
©Vortex sutra

©2004 Rectangle Productions / Leap Films Ltd / 1551264 Ontario Inc / Arte France Cinéma

©1996 WBEI
女優を女優が演じる映画の魅惑とは何か。それは、そのメタ的な構造を介して〈演じる〉ことの複雑さや魔法への考察が展開されることにある。たとえば、「ロアン~」のドラマ部分でマギー・チャンが足を組んで座り、傍らの男性に煙草の煙を吹きかける挑発的な場面がある。その動作は彼女が出演する映画での演技とそっくりそのままであることが後で分かり、その同じ動作が撮影現場で反復され、さらには30年代の映画でのリンユイの演技としても反復される。僕らは現実の振る舞い(オリジナル)を俳優の〈演技〉(コピー)で再現されたものを映画で見ている気でいるが、事態は複雑なのだ。女優(僕ら?)は日常ですでに〈演技〉をしているのかもしれず、オリジナル(現実)とコピー(模倣)の見分けがつかない次元にこそ〈演技〉がある。監督によるインタビューでかつての名女優と自分を比較するとき、〈女優〉であるマギー・チャンが〈演技〉をしていないと言い切れるだろうか。こうしてマギー・チャンの魅惑は、〈演技〉や〈女優〉とは何か……とメタレベルの思考へと僕らを促す点において鮮明になる。そして、そんな刺激的な試みは、フランスの優れた映画作家オリヴィエ・アサイヤスの手による「イルマ・ヴェップ」(96)、ロックスターを夫にもつ歌手を演じ、目下のところ彼女が主演した最後の映画である「クリーン」(04)へと継承され、変奏や反復を重ねるのだ。
マギー・チャンが銀幕から遠ざかるのは、香港映画の〈魔法〉がさまざまな要因から影を潜め、スターがスターであることが困難になった時期に合致する。しかし、僕らの目前には映画が残される。「ロアン~」での彼女がはるか以前に亡くなった伝説の女優と共鳴し、ともに手を取り合って演じるかのようだ、と先に書いたが、そんな生死や年齢を超えた時間の提起にこそ、映画の本質が宿るのではないか……。マギー・チャンはあの美貌と若々しさを数々の出演作において今も湛え、逡巡からの決断や跳躍を繰り返す。時間の制約を超えたスクリーン上の魅惑の空間に身を投じ、かつて映画が映画であり、スターがスターであった時代に躍動した〈女優〉の姿を瞳に焼き付け、今後現れるかもしれない彼女の新作に夢を馳せようではないか。
CINEMA INFORMATION
こけら落とし特集上映
「マギー・チャン レトロスペクティブ」
「欲望の翼 デジタルリマスター版」(1990年/香港/95分/DCP)
「ロアン・リンユイ/阮玲玉 4K」(1991年/香港/155分/デジタル上映)
「ラヴソング」(1996年/香港/118分/35mm)
「イルマ・ヴェップ」(1996年/フランス/98分/Blu-ray)
「花様年華 4K」(2000年/香港/98分/DCP)
「クリーン」(2004年/フランス・イギリス・カナダ/111分/35mm)
「楽園の瑕 終極版」(2008年/94分/Blu-ray)
2023年6月16日(金)より、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて開催!
※上映作品追加の可能性あり、詳細は公式サイトへ
https://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/23_MaggieCheung.html
2023年6月16日(金)オープン Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下
東京都渋谷区渋谷1丁目24-12 渋谷東映プラザ7F&9F
https://www.bunkamura.co.jp/topics/cinema/7273.html