武満徹“弧”全曲演奏に向けて
50年以上弾いてきて、今だからわかること
2022年3月、武満徹“弧”が高橋アキをソリストに迎えて、東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアルで演奏される。大規模な作品であり、演奏される機会も多くない。アキさんが演奏されるのも久々。この機会に、とおはなしをうかがった。
──東京オペラシティで武満さんの“弧”全曲を演奏されます。
「以前私がこの曲を弾いたのは1990年、武満徹さんの還暦祝いコンサート、だから、もう31年前になります。10月8日がお誕生日で、その翌日に、サントリーホールで大々的に、岩城宏之さん指揮でやりました。武満さんもお元気で、つきっきりでリハーサルもいらしてて。すごく印象に残っています」
──今回改めて譜面をご覧になって、考えられることなどは?
「やはり1960年代の作品です。そういう音がする、というかな。オーケストレーションも大きいし、かなり激しいところもあるし。だけど、不思議と武満さんにはいつも歌があってね。こっそりというか、いつも遠慮がちに出てきて。メインテーマっていうのか。そういうのが、さすが武満さん。大昔に私のことを書いてくださったときに、〈頭脳的なピアニストではあるけれど、実は肉体の深いところで音楽するひと〉みたいに書いていらしたんだけど、考えてみたら武満さんこそそうじゃないか、と思って。頭できっちり作っているつもりでいても、中からそういうのが出てくる。武満さんはよく、官能的な作曲家とか言われていますが、まさにそう。
武満さんと昔『ピアノの本』(1993年の9月110号)で対談したんです。亡くなられる3年前。専門の話じゃないから、すごくくつろいでいらしてね。私がそのとき〈武満さんてセクシーな作曲家だと思います〉なんて言ったら、〈もちろん、そうだ〉とか言われて、おかしかったの(笑)。〈セクシーというのは素晴らしい形容ですよ。僕はずうずうしくも自ら、I am the laziest composer, but I am the sexiest composer〉と言ってるんだ、とかね(笑)。そういうところを自分でもわかっていらして、そこが武満トーンというか、音楽の特徴というか、60年代の前衛的な作品でもつくづくそう思いました」
──1960年代の時代の武満さん、いまおもいかえすと、やはり若かったんだな、とおもうのです。10代から20代、30代という時期に、アヴァンギャルドなヨーロッパやアメリカの音楽に触れて、ああいう作品ができてきたんだ、と。
「そうですよね。全体的に世界の作曲家がリンクしていたみたいな気がします。第二次世界大戦があって、荒廃した中から何を始めよう、っていうときに、若い人たちに勢いがあった。実験工房の人たちもね。自分たちで世界を変えるみたいな勢いでやっていましたし。そういうことと、60年代は、ヨーロッパもシュトックハウゼンとか、みんな武満さんよりちょっと上だけど、ほとんど同世代でしょ。若い人たちがみんなさかんにやっていました」
──“弧”は、のちの武満作品とはいろいろな意味で違った書き方がされています。
「違いますね。60年代は、時代とのリンクをかなり意識していて、自分もそのなかにはいってやっていたけれど、だんだん自分の世界というもの、それが、若い時からずっともっていた〈歌〉ですかね……それがもろにでてきて、完成形というのかな、自分の世界、になっていった。60年代のぶつかりあいは、[たくさんの他者を]意識していた気がします。なにかとぶつかっていると、たとえば即興なんかもそうだけど、相手がいると、引きだされてくる、とか、そういうこともあったんじゃないかな、と」
──ピアノとオーケストラのための作品というのを武満さんはいくつか書かれています。
「思いだしてみたら、全部やっているんです。回数は多くないけど。“夢の引用”は2台ピアノですが、あれも岩城さんの指揮でメルボルンでやったし、大阪と東京でもね。あの時は武満さん、大阪も東京もいらして、新幹線も一緒でいろんなおしゃべりしましたっけ」
──“弧”、いまふりかえってみて、どういうふうに思われます?
「一番力が入っているというか、6つ楽章があるけれど、結構時期もばらばらで。それを集めてひとつにしているでしょ。1990年の演奏会で私がやったときはね、武満さんが、3楽章で演奏するよう指示がある“ピアニストのためのクロッシング”の図形楽譜がどこかにいっちゃってないから、代わりに“コロナ”でやってくれ、といわれ、私は“コロナ”で演奏したんです。私、68年に、自身のデビューみたいなもので“コロナ”をやっているんですね。だから考えてみると、武満作品はその時から現在にいたるまでずーっと50年以上弾き続けている。図形楽譜に関しても武満さんとやりとりしている。最初のレコーディングが、“コロナ”も入った日本クラウンの『ピアノコスモス』かな。そのときの、武満さんと一緒に何かしている写真が残っている。ですから、わりと作曲家と近くでやってきた。そんな身からすると、“クロッシング”に限っていうなら、今、世の中にでているCDとかの演奏でやっているものはなんかおかしいなというものもあるんです。インプロヴィゼーションみたいになっていて、ガンガンやりすぎていたりする。これ、武満さんが聴いたらおかしいって言うだろうな、と思うところもある。作曲家がいなくなった場合、研究した成果かもしれないけれど、恣意的にやるのはどうなのかなとか思うんですね。いま“クロッシング”の楽譜を、もしかしてこれかなというのが手元にあるんです。一柳慧さんが初演しているから、近いうちにお見せして、これでしたか?って訊こうかと思っています。あの曲にはいろいろな要素が入っているんです。“弧”は、武満さんのコスモスがはいっている。ほかの作品だとその時代時代のものってなっているような気がします。記憶としては、ね」
──武満さんのオーケストラ作品で、いわゆる、日本庭園を散策して、というようなことを作曲家本人が語った最初が“弧”かな、とおもっています。ですから、もっと先に書かれる作品と対照させてみたり、どういうふうに発展していったかというのをみるうえでも、“弧”は大事だな、と。
「そういえばそうかもしれないですね。なるほどね」
──“弧”は、オーケストラの配置が大変かと。ピアノパートはどうですか?
「そうなんですよ。ピアノは蓋はずしちゃって。“ピアニストのためのクロッシング”は図形楽譜をみて、内部奏法をやろうと。それ以外は、ポーンってミュートが2箇所しかない。譜面台もおけない。1990年の演奏写真をみるとピアノのなかに譜面いれているんです。ピアノはオケの中にはいっていて、蓋もなく、弾くところも少ない。それでも一応ソリストってなっているから。これから考えることはいろいろあるんじゃないかしら」
──アキさんは武満さんと親しい中で、曲の演奏のしかたなどお話されていたと思うのですが、いまあらためてご自分が弾かれるとき、作曲家に訊いてみたいな、ということなどおありでしょうか?
「どうなのかな……ここ、ミスプリじゃないですか?とか(笑)。音は馴染んできているから、これはミスだろうなとか、それ以外に音楽的なことで、どうなのかな……。よく外国の作曲家でいるけど、自分の曲を分析して、レクチャーなんかできちんとお話しする方いらっしゃるでしょう? 彼自身も言っているけど、そういうの苦手でね。最初はきちーっと考えはするけど、いざ書きだしたらどうでもよくなっちゃって、ばーっと書いちゃう、とか(笑)。そういうことより、もっと自分の歌いたい歌をだす、みたいな感じ。だから、私自身、若いころからね、わりとかちっと正確に弾くような感じでいたけど、だんだん年の功っていうか、年取ってくるとだんだんどうでもいいやっていうんじゃないけど、もっとやっぱり歌をながしていきたいとかね。だから、今になってもうちょっとわかってきたというところがあって、すごく面白いですよ」
──アナリーゼを超えてしまうような何か、ということですかね。
「そう、そう(笑)。まあそこにこそ音楽の本質があるはずなんでね。まあ、曲にもよるけどね。特に武満さんの音楽にはそう思いますね」
高橋アキ(たかはし・あき)
鎌倉生まれ。東京藝術大学付属高校、同大学を経て同大学院修了。大学院1年の時、武満徹作品を弾いてデビュー。透明な響き、音色の柔軟な感受性をもって現代曲を演奏し、鮮烈な衝撃を与えた。1970年、初リサイタルを開催。72年にはじめてヨーロッパに渡り、ベルリン芸術週間、パリ秋の芸術祭などでリサイタルを開き好評を博す。その後も毎年、海外の主要音楽祭から招待され続けている。著書に「パルランド ー私のピアノ人生ー」(春秋社、2013)がある。
寄稿者プロフィール
小沼純一 Jun’ichi Konuma
早稲田大学文学学術院教授。音楽文化論、音楽・文芸批評。今年3月、青土社から「武満徹逍遥 遠ざかる季節から」を上梓。近況……あいかわらずあらゆるライヴ/コンサート、ダンス/演劇、映画、とは無縁に暮らしています。じぶんがちょっとしゃべるときだけは例外で。このまま忘れられてしまうだろうな、という危惧なんだか安堵なんだかをおぼえつつ。
LIVE INFORMATION
武満徹 弧【アーク】
2022年3月2日(水)東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル
開演:19:00
出演:カーチュン・ウォン(指揮)/高橋アキ(ピアノ)*/東京フィルハーモニー交響楽団
■曲目
武満徹:地平線のドーリア(1966)
武満徹:弦楽のためのレクイエム(1957)
武満徹:ア・ウェイ・ア・ローンII(1981)
武満徹:弧(アーク)(1963-66/76)*
2021年12月21日一般発売
https://www.operacity.jp/concert/calendar/detail.php?id=14965