今なお刺激的なYohji Yamamotoのパリ・コレクションのために書き下ろした楽曲たち
高橋幸宏と鈴木慶一がTHE BEATNIKSを結成したのが81年。気がつけば今年で40周年を迎える息の長いユニットになったが、彼らが90年代に唯一リリースした『THE SHOW YOHJI YAMAMOTO COLLECTION MUSIC』が装いも新たに再発される。本作は山本耀司が96年に行ったパリ・コレクションのために制作されたもの。高橋は山本と古くからの付き合いで、高橋は以前にも山本のパリコレ用に曲を手掛け、それを『La pensee』(87年)というアルバムにまとめている。なぜ、この年はTHE BEATNIKSだったのか。
「当時、僕は耀司さんとコンシピオというレーベルを始めたばかりで、それで僕から〈ビートニクスでやるのはどうですか?〉って言ったような気がします。コレクションで発表される服の仕上がりを待ってからの音楽制作では間に合わないので、耀司さんからイメージやコンセプトをうかがったり、耀司さんが描くスケッチを見せてもらって、そこから受けた印象で慶一に〈ちょっとロックにやりたいんだよね〉って言ったんじゃなかったかな」(高橋)
「ロックっぽく」と言っても、そこはTHE BEATNIKS。2人はロックをイメージしながらも、同時にロックを解体するようなアプローチをとった。
「スタジオが実験工房みたいなものだったね。スタジオにある楽器や持ち込んだガジェットを手当たり次第に使って、インプロヴィゼーションでいろいやってみた。CMやファッションショーの音楽って、実はすごく実験的だったんだ。最先端のアイデアをぶち込まないとダメだと思ったんだよ」(鈴木)
「ドラムのプロではない人を連れて来て、テンポも何も言わずに叩いてもらったりね。林立夫君のお兄さんなんですけど(笑)。実は彼はヨウジヤマモトの経営スタッフのひとりで、そのドラムのピッチを落として使ったりしたんです」(高橋)
そのほかにも、息を吸い込む音をサンプリングしたり、ハンドクラップだけで曲を作ったり、アルバムには様々なアイデアがちりばめられている。そこでロックなテイストを生み出しているのが、鈴木が弾く荒々しいギターとインダストリアルなビート。THE BEATNIKSの作品の中でも、彼らの先鋭的な部分が突出した作品になったのは山本の存在が大きかった。
「曲が出来ると、少しずつ耀司さんに聴いてもらうわけですけど、意見を聞くと、最初の頃は〈ちょっと音楽的すぎるかな〉なんて言われたりしてましたね。ファッションと音楽がぶつからないようにしたかったのかもしれない。チャンネルごとに音が欲しいということで、出来た曲をまたバラしたりして。ショーの現場では自分が使いたい音を出してたみたいということなんですね。音楽に関しては耀司さんの方が実験的なんですよ(笑)」(高橋)
「私は(耀司さんに)〈未完成で投げ出したような感じで〉って言われたのを覚えている。ポップ・ミュージックの範疇にはないものを望んでいたんじゃないかな。となれば即興で作って、録音しながらエディットしたほうがいいと思って。2日間でいっきに作ったから、他のアルバムみたいに何度も聞き直したり練り直したりしていないから、聴き直すととても興味深い。だから個人的にすごく気に入ってる作品なんです」(鈴木)
『THE SHOW』はTHE BEATNIKS名義ではあるけれど、山本と3人のコラボレートから生まれた作品であり、山本というブラックボックスを通過することで異色のサウンドに仕上がった。また今回、高橋が単独で手掛けた97年のパリコレ用音源『THE SHOW YOHJI YAMAMOTO COLLECTION MUSIC』も同時に再発されるが、THE BEATNIKSの作品とは違って緻密に構築された、シリアスで緊張感に満ちたサウンド。当然、そこにも山本からの影響がある。
「耀司さんってシリアスなんですよ、実は。ユーモアもあるけどシリアス。つまり、すごく不真面目なことを真面目にやる。天才ってそういうところがあるんじゃないかな。THE BEATNIKSでやるにしても、ソロでやるにしても、耀司さんのショーじゃなければ、こういう音を作っていなかったと思いますね」(高橋)
音楽的ではない音楽を求めるファッションデザイナーと、スキルを駆使して(時にはあえて放棄して)難しいオーダーに応える音楽家。アーティストの感性が火花をちらす2枚の『THE SHOW』が今聴いても新鮮なのは、完成することを、そして、ありきたりの音楽になることを拒否する作品だからだろう。聴く者のイマジネイションを刺激しながら、ショウは今も続いているのだ。
PROFILE: 高橋幸宏(Yukihiro Takahashi)
1972年、加藤和彦率いる〈サディスティック・ミカ・バンド〉に参加。1978年、細野晴臣、坂本龍一とともに〈Yellow Magic Orchestra(YMO)〉を結成。ソロ活動と併行して、1981年からの鈴木慶一(ムーンライダーズ)との〈THE BEATNIKS〉、2001年からの細野晴臣との〈SKETCH SHOW〉、2008年からの原田知世や高野寛、高田漣等との〈pupa(ピューパ)〉など様々なバンドで活動。ソロとしては、1978年の1stアルバム『Saravah!』以来、通算23枚のオリジナル・アルバムを発表。2015年、小山田圭吾、砂原良徳、TOWA TEI、ゴンドウトモヒコ、LEO今井とのバンド〈METAFIVE〉を結成。2018年、約7年ぶりにTHE BEATNIKSが活動を再開。
PROFILE: 鈴木慶一(Keiichi Suzuki)
1970年頃より音楽活動を開始。1972年に、〈はちみつぱい〉を結成。日本語によるロックの先駆的な活動を展開しアルバム『センチメンタル通り』をリリース。はちみつぱい解散後に、ムーンライダーズを結成し1976年アルバム『火の玉ボーイ』でデビュー。バンド活動の傍ら膨大なCM音楽、アイドル、演歌など幅広い楽曲提供とプロデュース、「MOTHER」「MOTHER2 ギーグの逆襲」などのゲーム音楽に関わり、人々に大きな影響を与えている。映画音楽では北野武監督の「座頭市」、「アウトレイジビヨンド~最終章~」で日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞。2015年に音楽家生活45周年を迎えた。俳優としての顔も持ち映画やドラマへの出演も多数。