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岡田 徹

1949年4月23日生まれ、東京都出身のミュージシャン/プロデューサー。

大学卒業後、73年に鈴木慶一率いる〈はちみつぱい〉に加入。直後の11月に、はっぴいえんどと双璧をなす日本語ロック黎明期の歴史的名盤『センチメンタル通り』を発売。続いて74年5月には大瀧詠一が関わったシングル“君と旅行鞄(トランク)”を発売するも、11月に山野ホールでのコンサートを最後に解散した。

はちみつぱい 『センチメンタル通り』 ベルウッド(1973)

はちみつぱいのメンバーだった鈴木慶一、武川雅寛、かしぶち哲郎、岡田徹、椎名和夫の5名でムーンライダーズを結成。個々の能力が高いバンドの中で岡田は屋台骨を支える存在だった。さらに80年代に入りムーンライダーズはテクノ/ニューウェーブ志向を強め、岡田は打ち込み機材やシンセサイザーを導入するなど、バンドになくてはならない存在に。バンドは、レコード会社を変えながらも86年まで作品のリリースを重ねていく。

86年からの活動停止期間中には、87年に松浦雅也、安部隆雄とともにAMORを組み、PSY・S、パール兄弟、プリンセス プリンセスなどのプロデュースも行っている。

ムーンライダーズの活動再開後も大所帯アコーディオンバンドのLIFE GOES ONや、山本精一、伊藤俊二と組んだya-to-i、イマイケンタロウ、porymoogと組んだCTO LAB.、夏秋文尚、吉田孝、黒田英明とのUKULENICAなど、多数のユニットやグループで活躍した。

また映画、アニメのサントラや、NTTドコモ“ドコモダケのうた”などのCM音楽も担当。2016年には初の全曲歌もののソロアルバム『Tの肖像』を発表した。

岡田徹 『Tの肖像』 Solid(2016)

2023年2月14日に心不全のため死去。73歳没。 

 

信藤三雄

1948年生まれ、東京都出身のアートディレクター/フォトグラファー/プロデューサー。

デザイン学校を卒業後、百貨店業界誌の記者となるが、向いていないと一般企業をクライアントとするデザイン事務所へ転職し、その後はフリーデザイナーとして活動する。並行して、マギー・シン名義でスクーターズとして82年にデビューするも、バンドはほどなくして解散した。

84年に松任谷由実のシングル“VOYAGER〜日付のない墓標”、アルバム『NO SIDE』のジャケットを担当したことを機に、本格的にデザインに携わるように。86年にはPIZZICATO FIVEのシングル『ピチカート・ファイヴ・イン・アクション』のジャケットを手がけ、その後PIZZICATO FIVEのほとんどのCD/レコードのアートディレクションを担当するようになった。

フリッパーズ・ギター、Original Love、小山田圭吾のトラットリア、クレモンティーヌらのジャケットのデザインを数多く手がけ、渋谷系ブームの一役を担う。ほかに宇多田ヒカル、AKB48、サザンオールスターズ、SMAP、斉藤和義など、J-POPアーティストのジャケットも多く手掛けた。

フリッパーズ・ギター 『CAMERA TALK』 ポリスター(1990)

PIZZICATO FIVE 『BOSSA NOVA 2001』 TRIAD/コロムビア(1993)

また、ミュージックビデオの撮影も多数行っており、エレファントカシマシ“戦う男”“今宵の月のように” 、GLAY“BEAUTIFUL DREAMER”、桑田佳祐“東京”、My Little Lover“Hello, Again 〜昔からある場所〜”、Mr.Children“CROSS ROAD”“innocent world”“Tomorrow never knows”など、アーティストの代表曲となるMVを数多く撮影した。

ほかにもコンサート演出、映画監督、書道など活動は多岐にわたり、社会・慈善事業もおこなった。

2023年2月10日に胃癌のため死去。75歳没。