松本隆との邂逅と〈少年性〉へのまなざしが生んだ美しき結晶
そして“DREAMING GIRL”にさらなるタイムレスな魅力を与えているもの。それは、松本隆が手がけた歌詞の存在だ。両者のコラボは、近藤真彦の1982年の大ヒット曲“ハイティーン・ブギ”および1984年の“永遠に秘密さ”以来となるものであり、これから続いていく共作シリーズの実質的な第一歩となった楽曲でもあった。
MOON RECORDSレコード移籍後の『MELODIES』以降、本格的に自作の詞作りに取り組み始め、そこで描かれた内省的な世界観は数々の名曲を生み出していったが、その一方で自分自身の感性だけでは辿り着けない言葉への憧れも抱えていたようだ(作詞に関してはずっと手本としたい作家がいなかったという事情も絡んで、かなり苦痛を伴う作業であるということがよく語られている)。もっと別の表現の可能性があるのではないか? そんな思いから、次第に男性作詞家と組んでみたいという意識が芽生え、その先に浮かび上がったのが松本隆の名前だった。
もっとも、山下にとって松本は決して気軽に声をかけられる相手ではなかった。それまでにも、大滝詠一の“指切り”や、鈴木茂の“砂の女”など、松本作品をカバーレパートリーに取り上げていたことから自分の歌唱と松本の言葉が自然に馴染む感覚は理解していた。だが同時に、松本隆といえば大滝詠一、そんな強固なイメージが彼のなかにあったようだ。彼のパートナーは大滝さんであって、自分ではない。松本・大滝という完璧とも言える結びつきの前では、自分が入り込む余地などない、と思っていたのだろう。しかも松本は世代的にも少し上の作家。はたしてオファーを受けてくれるだろうか? そんな不安もあったという。
しかし実際に共作を始めてみて、彼はある重要な発見をする。それは、自分と松本が抱いている〈少年性〉への感覚が驚くほど近かったということ。山下が言うところの松本の詞世界を形成する大きな特徴のひとつ〈高度経済成長期の東京の原風景〉に根ざした郷愁や情緒表現。それは同じ東京育ちである山下にとって、感覚的に手に取るように理解できる世界であり、その共鳴が鮮やかに表れた良きサンプルとして“DREAMING GIRL”を挙げることも可能だ。ときに松本が描き出す、壊れてしまいそうなほど繊細で儚い感触は、翌年に産声をあげるKinKi Kidsの“硝子の少年”にもしっかりと息づいているだろう。そんな抒情的なイメージと対峙するにあたり、懐メロと呼ばれる領域にまで遡りながらメロディーメイクを敢行し、逆説的に圧倒的な普遍性を獲得するに至った山下の手腕もあっぱれというほかない。
当時の松本はちょうど、いっとき距離を置いていた音楽シーンへふたたびカムバックを果たした時期であり、この時代にどんな言葉を書けるのか、何を提示できるのか――そんな問いを抱えながらみずからの表現をあらためて確かめようとしていた時期だったように思う。だからこそ、このときの両者の邂逅は決定的だった。お互いが長年培ってきた美学や感覚、そして〈少年性〉へのまなざしが鮮やかに結びついて生まれた美しき結晶に触れつつ、このタイミングでなければ実現し得なかった必然性に満ちた出会いだったんだなぁとつくづくそう思えてならない。