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オノセイゲン

オーディオマニアの腕が試される20枚

日本では、戦前からキャバレー、戦後はGHQ主導の進駐軍クラブなどでジャズミュージシャンが活躍しました。そして昭和の時代から、今でも日本には地方にも都会の隅にも〈ジャズ喫茶〉なる文化があります。大学や高校の授業をサボって一杯のコーヒーで粘ったり、タバコを吸ったりする場所です。おしゃべりは禁止ですが、マスターがかけてくれる一枚から、人生のゴールが親に伝えていたのと違う方向に進んでいく。留年したり、卒業しても就職しないで演技や音楽へと道が外れたりしていくのはジャズ喫茶からでした。そういったことは、あの時代にはよくあった話だと思います。もちろんその中には理系天才技術者や医者になる人もいれば、趣味で演奏したり、あるいは職業として音楽家になることを選んだり、オーディオメーカーへ勤めるようになったりした知り合いもいます。

また、ジャズ喫茶が盛んだった70年代は(レコード会社側でも)アナログレコード制作の全盛期で、同時にオーディオメーカーも競って〈いい音〉が聴けて斬新なデザインのスピーカーやアンプなども発売していました。

オーディオを売るには素晴らしいレコードは必須で、オーディオとジャズや音楽全般が車の両輪の役目を果たしていたのが昭和の時代で、ふたつは切り離して語れません。オーディオマニアならスピーカーはJBLだアルテックだとこだわりがある一方、ジャズファンならブルーノート・レーベルを外してはジャズを語れないわけで、初版の輸入盤レコードだ東芝やキングの国内盤だと、とにかくそのこだわりは半端ではありません。たまに音楽性が好みと相容れないなどで、評論家同士でケンカになったりすることもあるらしいです。ボクの場合は、フレンチかイタリアンか寿司屋か、その日の気分で食べたいものはコロコロ変わりますが、人生の限られた残り時間に美味しくない食事は勘弁してほしいとはいえ、それより誰と食事するかの方が自身の好みより重要だと思います。

オーディオマニアの楽しみとは〈自身の思い描く最高の音〉でそのレコードを鳴らせるか?なのです。オーディオマニアにとっては、そのシステムやセッティングの腕が問われます。実際、スピーカー、アンプはもちろん、ケーブル、電源、インシュレーター、何を替えても音の印象は変わります。個人的には、この〈BLUE NOTE SA-CD HYBRID SELECTION〉の20枚ならばホーンがいい。JBLよりALTEC A7、聴いたことはありませんがアバンギャルドもいいような気がしているのは、後述する寺島靖国さんの影響です。

 

ブルーノートの歴史とオーディオ技術の進化

そもそもブルーノート・レーベルは、1939年にニューヨークにてブルースが大好きだったドイツ系移民、創業者のアルフレッド・ライオンが始めました。ブルーノートのサウンドとは、アルフレッド・ライオンとほとんどの録音を担当しているルディ・ヴァン・ゲルダー(RVG)により作られました。当時はCDも、もちろんSACDもないわけで、〈音のいいアナログレコード〉(が狙った音色)に仕上げるために、大元となるアナログマスターテープには高域が歪まないようにやや柔らかく録音されているのです。そして、全世界にカッティング用のEQコピーというアナログテープ、またはメタルマスターが送られ、各国ローカルのレコード盤が製造・販売されました。

80年代になりCDが登場、さらに1999年にSACDが登場すると、レコード盤のカッティングに当たるマスタリング作業(つまり色校正)が重要になったのは、前回述べた通りです。

また、まずはブルーノート、そしてメジャーのコロムビア、キャピトル、ECM、ヴァーヴ、プレスティッジ、インパルス!、リヴァーサイド、コンコードetc.とキリがありませんが、多数のレコード会社が生まれました。日本でのディストリビューターは、電機メーカーの子会社としてスタートした東芝EMI(Aurex)、ビクター(日本ビクター、JVC)、日本コロムビア(日立、DENON)、CBS(ソニー)、ワーナー(パイオニア)、キング、ポリドールほか。歴史的には、オーディオを売るために車の両輪としてソフトが必要でレコード会社ができたのです。そして、70年代からステレオレコードが当たり前のものになり、80年代にCD、2000年前後にSACDが登場し、オーディオ技術としてはここでひとつの頂点を極めました。