像を懐かしむ〉というのは、十分にありうることだ。そしてそれはとりもなおさず、別の未来に想いを馳せることを意味する。

思い描かれつつも、実現しなかった未来。いまここを異化する、オルタナティヴな未来像。そしていまや失われてしまった、未来に対する希望。その輝きが世代もバックグラウンドも異なる両者を共に惹きつけ結びつけたことで、80年代カルチャーへの注目はブームにまで高まったのではないだろうか。

 

未来が輝いていた最後の時代=80年代

80年代、それは未来というイメージが輝いていた最後の時代と言えるかもしれない。80年代を代表する傑作として今日頻繁に名前があがる映画、たとえば「ブレードランナー」(82年)や「AKIRA」(88年)といった作品には、近未来の都市がよく登場する。そこで描かれる未来都市の多くは、環境問題や来たる世紀末への不安などを反映して荒廃の様相を呈しており、もはや在りし日の牧歌的な未来像とはかけ離れている。だがそれでも、いやそれゆえにかえって、糖度を増した腐敗直前の果実のように強烈な輝きを放っている。

映画「ブレードランナー ファイナル・カット」予告編
 

そして時代は下り、2020年。私たちは、当時の作品が未来として描き出した時代にとうとう追いついてしまった。ちなみに「ブレードランナー」と「AKIRA」に近未来として登場するのは、いずれも2019年である。80年代当時、腐敗一歩手前で危険な芳香を放っていた未来のイメージはとうに腐り果て、無に帰してしまった。いまや私たちは未来への希望を欠いたまま、資本主義システムの要請に従ってマイナーチェンジを繰り返すばかりだ。

今日、未来はもはや未来たりえなくなっている。だがそうであるからといって、私たちの胸の内から未来への憧憬が消えるわけではない。さんざん期待を裏切られながら、それでも私たちは懲りもせず〈輝かしい未来〉なるものをぼんやりと夢想している。それは思想家マーク・フィッシャーの言葉を借りれば、〈失われた未来に取り憑かれている〉状態である。