こんな厳しい時代には強い愛が必要――米国音楽界の至宝が悲しくも美しい世界に歌いかける待望の新作『Sad And Beautiful World』は、すべてを包容する魂と慈しみを湛えていて……

 50年代から活動を続けてきた生きる音楽史そのものであり、控えめに言っても米国音楽界における文化財産と言っていい存在だろう。ブルース〜ロック〜ゴスペルの各殿堂入りを果たし、ケネディ・センター名誉賞、さらに生涯功労賞を含むグラミーの複数部門に輝いてきたメイヴィス・ステイプルズは、そんな勲章の有無にかかわらず、70年以上のキャリアを通じて彼女はさまざまな場で活躍を続けてきた。

 華々しい成功も経験する反面、その長い活動が決して恵まれた状況ばかりでなかったのは確かだが、少なくとも近年の安定を彼女に約束したのが2007年に契約したアンタイなのは間違いない。20年近い在籍期間は、かつてステイプル・シンガーズが名声を獲得したヴィー・ジェイやスタックスでの活動期間を優に超える。このたびの『Sad And Beautiful World』は、2022年に出たリヴォン・ヘルムとのライヴ盤『Carry Me Home』(2011年録音)以来の新作となり、オリジナル作としては2019年の『We Get By』以来6年ぶりのニュー・アルバムとなる。

MAVIS STAPLES 『Sad And Beautiful World』 Anti-/Silent Trade(2025)

 制作を指揮したのはノースカロライナ州ダーラムを拠点に活動するブラッド・クック。小さな頃からステイプル・シンガーズを聴いて育ったという彼は、かつてジャスティン・ヴァーノン(ボン・イヴェール)や兄弟のフィル・クックらとマウント・ヴァーノンなどのユニットで活動を共にし、近年はワクサハッチーらを手掛けてプロデューサー/エンジニアとしての地位を築いている人。本作には彼の人脈であろう新鮮な顔ぶれも含め、いつも以上に幅広い世代から賑やかな名前が集まった。バディ・ガイやボニー・レイット、ジェフ・トゥイーディ、デレク・トラックス、MJレンダーマン、ジャスティン・ヴァーノン、ナサニエル・レイトリフ、トレ・バート、アイアン&ワイン、アンジマリ、カラ・ジャクソンなど書ききれないほどの面々が唯一無二の主役をサポートしている。

 収録曲のなかで最初に録音されたという“Human Mind”は、縁のあるホージアがアリソン・ラッセルと書き下ろした本作唯一のオリジナル曲。たびたび失望しながらも人間を信頼し、希望を失わないメイヴィスの信条は、〈こんな時代でも、時々はそこに良いものを見い出せる〉という一節にも表現されているようだ。

 それ以外の収録曲はタイムレスな名曲のカヴァーとなる。力強い歌声が響くオープニングの“Chicago”は、1910〜40年代のアフリカ系アメリカ人の大移動(人種差別を逃れて南部から北部の都市部への移住が進んだ)を背景にトム・ウェイツが書いた曲で、それを実際に家族がシカゴ移住を経験した彼女とバディ・ガイが、その移住による産物(シカゴ・ブルースの隆盛)の恵みをデレク・トラックスも交えて聴かせるという格好だ。

 象徴的な表題曲は悲劇的な終焉を迎えたオルタナ・バンドのスパークルホースが95年に発表した曲で、〈悲しみの中にも美しいものを見い出す〉という精神はそこからも抽出される。聖書の解釈のように、そこにある詞から意味を強調して吹き込むという点では、ギリアン・ウェルチの“Hard Times”とフランク・オーシャン“Godspeed”のカヴァーも同様。さらに“A Satisfied Mind”は、敬愛するマヘリア・ジャクソンや旧知のジョーン・バエズ、ディラン&ザ・バンドも歌ったカントリー曲で、長く生きた者の視点から一時的な栄光の虚しさを歌っている。

 一方、ケヴィン・モービーがボルティモアでのフレディ・グレイ事件などに抗議して歌った“Beautiful Strangers”(2016年)は選曲そのものが意思表示となる例だ。同じく、縁深いカーティス・メイフィールドの“We Got To Have Peace”(71年)やレナード・コーエン“Anthem”(92年)から毅然とした祈りを読み取るのは容易だろう。ラストを飾る“Everybody Needs Love”はマッスル・ショールズで縁があったエディ・ヒントンの隠れた名曲で、〈誰もひとりでは生きられない〉というメッセージでアルバムを締め括る。

 このように選曲の妙と解釈で何かを語るような作法はジョニー・キャッシュの〈American Recordings〉シリーズを想起させるものだし、それはステイプル・シンガーズが大昔からやってきたことでもある。父や兄姉と作り上げた遺産を守り続けるメイヴィスのなかで、その精神は力強く健在なのだ。

 「私が感じている思いやりを届けるしかありません。私が感じているそのままの形で歌を分かち合いたいのです」。

『Sad And Beautiful World』に収録されたカヴァー曲のオリジナルを含む作品を一部紹介。
左から、トム・ウェイツの2011年作『Bad As Me』(Anti-)、ケヴィン・モービーの2020年作『Oh Mon Dieu: Live A Paris』(Dead Oceans)、スパークルホースの95年作『Vivadixiesubmarinetransmissionplot』(Capitol)、ギリアン・ウェルチの2011年作『The Harrow & The Harvest』(Acony)、フランク・オーシャンの2016年作『Blond』(Boys Don't Cry)、レナード・コーエンの92年作『The Future』(Columbia)

『Sad And Beautiful World』に参加したアーティストの作品を一部紹介。
左から、フィル・クックの2025年作『Appalachia Borealis』(Psychic Hotline)、ボン・イヴェールの2025年作『Sable, Fable』(Jagjaguwar)、MJレンダーマンの2024年作『Manning Fireworks』(Anti-)、エイミー・レイの2022年作『If It All Goes South』(Daemon)、ケイティ・クラッチフィールドによるワクサハッチーの2024年作『Tigers Blood』(Anti-)、アンジマリの2023年作『The King』(4AD)、アンドリュー・マーリンが在籍するウォッチハウスの2025年作『Rituals』(Tiptoe Tiger)、ナサニエル・レイトリフ&ザ・ナイト・スウェッツの2024年作『South Of Here』(Stax)、トレ・バートの2023年作『Traffic Fiction』(Oh Boy/Thirty Tigers)、カラ・ジャクソンの2023年作『Why Does the Earth Give Us People To Love?』(September)、アリソン・ラッセルの2023年作『The Returner』(Fantasy)