パーソンズは独りになったが、その危うい評判にも関わらずリプリーズがソロ契約を結ぶ。マール・ハガードがアルバムのプロデュースを引き受けてくれたものの、わずか1日でプロジェクトを放棄し、パーソンズを気落ちさせた。その後ブラインド・フェイスのリック・グレッチがプロデュースを引き継ぐ。彼らはエルヴィス・プレスリーのバンド・メンバーを務めたこともあるジェイムズ・バートン、グレン・H・ハーディン、ロニー・タットなどトップのセッション・プレイヤーを集めた。また、クリス・ヒルマンの勧めで、あまり知られていなかったフォーク歌手のエミルー・ハリスを雇い、パーソンズと2曲のデュエットを歌わせている。ハリスは当時カントリーについてはほとんど知らなかったが、パーソンズに突貫で基本を習い、現在は忠実なカントリー・ファンとなっている。
そうして出来たソロ・アルバム『GP』でも、パーソンズは高い評価を受けるものの、売り上げは伸びなかった。チャートインも成らなかったが、彼はすぐにフォローアップとして次作『Grievous Angel』の録音を始める(しかしこの頃にはまた、パーソンズの薬物乱用が悪化している)。アルバム用に新たに2曲を書き上げ、以前作曲したものも再録。また、ルーヴィン・ブラザーズという敬虔なクリスチャンと女好きの酒飲みという正反対の2人の兄弟のコンビによる、ウィットに富んだソウルフルな歌とユニークなハーモニーでパーソンズのお気に入りだった“Cash on the Barrel Head”のカヴァーも採用した。他にも“Love Hurts”というエヴァリー・ブラザーズとロイ・オービソンによる曲を、エミルー・ハリスとの美しいデュエットで録音。この曲もアルバムも今日では非常に評価が高いものの、当時は鳴かず飛ばずで、後にロック・バンドのナザレスやUKのジム・カパルディがカヴァーしたことによってようやく注目された。
しかし、パーソンズはこのアルバムがリリースされる前、73年9月19日にカリフォルニア州、ジョシュア・ツリーの砂漠エリアで死亡した。『Grievous Angel』は74年の1月にリリースされたが、それは彼の妻、グレッチェンが自分好みに編集した後だった。パーソンズとエミルー・ハリスは恋愛関係ではなかったのにも関わらず、彼女は2人が近しい関係だったことを疎んでいた。パーソンズがこのアルバムのタイトルを『Gram Parsons with Emmylou Harris』とするつもりだったが、グレッチェンはハリスの名前と写真をジャケットから外している。
このアルバムは、その制作経緯にも関わらずしっかりとした作りで、“In My Hour of Darkness”にはバーニー・リードンやリンダ・ロンシュタットがゲスト参加している。パーソンズの死にまつわるメディアの騒ぎがあったり、友人が彼の遺志(ジョシュア・ツリーのそばで火葬してほしいと希望していた)を叶えようと棺を盗み出すという騒ぎを起こしたりしたにも関わらず、アルバムは大した結果を出せず、チャートでもかろうじて195位に引っかかったに過ぎなかった。
しかし、この後パーソンズの遺作についての再評価が始まる。カルト的な彼のフォロワーは年々数を増やし、数々の初期や未発表のレコーディング曲が発掘された。彼の作曲は讃えられ、彼の声がカントリーのジャンルに新たな風を起こしたと評価されたのだ。
グラム・パーソンズが亡くなった頃から、世界の情勢も変わりつつあった。カントリー・ロックはもう時代遅れだと無視されるものではなく、イーグルスやリンダ・ロンシュタットの台頭により、プラチナレコードも、スマッシュ・ヒットも増えていく。ウィリー・ネルソンはもう、ジャズを多用するカウボーイハットもない落ちぶれたアーティストではなくなり、彼とウェイロン・ジェニングスは〈アウトロー・カントリー〉というムーブメントの旗手となった。
カントリー・ミュージックは、ザ・バンド、CCR、リトル・フィート、エルヴィン・ビショップやグレイトフル・デッドなど、現在崇敬されるバンドの多くに影響を与えている。オールマン・ブラザーズはカントリーやブルースとロックをミックスし、マーシャル・タッカーはジャズの風味を付け足した。カントリーとロックはもう敵同士ではなく、アメリカの広く絡まり合った音楽史の一部となった。
80年代にはカウ・パンクと呼ばれたジャンルがロング・ライダーズやブラスターズ、ランク、ファイル、ジェイソン&ザ・スコーチャーズにより作られ、90年代にはオルタナティヴ・カントリー・ムーブメントがウィルコ、ジェイホークス、アンクル・トゥペロやサン・ヴォルトらによって巻き起こった。オルト・カントリーというジャンルには、偉大なるカントリー・ミュージシャンであるハンク・ウィリアムスと、フォークのヒーロー、ウッディ・ガスリーが多くの影響を与えたとも言われているが、その誰よりも多く影響を与えたと賞賛されるのは、いつもグラム・パーソンズなのだ。