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2021年にワープからリリースされたナラ・シネフロのデビュー作『Space 1.8』は、Pitchforkが〈アンビエントジャズのベンチマーク〉と称賛して〈Best New Music〉に選び、多くのメディアが年間ベストアルバムに選出するなど、高い評価を受けた。本作がこのたび日本盤としてリリースされ、国内で本格的に紹介されはじめている。とはいえ、これまでほとんど知られていなかった彼女はどんな音楽家なのだろうか? どこか抽象的な『Space 1.8』の魅力とは? そんな問いに答えるべく、細田成嗣と伏見瞬という気鋭の書き手2人が、それぞれ〈ジャズ〉と〈アンビエント〉という観点から本作に迫った。 *Mikiki編集部

NALA SINEPHRO 『Space 1.8』 Warp/BEAT(2022)

 

開かれたジャズコミュニティーを背景に生まれた個人と集団の両面性
by 細田成嗣

96年生まれのミュージシャン兼プロデューサー、ナラ・シネフロは、ロンドンの某ジャズ大学をわずか3週間でドロップアウトした。理由の一つは白人中心主義的な教育方針にあったようだ。カリブ系ベルギー人で仏領マルティニークにルーツを持つ彼女にとって、白人が白人のために体系化し白人に向けて講義を行う旧態依然としたジャズの世界はほとんど人種差別と等しかった。

だが同時に彼女を受け入れた場所もまたジャズだった。正確には便宜的にそのように呼ばれている、雑多なジャンルが入り混じったイギリスの音楽シーンである。例えば91年に設立されたロンドンに本部を置く教育機関のトゥモローズ・ウォリアーズは、有色人種や若者、女性などマイノリティーに向けた教育を無償で提供しており、現在ではその卒業生であるヌバイア・ガルシアやシャーリー・テテ、ジェイムズ・モリソンらを含む多数のミュージシャンが独自のコミュニティーを形成している。また、アナンセ(Ahnansé)が2017年に設立したアーティストコレクティブであり、毎週水曜日に同名イベントを開催しているスチーム・ダウンも、ロンドン南東部でローカルなコミュニティーを築いてきた。ベルギー出身で2017年にロンドンへと移住したシネフロは、某ジャズ大学を辞める一方でヌバイア・ガルシアやアナンセらとの出会いを通じて自らの居場所を見出していったのだ。そしてそうした交流のプロセスがワープから2021年9月にリリースされた彼女のデビュー作『Space 1.8』で唯一無二の音楽へと結実することとなる。

各楽曲を8つの空間(スペース)に見立てた『Space 1.8』は、スピリチュアルでメディテーティブな、ジャズとアンビエントの両面性を備えた作風に仕上がっている。それはジョン・ハッセルやアリス・コルトレーンらの系譜を引き継いでいるとも、サム・ゲンデルやイーライ・ケスラーらとの同時代性を表しているとも言える。だがシネフロはおそらく、系譜とも同時代性とも別の場所で、端的に個人的な動機からこのような音楽を生み出したのだろう。制作は2017年から始まっているため、ヒーリング的な要素はコロナ禍と無関係でもある。

シネフロの制作手法にフォーカスするのであれば、本盤は大別して二種類の楽曲群に区分けすることができる。すなわち、彼女が独りで宅録作業を行った、あるいは参加メンバーの音を素材に多重録音したミュジーク・コンクレート色の濃い作品と、参加メンバーのセッションを前面に出した、いわば演奏性の強いコミュニカティブな作品だ。前者には鳥の声や虫の音が聴こえる1曲目や心臓の鼓動を模した5曲目、ミニマルなサウンドデザインの7曲目、および多種類の音響がドローン状に溶け合う長尺の8曲目がある。対して後者はピアノやサックスのモーダルで抑制的なアドリブが印象に残る2曲目と4曲目、3時間にわたる即興セッションから約1分間を切り出して素材とした3曲目、シンセサイザーの持続音とサックスの反復フレーズがヨレたドラムスのビートを強調する6曲目がある。実はこれら二種類の楽曲群は、シネフロがハープを演奏しているか否かで分けることもできる。演奏性の強いコミュニカティブな作品ではシンセサイザー類に徹しているのだ。

『Space 1.8』

彼女にとってハープとは、高校時代に人知れずこっそりと弾き続けていた、極めて個人的な楽器でもあった。他方でモジュラーシンセサイザーは本盤の制作開始と相前後して購入したそうで、アルバム制作と並行して独学で奏法を身につけていったのだという。つまり内面をあらためて見つめ直すような個人制作と、他者と新たな手段でコミュニケートする集団制作が、本盤では全体の統一されたトーンのうちに混在している。それは表面的なサウンドフィギュアであるところのジャズとアンビエントという以上に本質的な両面性であるように思う。そしてそのような両面性を打ち出すことが可能だったのは、彼女が個と集団を行き来できるようなジャズコミュニティーを他に代え難い居場所としていたからだろう。その際に用いるジャズなる言葉が固定的で排他的な閉鎖世界ではなく、変化と多様性を受け入れる開かれたあり方を意味していることはあらためて言うまでもない。