知性と品格を備えた優美な表現で70年代にブレイクした偉大なシンガー、ロバータ・フラックが天に召された。今回は唯一無二の才能と功績に敬意を表して、そのキャリアと数々の名作を改めて振り返ってみよう!

 クールで知的、穏やかでありながら戦闘的――2月24日に88歳でこの世を去ったロバータ・フラックの訃報を受けてSNSにそう投稿したのはローリン・ヒルだ。フージーズ時代にロバータの代表曲“Killing Me Softly With His Song”をリメイクし、後日の葬儀でも歌ったローリンらしい哀悼の言葉。それはロバータの魅力を端的に伝えていた。クラシックとゴスペルの素養を持つピアニストであり、細かいビブラートをかけて優しく歌うシンガー。アンニュイだが温かみのある声で歌われた楽曲は人種やジャンルを超えて愛され、一方で、ニーナ・シモンからの影響も色濃い彼女は黒人としての意識も極めて高い人だった。

 2022年にALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたロバータは関係者によって芸能界からの引退が発表されていた。ソロでの新曲としてはドキュメンタリー映画に提供した2018年の“Running”が最後。その時点でレコーディング活動から遠ざかっていたわけだが、彼女の全盛期といえば、コンスタントにアルバムを出していた70年代から80年代であることは誰もが認めるところだ。

 ノースキャロライナ州ブラック・マウンテンで生まれ、幼少期をヴァージニア州で過ごしたロバータ(本名ロバータ・クレオパトラ・フラック)。奨学金を得て15歳で入学したワシントンDCのハワード大学ではクラシックや声楽を学んだ。卒業後は同校の大学院に進むが、父の死を機に中退。中学校の教師となり、ナイトクラブで弾き語りをするなどしていた時にレス・マッキャンに見初められ、彼の紹介でアトランティックと契約する。デビュー作は69年のアルバム『First Take』。1937年2月10日生まれだから32歳での遅咲きのデビューだ。

 同じアトランティックでもジェリー・ウェクスラーが手掛けたアレサ・フランクリンとは違い、同社のジャズ部門を牽引していたジョエル・ドーンを後見人としたロバータは、ジャズやフォークなどに接近した越境型のソウルを展開。それが後に狭義で〈ニュー・ソウル〉と呼ばれるようになる。

 人気や知名度が一気に上がったのは、『First Take』に収録していた“The First Time Ever I Saw Your Face”がクリント・イーストウッド監督の映画『恐怖のメロディ』(71年)で使われて全米チャート1位となってから。これに続くソロ曲としてふたたび全米No.1ヒットとなったのが、あのバラード“Killing Me Softly With His Song”である。ロリ・リーバーマンという女性シンガーのオリジナルを、ロバータは自分が書いた曲であるかのように静かに感情を込めて歌ってみせた。

 歌うピアニストだったロバータには〈シンガー・ソングライター〉的なイメージもある。だが、彼女が自作の曲を歌うことは稀で、全キャリアを通して大半が他者からの提供曲、もしくはカヴァーだった。ピアノと歌で他人の曲に感情移入し、装飾するのではなく引き算の美学でオリジナリティを出すのがロバータのやり方。とりわけユージン・マクダニエルズの曲は、デビュー作での“Compared To What”を筆頭に77年のアルバムまでは毎回取り上げていた。74年に全米No.1ヒットとなったメロウなラヴソング“Feel Like Makin’ Love”もそんな中の一曲である。