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「宝島」がインディーズに進出したキャプテン・レコードの功罪

ラフィン・ノーズのAA、雑誌「DOLL」が主宰するシティ・ロッカー、写真家地引雄一が主宰するテレグラフ、そこから派生したオートモッドのヴェクセルバルグ、雑誌「フールズメイト」編集長でありYBO2のメンバーだった北村昌士が主宰するトランス、有頂天のケラが主宰するナゴムといったあたりが当時の代表的なインディーレーベルだが、見逃せないのが雑誌「宝島」が1985年10月に設立したキャプテン・レコードである。前出のウィラード『Good Evening Wonderful Fiend』が第1回発売で、12月にリリースされたのが有頂天“心の旅”だった、と言えば当時の勢いが想像できよう。

VARIOUS ARTISTS 『キング・ソングス・オブ・キャプテンレコード』 SOLID/キャプテン(2012)

もともとヒッピー寄りのサブカルチャー誌だった同誌は1980年前後のRCサクセションやYMO、戸川純などの台頭をきっかけにロックを中心としたストリート情報誌に移行し、絶大な影響力を持っていた。同誌の〈インディーズ業界〉への参入は、〈インディーズ〉がオトナの金儲けのネタになりつつあったことを示し、インディーとメジャーの境目が曖昧になり、インディーズが本来のスピリットを失っていくきっかけとなった象徴的な出来事だったと言えるだろう。

ついでに言えば、今も現役で活動する電気グルーヴの前身にあたる〈人生〉は1985年の結成で、ナゴムとキャプテンから作品を発表し、電気グルーヴになってからはトランスの後身であるSSEコミュニケーションズからアルバムを発表している。テクノカルチャーの先駆であり、〈日本のインディーズ〉の末裔でもある彼らの柔軟性と特異性がうかがえる。

 

時代の変わり目に摩擦をもたらしたブルーハーツ

またインディーズブームとバンドブームの結節点にいる最重要バンドであるザ・ブルーハーツもまた、1985年の結成である。ブルーハーツは、インディーズで2枚シングルをリリースしたあと1987年にメジャーデビューしており、インディーズブームの中心にいたわけではなかったが、パンク〜インディーズのストリートの精神や自主独立の精神、主流に抗するオルタナティブの精神……のようなものをしっかり保ちながらメジャーデビューし大きな成功を収め〈バンドブーム〉の象徴となった稀有な存在だった。

メジャー進出後のテレビ出演で彼らはその特異なパフォーマンスや振る舞いで激しく浮いていたが、その異物感、違和感は、パンク的/インディーズ的価値観と、旧弊なメジャー音楽業界/保守的なオトナ社会の常識が摩擦炎上した、その時代の現場ならではの感覚だった。そうした摩擦や異物感はやがて消えていったが、それはブルーハーツが提示したものが当たり前の感覚として受け入れられていった証拠であり、インディーズが本来的に持っていた精神がメジャーのシステムの中に取り込まれてしまったことでもあった。

インディーズブームからバンドブームへと進む中、サブカルチャーだったはずのロックが音楽産業の主力商品としてビジネス的に組織化されたことで、結果としてインディーズシーンはその下部構造に組み込まれてしまう。多くのインディペンデントレーベルやアーティストがメジャー予備軍を目指すようになり、大規模なライブ動員やメジャー契約を目的としないアーティストたちは居場所がなくなってしまう。そんな時代の変わり目の結節点が、1985年という年だったのだ。

バンドブーム、というよりはバンドバブルは、バブル経済の崩壊とともにあっさりはじけ、そのあとのライブハウスもインディーズシーンも、草木も生えない荒廃した状況が続いた。やがてクラブカルチャーの台頭で、従来のライブハウスやインディーレーベルとはちがう位相の現場や回路が生まれ、新しい世代のロックバンドも生まれた。それとともにメジャーの下部構造ではない、文字通りの自主独立のシーンが生まれることになる。それが90年代後半だった。