ハンコックやショーター、ジャズを進化させた偉大な音楽家たち
〈BLUE NOTE SA-CD HYBRID SELECTION〉の20枚は、85年間のうち1957年から70年代までの短い期間から選ばれています。ディジー・ガレスピーやチャーリー・パーカーから、アート・ブレイキー、リー・モーガン、キャノンボール・アダレイ、マイルス・デイヴィス、ソニー・ロリンズ、ウェイン・ショーター……。この時期、メンバーは重なりながら、セッションのたびにそれまでにない新しいスタイルが登場しており、ビバップかファンクかといったジャンルは後付けですから、関係ありません。
表4に掲載されている当時のオリジナルの英語のライナーノーツを読んでいくと、ジャズがその時々でリアルタイムに社会背景にも反応していた様子が読み取れます。「ジャズ批評」の元編集長、原田和典氏の20枚それぞれの作品解説で当時の背景をご想像ください。
ハービー・ハンコックなんてエレクトリック化した時に賛否を呼び、“Rockit”ではヒップホップまで取り入れました。ハンコックの音楽は、大きなカテゴリーでは進化したジャズです。1965年のブルーノートの『処女航海』のような名盤を残しながら、メロディーメイカーとしても1969年の名曲“Tell Me A Bedtime Story”を書いており、現在もまだ進化しています!
ウェイン・ショーターも内面的な探求を続けてきた偉大な作曲家でした。2023年に亡くなってしまいましたが、ドラッグ(幻想)から離れていたのが長生きと常に作曲家として進化し続けた秘訣かもしれません。ジャズのソロやアドリブとは即興の作曲ですが、麻薬をやれば誰もがチャーリー・パーカーのように演奏できるわけはなく、しかし1940年代のニューヨークでは多くのミュージシャンが麻薬にやられていました。
リー・モーガンは18歳でディジー・ガレスピーのビッグバンドに参加。1958年にオーケストラが解散し、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズなどで活動しました。私生活では麻薬問題に苛まれ、最期は一回り年上の妻に拳銃で撃たれて33歳で悲劇の死を迎えたという、映画にもなった壮絶な人生を送りました。ジャズの世界では芸術的な創作と私生活の苦しみが交錯することが珍しくないため、それぞれのアーティストの物語は非常に興味深いものです。
ピアニストのソニー・クラークも、彼の音楽的才能にもかかわらず、麻薬問題に悩まされました。彼のキャリアは短命で、1963年に31歳で亡くなりました。アート・ブレイキーは、彼自身が麻薬に関与していたという話もありますが、数多くの若手ジャズミュージシャンを育てました。
マイルス・デイヴィスは、キャリアの初期および中期にヘロインやその他のドラッグに依存していたことが知られています。特に1950年代、中断や復活を繰り返しながら、しばしば麻薬の使用が彼の創作活動に影響を及ぼしました。1960年代後半に治療を受け、徐々に依存から脱却しましたが、彼の人生の中で麻薬問題は避けて通れないテーマとなっています。
キャノンボール・アダレイは、とてもプロフェッショナルなミュージシャンであり、長いキャリアを通じて多くの成功を収めました。当時のジャズ界には麻薬問題が広がっていたため、周囲の影響を受けた可能性はありますが、彼自身の人生においてはそれほど大きな問題ではなかったとされています。マイルス・デイヴィスが麻薬に悩まされていたのに対し、キャノンボール・アダレイはマイルスと組みながらも比較的安定した私生活を送っていたと考えられます。ハービー・ハンコックとウェイン・ショーターはお手本のような人格者で、現代社会にも適応することができました。