「ゲンダイオンガク」という言葉が想起される音楽的クリシェはもうない。
自らの美学を追い求めた世代の音楽に浸る夏の一週間がやってくる。
コンテンポラリーを愛する音楽ファンにとって夏の最大のイヴェントといえばサントリーホール サマーフェスティバルだろう。多くの現代音楽ファンがコンテンポラリー漬けの夏の1週間を心待ちにしているはずだ。1987年から続くサマーフェスティバルだが、サントリー芸術財団50周年の今年は例年以上に豪華なラインナップとなっている。
サマーフェスティバルのプログラムは大きく分けて3つの部分から成る。1つ目は「ザ・プロデューサー・シリーズ」で、今年は指揮者の大野和士がプロデューサーを務める。彼の提案したプログラムを一言で言い表すとすれば「ヨーロッパの現代音楽界のいま」だろう。ヨーロッパの楽壇の最前線を走り続けてきた大野らしい“ホンモノ”にこだわった質の高いプログラムとなっている。室内楽コンサートでは、マグヌス・リンドベルイ、マーク=アンソニー・ターネジ、ヴォルフガング・リーム、細川俊夫、そしてサルヴァトーレ・シャリーノの作品が1作品ずつ演奏される。5人全員が戦後生まれであり、今日のヨーロッパ楽壇でもっとも影響力のある5人が揃ったと言える。彼らの作品を一度に聴くことができるこのコンサートはヨーロッパの現代音楽のいまを知るにはまたとない機会となるだろう。
大野和士が提案するプログラムの2つ目はジョージ・ベンジャミンのオペラ『リトゥン・オン・スキン』だ。ジョージ・ベンジャミンもまた戦後生まれの重要な作曲家で、1960年イギリス生まれだが、メシアンやブーレーズに認められ、キャリアの初期からイギリスのみならず、フランスをはじめとするヨーロッパ各国で注目されてきた人物だ。指揮者としても活躍し、昨年9月にはベルリン・フィルの指揮台にも登った。優れた教育者でもあり、藤倉大の師として、あるいは2003年度の武満徹作曲賞の審査員としてその名を知った人も多いかもしれない。このように、彼は圧倒的な音楽的才能を天から与えられている選ばれし芸術家なのだ。そんな彼の近年の代表作と言えるのが今回日本初演されるオペラ『リトゥン・オン・スキン』である。2012年にエクサン=プロヴァンス音楽祭で初演されたこのオペラは高い評価を得て、その後もロンドン、パリとヨーロッパ各地で上演された。大野は『リトゥン・オン・スキン』を「現代のトリスタンとイゾルデ」と評しているが、まさにその言葉通り、このオペラは繊細で官能的なベンジャミンの音楽の魅力を堪能できる作品である。今回大野和士の指揮のもと、藤木大地ら優れた歌手陣と、大野のパートナー、東京都交響楽団の演奏でこのオペラを聴くことができるのは本当に楽しみだ。完全な舞台上演ではなく、セミ・ステージ形式での上演となるが、これはサントリーホールの素晴らしい響きの中でベンジャミンの音楽を堪能して欲しいという大野のこだわりのようだ。
サマーフェスティバルの2つ目の核となるプログラムは、「テーマ作曲家」シリーズで、今年は1958年スイス生まれの作曲家ミカエル・ジャレルを迎える。非常に優れたエクリチュールを持ち、前衛性を闇雲に追いかけることはせずに自らの理想とする美しい音響世界を構築してきたジャレルは、同世代の作曲家たちの中でも独自の地位を築いてきた。そうした彼の音楽は若い世代にも影響を与え、ジュネーブの彼のクラスには、酒井健治や横井佑未子のような若き才能が世界中から集まってくるのだ。
今回は、作曲ワークショップや室内楽コンサート、そして管弦楽コンサートが行われるが、最大の注目はやはりサントリーホールが委嘱したジャレルの新作ヴァイオリン協奏曲の世界初演だろう。ヴァイオリン独奏を務めるのはフランスのトップスター、ルノー・カプソン、指揮はパスカル・ロフェという大変豪華な布陣である。これまた聴き逃せないものとなりそうだ。
サマーフェスティバル3つ目の核は、コンテンポラリーファンにはおなじみの芥川也寸志サントリー作曲賞(旧称芥川作曲賞)選考演奏会である。29回目の今年も、2年前の受賞者の作品世界初演と今年度ノミネート作品の演奏および公開審査が行われる。武満徹作曲賞と並ぶ日本の作曲界の最重要イヴェントだ。このスリリングな音楽イヴェントにぜひ足を運んで、日本の現代音楽界のいまを体感して欲しい。
ジョージ・ベンジャミンとミカエル・ジャレルを中心とした今年のサマーフェスティバルのプログラムは、ヨーロッパの作曲界のいまをとらえた絶妙なものだ。ベンジャミン、ジャレル、あるいはリンドベルイ、リーム、細川。彼らはブーレーズらダルムシュタット世代の巨大な存在を感じながら、自分たちの新しい美を必死にそして素直に探し続けてきた世代だ。彼らの音楽には「ゲンダイオンガク」という言葉が想起させる音楽的クリシェはもうない。そんな彼らの音楽にこの夏は身を委ねてみてはいかがだろうか。
text:八木宏之
LIVE INFORMATION
サントリーホール サマーフェスティバル2019 ~サントリー芸術財団50周年記念~
○8/23(金)~8/31(土)
ザ・プロデューサー・シリーズ 大野和士がひらく
大野和士が語る〈現代オペラ〉クロニクル
○8/23(金)18:30開場/19:00開始 会場:ブルーローズ(小ホール)
大野セレクションの室内楽
○8/24(土)15:20開場/16:00開演 会場:ブルーローズ(小ホール)
□マグヌス・リンドベルイ(1958~):『オットーニ』金管アンサンブルのための(2005)
【演奏】板倉康明(指揮)有馬純晴/伴野涼介/岸上 穣/阿部雅人(hr)/川田修一/伊藤 駿/大西敏幸/坂井俊博(tp)/山口尚人/西岡 基/池城 勉(tb)/ピーター・リンク(tuba)
□マーク=アンソニー・ターネジ(1960~):『デュエッティ・ダモーレ』ヴァイオリンとチェロのための(2015)
【演奏】川久保賜紀(vn)/伊藤悠貴(vc)
□ヴォルフガング・リーム(1952~):『ビルドニス : アナクレオン』 テノール、ピアノ、ハープ、クラリネット、チェロのための(2004)
【演奏】吉田浩之(T)/永野英樹(p)/木村茉莉(hp)/西澤春代(cl)/高麗正史(vc)
□細川俊夫(1955~):『悲しみの河』リコーダーと弦楽アンサンブルのための(2016)※日本初演
【演奏】板倉康明(指揮)/鈴木俊哉(rec)/東京シンフォニエッタ
□サルヴァトーレ・シャリーノ(1947~):『ジェズアルド・センツァ・パローレ』アンサンブルのための(2013)※日本初演
【演奏】斎藤和志(fl)/渡辺康之(ob)/西澤春代(cl)/和田光世/佐々木啓恵(perc)/山本千鶴(vn)/百武由紀(va)/高麗正史(vc)
ジョージ・ベンジャミン:オペラ『リトゥン・オン・スキン』
※日本初演 セミ・ステージ形式 英語上演、日本語字幕付
○8/28(水)&8/29(木)18:20開場/19:00開演 会場:大ホール
【演奏】大野和士/(指揮)東京都交響楽団/アンドルー・シュレーダー(Br)/スザンヌ・エルマーク(S)/藤木大地(C-T)/小林由佳(MS)/ジョン・健・ヌッツォ(T)
台本:マーティン・クリンプ
舞台総合美術:針生 康
テーマ作曲家 〈ミカエル・ジャレル〉
サントリーホール国際作曲家委嘱シリーズNo. 42(監修:細川俊夫)
《ジャレルの作曲ワークショップ》
○8/25(日)14:30開場/15:00開始 会場:ブルーローズ(小ホール)
【出演】ミカエル・ジャレル(講師)/細川俊夫(進行)/受講生
《室内楽》
○8/26(月)17:45開場/19:00開演 会場:ブルーローズ(小ホール)
*プレ・トーク[ミカエル・ジャレル&細川俊夫] 18:05~18:50頃 ブルーローズ(小ホール)
ミカエル・ジャレル(1958~):
□エチュード ピアノのための(2011) 永野英樹(p)
□『ベーブング(ヴィブラート)』クラリネットとチェロのための(1995)上田 希(cl)多井智紀(vc)
□『分岐された思考』弦楽四重奏のための(2015)
辺見康孝/亀井庸州(vn)安田貴裕(va)多井智紀(vc)
□『無言歌』ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための(2012) 辺見康孝(vn)多井智紀(vc)永野英樹(p)
□『エコ』声とピアノのための(1986)太田真紀(S)永野英樹(p)
□『分岐』アンサンブルのための(2016)※日本初演
キハラ良尚(指揮)上野由恵(fl)上田 希(cl)山根孝司(b-cl)神田佳子(perc)永野英樹(p)辺見康孝(vn)安田貴裕(va)多井智紀(vc)地代所 悠(cb)
《管弦楽》
○8/30(金)18:20開場/19:00開演 大ホール
□横井佑未子(1980~):『メモリウムⅢ』オーケストラのための(2012~13/19)※改訂版世界初演
□ミカエル・ジャレル(1958~):ヴァイオリンとオーケストラのための新作(2019)※世界初演 ★
□ミカエル・ジャレル:『...今までこの上なく晴れわたっていた空が突然恐ろしい嵐となり...』オーケストラのための(2009)※日本初演
□アルバン・ベルク(1885~1935):管弦楽のための3つの小品 作品6
【出演】パスカル・ロフェ(指揮)ルノー・カプソン (vn)★ 東京交響楽団
第29回芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会(旧名芥川作曲賞)
○8/31(土)14:20開場/15:00開演 大ホール
□第27回 芥川作曲賞受賞記念サントリー芸術財団委嘱作品 茂木宏文(1988~):『雲の記憶』チェロとオーケストラのための(2019)★1 ※世界初演
□第29回 芥川也寸志サントリー作曲賞候補作品(50音順/曲順未定) 稲森安太己(1978~):『擦れ違いから断絶』大アンサンブルのための(2018)
□北爪裕道(1987~):自動演奏ピアノ、2人の打楽器奏者、アンサンブルと電子音響のための協奏曲 (2018)★2
□鈴木治行(1962~):『回転羅針儀』室内管弦楽のための(2018)
【出演】杉山洋一(指揮)山澤 慧(vc)★1 菅原 淳/石田湧次(perc)★2 有馬純寿(electronics)★2 新日本フィルハーモニー交響楽団
候補作品演奏の後、公開選考会(司会:伊東信宏) 選考委員(50音順):斉木由美/坂東祐大/南 聡
www.suntory.co.jp/suntoryhall/feature/summer2019/