没後三十年に寄せて
そのころは滅多に乗らなかったタクシーに、乗っていた。車内はラジオがかかっていた。ニュースは武満徹の訃報を伝えた。1996年2月20日の夜、雨が降っていた。それからじき30年。
おなじ30年といっても、区切り方によってずいぶん違ってくる。いつだって世界ではさまざまなことが起こってはいる。とくにこの30年については、どうだろう。武満徹はどんなことをおもうだろう。わたしはといえば、作品を聴き、本を読む。しばらくはなれる。何らかのきっかけであらためて聴く、読む。そんなことをくりかえしているうちに、30年経ってしまった。
少くとも、私が邦楽器のために音楽を試みる場合は、私には、それを西欧的なものへ近づけようというような意志は無い。音が、この地上に生みだされる――生成する瞬間は、束の間のできごとではなく、これは地上の総ての音楽について言えるが、それは、それぞれの民族の固有の音楽を培った永い時の目覚めなのである。その意味では、音楽には一つとして古い音は無く、また一つとして新しいものは無い。/(中略)/
今日、文化は一つの歴史と地理へ向っての統合をめざしているが、この全人的要請は、たんに異る文化を同化するということで充足するものではないだろう。(「内なる迷路」、1973)
邦楽器といわれるから、“ノヴェンバー・ステップス”をめぐっての文脈と推測できる。作品が1967年――ほぼ50年前――に初演され、作曲家の名は飛躍的に知られるようになり、作曲についての意図、方向性を語らなくてはならないこともしばしばだったはずである。いまとなっては邦楽器とオーケストラのために作曲されるのはさして珍しくなくなった。西洋楽器と邦楽器については、この半世紀のあいだに、個々の作曲家によって異なったアプローチがなされてきた。音をだす媒体としておなじように扱う作曲家もいればそうでない作曲家もいる(2023年、武満徹作品への一種の応答・超克をめざした桑原ゆう“葉落月の段”(三味線、尺八、オーケストラ)を想いおこしておきたい)。
“ノヴェンバー・ステップス”を特権的にみたいわけではないけれど、武満徹が音・音楽の東西について、あるいは、歴史、地理、伝統といったものにはなしをむけるとき、この作品がきっかけになっている。
私たち人類は――この呼びかたの抽象性はさておくとして、バックミンスター・フラーが言ったように現在普遍的な卵とでもいうべきものを産み落そうとしているのだと思います。(…)私たち人間は、各自のさまざまな特徴をもちよってそのユニヴァーサル・エッグに同化させ、新しい文明が生まれるための、さまざまな差異の錬金術的融合と対峙しなければならないのです。できるだけ永い時をかけて、辛抱強くその孵化を待つべきです。ある意味では、その達成は人類の意図を超えているもので、すべての企みは虚しいもののように思えますが、だからと言って私たちは手を拱いてはならないのです。(「普遍的な卵」、1982)
人類……そういうことばがすっとでてきた時代、西脇順三郎最後の詩集はまさに「人類」(1979)と題されていた……。
先の文章からほぼ10年経ち、〈文化は一つの歴史と地理へ向っての統合をめざしている〉は、バックミンスター・フラーの語、〈普遍的な卵〉で言い換えられる。作曲家はここで、〈できるだけ永い時をかけて、辛抱強く〉と書いている。高度成長期からつぎの段階へと変わりつつある時代、作曲家はこの姿勢を強調する。あたかもその音楽作品のテンポのように。
それはさらに10年ちかく経ったときにも以下のようにほぼおなじことが言い表される。