〈最後のティーンポップ作家〉にして〈最初のシンガーソングライター〉
彼はヒット音楽生産工場とでも言うべきNYのブリル・ビルディングに属したロックンロール/ティーンポップの作曲家で、作詞家のハワード・グリーンフィールドとのコンビで数多くのヒット曲を書いてきた。でも同時に自作の楽曲を自ら歌うポップスターでもあったのだ。いまでは自作自演なんて当たり前のことなのだけど、ビートルズ以前には決して一般的ではなかった。多くのティーンアイドルが職業作家の書いた楽曲を歌っていた時代に、セダカは自らの作品を自らの声で届けていたのである。つまり、のちの〈シンガーソングライター〉の先駆け的存在でもあったのだ。
ブリル・ビルディング界隈には他にもバリー・マンやテディ・ランダッツォなど自ら歌を吹き込んだ作家たちはいたが、歌手兼作曲家の二刀流で大成したのはセダカをおいて他にないだろう。なお、同じく自作自演シンガーとして比較されることの多いポール・アンカだが、私見ではセダカとは似て非なるショービズ系ソングライターとして捉えている(それはそれで大好きである)。
もちろん1960年代後半以降に登場するシンガーソングライターたち、たとえばジェイムス・テイラーやジャクソン・ブラウンとセダカもまた、そのスタンスは大きく異なっている。彼らは個人的な内面や社会的メッセージを前面に押し出す自己表現型のアーティストである。対してセダカの楽曲はあくまでもティーンエイジャーの恋愛をテーマにしたロックンロール/ポップスであり、その意味では従来の枠組みの中に収まっているのだ。
でもその点にこそ、セダカの特異性があるとは言えないだろうか。楽曲の内容では旧来のティーンポップに属しながら、制作スタイルでは新しいモデルを先取りしていた。言い換えれば彼は〈最後のティーンポップ作家〉にして〈最初のシンガーソングライター〉でもあったのだ。新旧の転換点の狭間をたゆたうようなこの二重性において、セダカはロック史の中でも一風変わった存在であるように思える。
ビートルズの登場以来、長く不遇の時期を過ごしてきたセダカだが、1974年に彼をリスペクトするエルトン・ジョンのバックアップによってリリースされたシングル“Laughter In The Rain”が全米1位の大ヒットを記録。つづく“Bad Blood”も同じく全米首位を獲得したことで、セダカは見事にカムバックを遂げた。
注目すべきは、彼の音楽が新しい文脈の中で再び意味を持ちえたということだろう。1960年代半ば以降の〈ロックの時代〉には求められていなかった、彼のクラシック的な作曲センスとメロディメーカーとしての資質は、優れたシンガーソングライターたちが次々と登場した1970年代において再評価されたのである。
この時期の、ピアノを基調とした洗練されたアレンジと大人びた情感を備えたソフトかつメロウなサウンドは、のちのAORをも予見させるものだった。ティーンのロックンロールから大人向けのポップスへのシフトは、本人が年を重ねたこともあるが、むしろロックのマーケット自体が成熟を迎えたことに起因しているのではないだろうか。
40年経って気付いたセダカの功績
エルヴィス・プレスリーのデビュー、ビートルズの出現、パンクムーブメントの勃発、グランジブームによるオルタナロックの浮上など、ロックの歴史には何度かの革命的な出来事があり、そのたびに旧世代との断絶が語られてきた。でも当然ながら、その背後には緩やかとはいえたしかな連続性が存在していたのである。ニール・セダカは、1950年代から1970年代にかけて劇的な変化と進化を繰り返したシーンの中において、つねに連続性を見失わずに活動し続けた稀有なアーティストだったのだ。
初めて彼の音楽を聴いてから40年経って、ようやく僕はそのことに気が付いた。セダカはもういないけれど、彼の音楽をまた新たな思いで聴くことができるのは存外に嬉しいじゃないか。
PROFILE: 北爪啓之
1972年生まれ。1999年にタワーレコード入社、2020年に退社するまで洋楽バイヤーとして、主にリイシューやはじっこの方のロックを担当。2016年、渋谷店内にオープンしたショップインショップ〈パイドパイパーハウス〉の立ち上げ時から運営スタッフとして従事。またbounce誌ではレビュー執筆のほか、〈ロック!年の差なんて〉〈ろっくおん!〉などの長期連載に携わった。現在は地元の群馬と東京を行ったり来たりしつつ、音楽ライターとして活動している。NHKラジオ第一「ふんわり」木曜日の構成スタッフ。