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櫻井敦司

66年3月7日生まれ、群馬県藤岡市出身のミュージシャン。

同じ高校(BOØWYの氷室京介は同校の先輩にあたる)に通っていた今井寿、星野英彦、樋口豊、アラキと共にBUCK-TICKの前身バンドである非難GO-GOを結成。スターリンのカバーを行っていたが、オリジナル曲の制作を始めたころにBUCK-TICKへ改名した。

高校卒業後、いったん就職するが父の他界を機に会社を辞め、上京してバンド活動を続けた。また当初はドラムを担当していたが、85年に今井がボーカルのアラキに交代を申し入れ脱退。櫻井がボーカリストに立候補し、以降はボーカルを務めることに。

87年にメジャーへ進出し、〈バクチク現象〉と呼ばれるムーブメントを巻き起こす。89年にメジャーサードアルバム『TABOO』でついに初の初登場1位を獲得するが、今井の不祥事でバンドは一時活動休止となる。

BUCK-TICK 『TABOO』 ビクター/Invitation(1991)

半年間を経た活動再開後もツアーやライブ、アルバム・シングルのリリースをコンスタントに行い、90年には『悪の華』、95年には『Six/Nine』でも初登場1位を獲得と根強い人気を誇った。

BUCK-TICK 『悪の華』 ビクター/Invitation(1990)

BUCK-TICK 『Six/Nine』 ビクター/Invitation(1995)

BUCK-TICK 『CATALOGUE THE BEST 35th anniv.』 Linguea Saunda/ビクター(2022)

BUCK-TICKでの活動を軸に、独英日のメンバーからなるSCHWEINへの参加や、2004年以降のソロ活動も展開。シングルを3枚、アルバムを1枚発表した。

2015年にはソロプロジェクト、THE MORTALを始動。椎名林檎との“駆け落ち者”のほか、ボーカリストとしての客演も行なった。

2023年10月19日の公演中に体調不良を訴え、同日に脳幹出血のため死去。57歳没。

 

もんたよしのり

1951年1月8日生まれ、広島県福山市出身のシンガーソングライター。本名は門田頼命(かどたよしのり)。

神戸で育ち、70年に全日本フォークジャンボリーに中川イサトらとともにインスタンツとして出演。その後上京し、71年にシングル“この足の鎖ひきちぎりたい”でソロ歌手としてデビュー。だが東京での活動は、もんた頼命名義で76年にアルバム『HORIZON』の1枚を発表したのみとうまくいかず、神戸に戻る。

再起をかけて、80年にもんた&ブラザーズを結成。再デビューを果たしてリリースした“ダンシング・オールナイト”が発売前から有線放送で火がつき、オリコン1位を獲得した。日本レコード大賞をはじめ賞レースで多くの受賞を重ね、同曲で「NHK紅白歌合戦」にも出場するほどの大ヒットとなった。

また、83年には大橋純子とのデュエット曲“夏女ソニア”、西城秀樹の“ギャランドゥ”ほか提供曲もヒットを飛ばした。84年にはもんた&ブラザーズを解散させ、音楽活動を一時休止。

本名名義で俳優として主演した映画「愛しき日々よ」(84年)など、音楽以外でも幅広く活躍。86年に再び歌手活動を再開させ、2007年にはもんた&ブラザーズを再結成する。卍LINE(窪塚洋介)らとの“ありがとう”(2009年)が話題になるなど、レゲエにもチャレンジしている。

もんた&ブラザーズ 『ゴールデン☆ベスト もんた&ブラザーズ シングルス・プラス』 ユニバーサル(2023)

2023年10月18日に大動脈解離のため死去。72歳没。