(C)伊藤真司

 

 バルカン室内管弦楽団は、旧ユーゴスラヴィア崩壊に伴う民族紛争によって分断された人々のつながりを取り戻すために、日本人指揮者の柳澤寿男(やなぎさわ としお)によって2007年に結成された団体である。

 今年は第1次世界大戦の引き金となったサラエボ事件(オーストリア皇太子暗殺)から100周年。ウィーン・フィルはそのサラエボで事件当日に当たる6月28日に演奏会を行って大きな話題となったが、その1週間後にも意義深い公演があった。それがコソヴォの民族間対立をのりこえて集まった音楽家たちによるベートーヴェンの「第9」旧南ユーゴ初演で、中心となったのが、柳澤指揮のバルカン室内管弦楽団であった。

 柳澤はパリのエコール・ノルマルに学び、レヴァインマズアらに師事、東京国際音楽コンクール2位という経歴。日本国内のプロオケにもたびたび客演していたが、この地域で活躍するようになったのは、たまたまマケドニア旧ユーゴスラヴィア歌劇場に客演したのがきっかけである。好評を得た柳澤は同歌劇場首席指揮者に抜擢され、現在ではコソヴォ・フィル首席指揮者、ベオグラード・シンフォニエッタ名誉首席指揮者、ニーシュ交響楽団首席客演指揮者と3つのポストをこの地域に持つ。

【参考動画】柳澤寿男指揮、コソヴォ・フィルの演奏によるR・ルディ作曲 "Simfonia"パフォーマンス映像

 

 「バルカンといっても広いのですが、私がいるのは西バルカンですね。旧ユーゴスラヴィアは7つに分裂しているのですが、コソヴォ以外はスラヴ系民族です。文化的にはチャイコフスキードヴォルザークスメタナバルトークあたりと同じ部類だと思っていただいていいです。旧ユーゴスラヴィアの北側はかつてオーストリア・ハンガリー帝国で、南側はオスマン・トルコでしたから、西と東の中間点で、文化的にはすごく面白い。街の中でも、教会の鐘とコーランが一緒に聴こえてくるんですよ。バルカン室内管弦楽団は、民族合同というコンセプトには賛成してくれても、現実には難しいことがたくさんありました。あの町には行けないとか、うちの施設は絶対に貸さないと言いに来るとか、日本のテレビが取材しているときに石を投げられたのが頭に当たったことも。人にものを投げられた経験がないので、実際投げられるとショックです。純粋にいいことをしているつもりでも、賛成しない人もいる」

 最初は、コソヴォ紛争のことなど、ほとんどの日本人と同様「まったく対岸の火事のように思っていた」という柳澤だが、こうした活動は、第三者的な日本人音楽家だからこそできた面も大きかったという。

 「メンバーどうしでの緊張関係は、いまでも難しいところがあります。音楽をやっている間は、どの民族であるかということは関係なくなるけれど、特に歴史認識の問題は難しい」。「西バルカンの作曲家の作品を後世に残すのも、私の仕事」という柳澤は、今回のレコーディングでもコソヴォの作曲家ベチリの作品を収録。「ベチリは、コソボに住んでいるアルバニア人でイスラム教徒なんです。この曲もスラヴにイスラムの感じが加わった感じがして面白い」

柳澤寿男,BALKAN CHAMBER ORCHESTRA 戦場のタクト キング(2014)

 メインはバルトークのルーマニア民族舞曲とショスタコーヴィチの室内交響曲op.110a(バルシャイ編)というのも、ある種、生々しい内容となっている。

 「ショスタコーヴィチは、第4楽章の“ガン、ガン、ガン”という音がKGBが扉をノックする音だなんて言われているけど、彼らは同じような経験を90年代にしているんです。そういう意味では、絶対に日本のオケでは出ない音が、断片的には出ていると思うんです。これは高い可能性を秘めたオケですし、未来に向けてのタネみたいなものにしたい。そして何より、かつて戦争をした人たちが一緒にやっている喜びも残したいのです」

 音楽上の興味深さという意味でももちろん注目されるが、民族や国家の対立をいかに文化の力によって乗り越えるかというテーマは、私たちにとっても決して他人事ではない。

 最後のキーワードとして「世界市民」という言葉を柳澤は語ってくれたが、この言葉の意味は、今後ますますどの国の音楽家にとっても、重いものとなってくるはずだ。

【参考動画】柳澤寿男出演のセミナーDVD
「戦場で奏でる、平和へのタクト 〈日本人指揮者、国境を超えるオーケストラの奇跡〉」紹介動画