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インタビュー

Trio Zero橋本学、伊藤志宏、織原良次が語る結成15年のデビュー作『Energetic Zero』

ゼロへ向かうエネルギーを放つ異色のピアノ・トリオ

(左から)伊藤志宏、橋本学、織原良次

リーダーの橋本学(ドラムス)、伊藤志宏(ピアノ)、織原良次(フレットレス・ベース)からなる〈Trio Zero〉が、満を持してファースト・アルバム『Energetic Zero』をリリースした。2005年の結成から、ちょうど15年後の快挙である。

橋本学は今世紀の初めから、数々のセッションに乞われるドラマーだった。それらに忙殺されているうち、自身の求める音楽との違いに気づいた彼はサイドメン活動の数を絞り、本来の〈やりたいこと〉にフォーカスを合わせるべくリーダー・バンドを開始。ほぼ同年代の伊藤志宏、織原良次と組んで、自らのオリジナル曲を中心とするTrio Zeroを始動させた。

結成当時は全員が20代で気鋭のだったが、歳月を経て、それぞれがさまざまなユニットで演奏する音楽シーンの第一人者に。なのに、その間、Trio Zeroはアルバムも出さずツアーにも出ず、それゆえ関東以外では〈幻のバンド〉と呼ばれることもあったという。

その〈幻〉が俄然、動き出したのは2018年のこと。結成以降初めてのツアーも同年に行なわれ、2020年、ついにアルバム『Energetic Zero』が録音・リリースされた。15年間、音楽的・人間的に強い結び合いを保ち続けるTrio Zeroの三者に話をきいた。

※この取材は政府の緊急事態宣言発出前に行いました

Trio Zero 『Energetic Zero』 Zero Point FIeld(2020)

 

橋本学のためならいつでも無条件に演奏する

――Trio Zeroが、結成15年にして遂にファースト・アルバム『Energetic Zero』をリリースしました。これほどのグループが、これまでレコーディングに取り組んでこなかったのは本当に不思議です。

橋本学「実は、あるプロデューサーからレコーディングの話をもちかけられたこともあるんです。でも、断ってしまった」

伊藤志宏「そんなことあったの?」

橋本「そのプロデューサーはもう亡くなってしまった方で、Trio Zeroの演奏を気に入ってくれてはいたんですけど、あまりにも僕のわがままが過ぎたというか。こういうところで録音したい、こういうエンジニアがいい、ジャケットにはこういうデザイナーがいいと、一緒に考えてくれるレーベルが見つからなかったんです。今回は最も理想的な感じで録音できたと思います」

――二度の活動休止を経て、2018年に再・再始動。同じメンバーで続いているのはすごいことです。

織原良次「僕は活動休止中もそんなにブランクを感じていなかったですよ。その間も、橋本さんとは西山瞳さんのプロジェクト(NHORHM)で演奏していましたし。橋本さんの中で何かの落とし前がついたから活動を再開したんでしょうし、彼が納得できるタイミングで僕を招集するのには何の違和感もない。〈いつでも行きます〉という感じです」

伊藤「僕もそうです。無条件でやりますよ。橋本くんとのつきあいはめちゃくちゃ長くて、一緒に辛酸もなめてきた。

そもそも彼に〈自分のバンドをやったら?〉と言ったのは僕なんですよ。ギター・トリオがいいんじゃないかと言ったの。そうしたらピアノ・トリオになって、自分がメンバーに誘われた(笑)。柏でのライブの帰りです。当時は東京から車で1~2時間のところでよく演奏していたんですよ。僕の車を使って一緒に移動していたんだけど、足が出るぐらいのギャラだった」

橋本「青梅まで行って1,000円とか、足柄まで行って800円とか」

伊藤「〈ごはん作ってくから乗っけてって〉って橋本さんがおにぎりを作って、僕が運転して」

橋本「それが20代の頃。昼から夜中までいろんなバンドで演奏してた」

伊藤「(橋本は)朝起きて、缶コーヒー飲んで、昼演奏して、そのあとラーメン食って、夜演奏して、帰りにラーメン食って、という感じで、そればっかりだと体を壊しますよ。そんな時代を一緒に過ごした盟友です。プロになって最初に仲良くなった友達。織原くんとは、そのあとに知り合った」

織原「橋本さんはずっと昼夜演奏してたんですよ、いろんな現場で」

橋本「スウィングするジャズも、ハードなブラジル音楽も、ラテン以外やりませんという人たちともいろいろ演奏しました」

織原「〈ドラムという楽器の特性上、いろんなバンドから依頼される橋本学だったが……〉という感じなんですけど、橋本学自身の音楽をやる場がほしかった。そこでいろんな活動を整理して、Trio Zeroを始めることになったんです」

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