モタるリズムと重厚なサイケデリアが同居した独自性
『Six/Nine』という作品を語る上で一つ重要なのは、サウンドとリズムの関係だ。
オルタナティブメタルとインダストリアルロックを基調とし、その上にトリップホップやアンビエント、シューゲイザーやダブといった諸々の手法が有機的に結びついた本作のサウンドにはヘヴィサイケデリアともいうべき一種の陶酔性が宿っている。それが最も分かりやすく現れている一曲が“鼓動”で、インダストリアル的な電子音響にシューゲイザー影響下のギタープレイが絡み合う甘美なサウンドには、まさしく幽体離脱的な解放の感覚が満ち満ちている。
その一方で、今作のリズム、とりわけドラミングの面においてある種の硬さ、躍動感の欠如があるのは否定できない。ビートロック的な8ビートを得意としていたバンドが急速な音楽性の変化に伴って、非ロック的な語彙を含む様々なリズムを導入する必要に駆られたこと。バンドの変貌がもたらす技術的制約が大きく作用したのか、ドラミングにおいて打点のタイミングの微妙な遅れ、いわゆる〈モタり〉が生まれてしまっているのだ。これによって楽曲の持つ聴き手を無意識に突き動かしノらせる力が大きく削がれてしまっているのは確かだ。
しかしながら、躍動感を欠いたリズムに重厚なサイケデリアが乗るというアルバムの基本構造がむしろ本作の独自性につながっていることに注意が必要である。サイケデリアがもたらす陶酔と解放に浸っていると、躍動感を欠いたノれないリズムによって覚醒を促され目の前の現実に引き戻される。この意識の拡散と収縮が奇妙に両立するスケールの揺らぎの感覚は、宇宙的な時間の広がりが実は限られたパターンの単調な繰り返しに過ぎないという永劫回帰的なモチーフに託して人間の生の不毛さを描き出す『Six/Nine』のコンセプトと見事に合致している。
戦後日本の転換点1995年と呼応した作品
今作がリリースされた1995年は戦後日本の転換点とされ、阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件を筆頭に、平成、令和と続く日本社会の低迷と混乱の端緒となった一年として広く認識されている。抜け出し難い不毛な生のありようを輪廻のモチーフに託して描き出した今作がこのような時代と深く呼応したことは言うまでもない。
『Six/Nine』はまさしく90年代のBUCK-TICKにしか生み出し得なかった、国内ロック史に刻まれるべき歴史的名盤である。