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アコースティックサウンドや電子音などギターロックからの逸脱への助走

では、『The Bends』のサウンドを具体的に見ていこう。“Creep”は静と動のダイナミクスを駆使したニルヴァーナ以後のロックアンセムだったが、『The Bends』でそのスタイルをはっきりと踏襲しているのは“My Iron Lung”ぐらい。ただこの曲の歌詞には“Creep”パート2を求める人たちへの痛烈な皮肉が込められているので、サウンド自体も皮肉めいたものだと解釈した方がいいだろう。

ギターの爆音がカタルシスを生む“Creep”的なサウンドの代わりに、レディオヘッドが本作で打ち出したのがアコースティックギターを主体としたサウンドだ。Spotifyでそれぞれ5.1億回、3.5億回再生されているマスターピース、“High And Dry”と“Fake Plastic Trees”はこの方向性を代表する楽曲。いまではクラシックな佇まいを持っている曲だが、リリース当時はファンやレコード会社の期待を裏切る挑戦的な方向性だったことは留意しておきたい。しかも当時のイギリスはブリットポップ全盛期。オアシスのようにノイジーなギターをギャンギャン鳴らすのが流行っていたことを考えると、同時代的にも異質なサウンドだ。誰にも求められていない、誰にも似ていない音楽性を探究するという姿勢を当時から持っていたからこそ、いまのレディオヘッドがあるのは間違いない。

そして『The Bends』のストレートなギターロックというイメージを超え、その後のレディオヘッドとより直接的な繋がりを見いだせるのが“Just”と“Planet Telex”だ。トム・ヨーク本人が公言しているように、“Just”はトムとジョニー・グリーンウッドが〈一曲の中にどれだけコードを詰め込めるか?〉を競った曲。イントロのコード進行ですでに奇妙な違和感を与えるが、実際この曲はただコードが多いだけではなく、その進行がかなり技巧的である。“Creep”ではシンプルな4つのコードしか使っていなかったレディオヘッドは、のちにコード進行のユニークさを幾度となく指摘されるようなバンドへと成長した。それを踏まえると、“Just”が示した実験性はその後のバンドの在り方を予感させるものだ。

また、初めてドラムビートのループを導入した“Planet Telex”が、クラブミュージックからの影響を強めていった『OK Computer』以降の作品のプロトタイプだという意見に異論はないだろう。『The Bends』期のインタビューで、トムはすでにポーティスヘッドやトリッキー、マッシヴ・アタックといったブリストルサウンドへの興奮を表明している。一般的にトリップホップからの影響が指摘されるのは『OK Computer』だが、もしかしたら『The Bends』の時点でその影響は入り込み始めていたのかもしれない。

もっとも、『OK Computer』以降のレディオヘッドのトレードマークとなる変拍子やポリリズムは、『The Bends』ではまだ顕著ではない。“Bones”や“Black Star”でやや変則的な拍子構成が見られるくらいだ。その意味では、やはり『The Bends』は〈オーセンティックなギターロック〉という枠組みを大きく逸脱しているとは言い難い。しかし、逸脱に向けた助走が確実に始まっている作品である。

 

現代社会の苦しみを歌う歌詞

同様に、歌詞の世界観においても、『The Bends』にはその後のレディオヘッドに繋がる萌芽が見られる。基本的に本作の歌詞は、急激な成功から来る戸惑いや遠距離恋愛のガールフレンドへの想いなど、パーソナルな心情を綴ったと思われるものが多い。だがそれだけではなく、次作以降に顕著な優れた社会批評性を宿した歌詞も発見できる。

本稿では“Fake Plastic Trees”をその例に挙げたい。ここでは、すべてがプラスティックで出来た世界で誰もが疲れ切ってしまう様子が描写されている。おそらくこれは、何もかもが記号的に消費される社会では生の実感がなかなか得られない、しかもこの地獄のような状況に出口はない、という現代的な苦しみを表現しているのだろう。

注目したいのは、この歌詞の主人公が〈僕〉ではなく〈彼女〉や〈彼〉になっている点だ(最後に蛇足的に〈僕〉も出てくるが)。これは、トム個人の苦しみを歌っているのではなく、社会の苦しみを歌っているということを強調するためだと思われる。

『Pablo Honey』でのトムは、社会のひずみを内面化して一人称で歌っていた。それゆえに、社会には目を向けずに個人的な悲しみを歌っているだけだと誤解された。そして『Kid A』にまで至ると、トムは書き留めていた単語やフレーズをランダムに繋げるという作詞法を採用し、個人的な感情を歌詞から極力排除するように努めた。“Fake Plastic Trees”の作詞法や歌詞のテーマは、私小説性を消すという意味で、まさに『Pablo Honey』から『Kid A』へと向かう過程にあるものだと言えるだろう。