いまなお走り続ける者たち
『Born To Run』を語るには、当時のアメリカの社会情勢を知ることが必要だ。60年代的な理想主義はとうに挫折し、長期化していたヴェトナム戦争も73年に米軍の全面撤退という形で事実上の敗北に終わる。さらに72年のウォーターゲート事件に象徴される政治不信、73年から始まったオイル・ショックによる経済不況などが相次ぎ、かの国の社会基盤は大きく揺らいでいた。努力によって幸福を勝ち取れるというアメリカン・ドリームはとうに失われていたのだ。
そんな暗く不安定な時代に『Born To Run』は生まれた。スプリングスティーンは本作について〈ボブ・ディランのような詩を書き、フィル・スペクターのようなサウンドを作り、デュアン・エディのようなギターを弾き、そしてなによりもロイ・オービソンのように歌おうと努力した〉と語っているが、それは皆、彼が少年時代に憧れたヒーローたちである。つまり、時代の閉塞感を打ち破るため、まだ夢を信じられた時代のロックンロールが持っていた原初的な衝動への回帰を図ったのだ。そして、その力強いサウンドに乗せて当世の若者たちの複雑な心境を歌にする。それも圧倒的な熱量と疾走感を伴って。
たとえば“Thunder Road”では、若くもなく英雄でもないと自分を蔑む孤独な男が、最後は〈町は負け犬でいっぱい でも俺は勝つためにここから走り抜けよう〉と決意する。また“Born To Run”では、昼間は汗水流して働く主人公が夜には車を飛ばして陰鬱な町を抜け出し、いつの日か陽の当たる場所へと辿りつけると信じながら走り続けていく。スプリングスティーンは、現状に対する焦燥や未来への不安を抱えつつも、それでも絶望せずに〈ここではないどこか〉をめざす若者たちの心象をリアルに描いたのだ。
それをふまえると、『Born To Run』は、先人たちの遺産を再解釈することによって停滞した現実から逃走する動力とし、その先へと繋ぐ物語を提示した作品と言えよう。ランダウいわくの〈ロックンロールの未来〉とは若者の、そしてアメリカの未来でもあったのだ。
こうした時代の空気感は、決してスプリングスティーン一人のものではなかった。同年にパティ・スミスが発表したファースト・アルバム『Horses』は、アプローチは異なるが若者たちの鬱屈した感情をロックの初期衝動によって解放した点で近いし、後年スプリングスティーンが“Because The Night”を提供したという繋がりもある。なお、スプリングスティーンはNYパンクにシンパシーを感じていたようで、“Hungry Heart”はもともとラモーンズに提供する予定の曲だったし、2013年にはスーサイドの楽曲“Dream Baby Dream”をカヴァーしている。
また、ジャクソン・ブラウンの『The Pretender』(76年)はランダウのプロデュースという共通点もあるが、共に夢と現実の乖離を描いているのは沈鬱な世相を反映したゆえだろう。またアメリカン・ドリームという視点では『Born To Run』が夢を追う者の切迫感を描いているのに対して、イーグルスの『Hotel California』(76年)は夢を得た者の虚無をテーマにしていることで鮮やかな対照を成す。聴き比べてみるのも一興だろう。
思えば、半世紀を経た2025年の現在もなお社会は不安や閉塞感に覆われている。それゆえ行き場を失いながらも走り続ける『Born To Run』の登場人物たちは、決して〈過去の若者〉だけではないと切実に思えるのだ。 *北爪啓之
ブルース・スプリングスティーンの『Born To Run』前後の作品。
左から、73年作『The Wild, The Innocent & The E Street Shuffle』、78年作『Darkness On The Edge Of Town』(すべてColumbia)
ブルース・スプリングスティーンの2025年発表の関連作。
左から、82年作の未発表テイクなどを集めた『Nebraska 82: Expanded Edition』、未発表作品を集めた『Tracks II: The Lost Albums』(共にColumbia/Legacy)、映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」のサントラ『Springsteen: Deliver Me From Nowhere』(Columbia/ソニー)