YUKIの3rdソロアルバム『joy』は、2005年2月23日にリリースされた。産休から復帰後初のアルバムとなった『joy』は、エレクトロニックでダンサブルな意匠を纏ったYUKIのキャリアにおける転機作だ。そんな名盤について、蔦谷好位置が手がけた表題曲“JOY”を軸に、当時のJ-POPシーンとの関係などを含めて音楽ジャーナリスト柴那典に論じてもらった。 *Mikiki編集部
2005年、日本の音楽シーンにおける再出発の年
2005年は日本の音楽シーンにおける〈再出発〉の年だったのではないかと思う。90年代を乗り越え、いろんなアーティストが新たなモードで歩み始めた。YUKI『joy』はその象徴だ。
Y2Kのリバイバルムーブメントで見られる華やかなイメージとは対照的に、実際にリアルタイムで感じた2000年から2004年頃のカルチャーの様相は、何とも言えない閉塞感や停滞感を漂わせるようなものだった記憶がある。特に日本のロックシーンにおいてはそうだった。2000年代初頭の数年間に、90年代にシーンの中核を担い輝いていたバンドたちが次々と解散や活動休止の道を選んだ。
2000年7月、BLANKEY JET CITY解散。2000年8月、Hi-STANDARD活動休止。2000年12月、サニーデイ・サービス解散。2001年1月、THE YELLOW MONKEY活動休止(2004年7月に解散を発表)。2003年10月、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT解散。それぞれにそれぞれの事情はあったとは思うが、これだけ続くと否応なしに時代の変化を感じざるを得なかった。
JUDY AND MARYの解散もそうだった。2001年1月に突如解散を発表し、2月にラストアルバム『WARP』を発表。3月の東京ドーム2 daysがラストライブ。人気絶頂での解散だ。
〈元JUDY AND MARY〉から脱却、独自性を確立した“JOY”
だからこそYUKIのソロ活動への注目は当然とても高かった。2002年2月にはソロデビューシングル“the end of shite”をリリース。続くバラードの“プリズム”もヒットし順調にキャリアを重ねていくが、しばらくは〈元JUDY AND MARYの〉YUKIという印象が強かったように思う。それを完全に脱却しソロアーティストとして独自のサウンドと美意識を確立する転換点になった曲が、2005年1月にリリースした“JOY”だった。
作曲は蔦谷好位置。いまや日本を代表するプロデューサーとなった蔦谷にとっても“JOY”は人生の転機になった一曲だ。CANNABISのメンバーとして1998年にメジャーデビューするもヒットには恵まれずバンドは解散し、厳しい状況にあった当時の蔦谷。バンド時代から“JOY”の原型もあったが当時のレコード会社の担当者からは酷評されていたという。しかしコンペに提出するとYUKI本人から「私はこの曲を10年待ってました」というリアクションがあったそうだ。蔦谷は結果的に“ハローグッバイ”から“ビスケット”まで8作連続でシングル表題曲を手掛け、この時期のYUKIの音楽性を象徴するクリエイティブなパートナーとなる。