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Pro Toolsという武器が後押しした自由な実験

まずは「Dilla Time」に詳しく述べられているのだが、ディラがこの奇妙な作品を制作するにいたった背景を見ておきたい。ジェイ・ディーとして、そしてジ・ウマーの一員としてのプロデュースワークが評価された1990年代後半は、それまでビートメイキングの中心を占めていたサンプリングという方法が節目を迎えていた。商業的にも巨大化していったヒップホップにおいて、サンプリングは元ネタの音源の使用許可を得るためにときに巨額のコストのかかる手法となっていた。とりわけ当時勢いを増していたサウス勢、ティンバランドやザ・ネプチューンズは、そうしたサンプリングに頼らず、オールインワンタイプのキーボードなどの機材を活用した、新しい手法を用いていた。

あるときドクター・ドレーのスタジオを訪れたJ・ディラも、サンプリングネタを楽器で弾き直して制作する彼の手法に衝撃を受ける。これを受け、ディラはサンプリングの手法でほとんど完成していたフランク・ン・ダンクのアルバムのビートを一旦白紙に戻し、ほとんど一から作り直すことになるほどだった。ディラはそれまでのMPC3000を中心に据えた制作方法を見直し、PCとDAWのPro Toolsを導入し、サンプラーではなくmicroKORGのようなキーボード機材も用いて新たなビートメイキングの手法を模索するようになる。

そうした理由で、ディラは一時期サンプリングから離れていた。だがその後今度は〈なんでも自由にサンプリングできるとしたら〉という発想に立ち返り、制作されたビートテープが『Donuts』の原型だった。だから、そこには解放感溢れるディラの自由さ、自由な発想が表れている。

さらにその自由さを後押ししたのがPro Toolsという武器だ。それ以前にも、サンプリング時間などの制約のあるMPCという機材を用いて、ブラック・スター“Little Brother”(2000年)のような非常にテクニカルで緻密な設計図に基づくビートを制作してきたディラにとって、DAWは鬼に金棒のようなツールだっただろう。なんといっても音の波形をモニタ上で目視しながら自由に様々な実験が遂行できるのだから。

その自由さは色々な場面に表れている。たとえばドラムにギターに歌声と、様々なパートを重ね合わせ、抜き差しすることで激しい展開を作ったように聞こえる“Workinonit”が、実は一曲の元ネタの色々な部分を切り貼りすることで制作されていたり、“Time: The Donut Of The Heart”や“People”、“Don’t Cry”といった曲においてテンポが大きく変わるアレンジが見られたり、“Airworks”では毎回同じループではなく元ネタの別の箇所をイレギュラーに挿入することでリスナーの予想を裏切るような構成となっている。さらには、全編に散りばめられた声ネタやスクラッチ、SEの数々はどうだろう。これらは、自由に編集可能なDAWというキャンバスを手に入れたことで、多くの楽曲に綿密に配置されたように思われる。サンプリングに回帰するのであれば、過去に試したことのないアプローチを駆使して、リスナーが、そして自分自身が予定調和に陥るのを裏切ること。それがディラの意図だったのかもしれない。

これらの声ネタやサンプルネタに含まれる歌声といった声そのもの、あるいはそれらがもたらす言葉の響きは、インスト作品である本作のなかでも大きな存在感を持っている。盟友マッドリブとMFドゥームによるマッドヴィランの『Madvillainy』(2004年)において、音声のコラージュを多用したインタールードによってアルバムの統一感が担保されていたように、ディラがPro Toolsというキャンバスを用いて自由に並べた声ネタやスクラッチ、SEの数々が、アルバムの統一感に寄与しているといえるだろう。