作曲家からの、おもいがけない贈りもの
82年6月、岩城宏之指揮の札幌交響楽団は、武満徹の3作品の初演をおこなった。はなしは知っていたけれど、作曲家じしんのトークを、ひとり語りを、演奏とあわせて聴くことができるとは、おもいがけない贈りものと言っていい。
作品については、“ア・ウェイ・アローンII”も“海へII”も、先行する作品を大きな編成にした程度、といじわるな見方もできなくはない。だが、コンサートの構成として、どうだ。弦楽オーケストラから、それにアルト・フルートとハープが加わり、さらに大編成へと変わってゆく、ほぼおなじ時期の作品がまとめて演奏され、ひとつのながれのようになっていて、また、ある特定の日時・場所・演奏家というかたちになっているではないか。こうしたプログラム構成、複数の音楽作品の構成を、作品たちが織りなしている〈星座〉をとらえることができるなら、それだけでひとつの価値になるのではないか。
82年、どう過ごしていたっけ?
わたしはといえば、札幌でこのようなコンサートがおこなわれていたことも知らなかったし、同時代の音楽から距離をとっていた。これら作品を耳にするのもずっと先となるだろう。巷では、そう、いまあらためて注目をあびているシティ・ポップなるものが、たとえば山下達郎の“SPARKLE”が、大貫妙子の“黒のクレール”がまわりでは親しまれていた。
武満徹は前衛・実験的な志向から、70年代半ば過ぎ、もっと自由なかたちの音楽へとゆるやかに変わってきた。そこで生みおとされた果実が、これら3作品とみることもできる。そして、作曲家じしん意識的であることが、トークのなか、さいごに聴きとれたりする。じつはそうしたところが、武満徹の音楽のあり方にそっくりなのである。武満徹の語りくちは音楽作品とおなじテクスチュアを持つ。声がいい。テンポがいい。あいだにおかれる間がいい。ちょっと口ごもる音がいい(ダジャレへの、聴衆の反応はよろしくない……残念……)。そんな発見があるだけでも、このトークは聴く意味・価値がある。
ほぼ40年前でありながら、いまもちゃんとひびくことばがある。作曲家は、ひとに聴いてもらうより、まず、最初の聴衆として音を積極的に聴きだす、とか、世のなかをすこしでも新しく変えてゆくために、実験を絶やしてはいけない、とか。こういうところ、他人事ではなく、また、音楽のみではない、ひとの生き方や社会についても、みずからのなかでひびかせられるものではないか。
ひとの生は、作曲家ののこした音楽は、かたむける耳に、心身によって、それらがあることによって、さらに生き延びる、生き延びるのだろう。