ビッグビートやドラムンベースなどレイヴ文化がオーバーグラウンドへ
ダンスフロア発のレイヴカルチャーが境界線を突破した瞬間として、プロディジーの“Firestarter”が1996年3月、“Breathe”が同年11月に、シングルチャートで連続全英1位を獲得したことも刮目すべき記録だろう。1994年によりレイヴ色が強かった2ndアルバム『Music For The Jilted Generation』で全英1位を獲得していたプロディジー。彼らが、ブレイクビーツを核に持ちながらもよりパンクやオルタナの攻撃性を武器に、レイヴをロックスター感のあるオーバーグラウンドのものへと拡張させていく過程こそ、まさしくこれらのシングルと、続く1997年のシングル“Smack My Bitch Up”および3rdアルバム『The Fat Of The Land』だった。


ブリットポップ期にはロンドンとマンチェスターが主要地域となり、主にギターバンドがシーンやチャートを席巻していた。一方で1996年の特徴は、音楽ジャンルやミュージシャンの人種、都市の面でもより多様性を持ち、そして次の時代へと向かう分岐が始まっていたことだろう。上記のプロディジーの例を筆頭に、ダンスミュージックは様々にオーバーグラウンド化を果たした。
例えば1995年にはゴールディーの『Timeless』が発表され全英7位になり、1996年にもロングヒット。このアルバムはドラムンベースがクラブミュージックを超えてジャズやソウル、ストリングス、歌など多様な要素を加味したレコード芸術たりうると広く伝え、ドラムンベースのオーバーグラウンド化を決定的にした。これが1997年にロニ・サイズ・レプラゼントのマーキュリー賞受賞を導いたともいえそうだ。


また、マンチェスターのケミカル・ブラザーズは1996年、オアシスのノエル・ギャラガーをボーカルに擁したシングル“Setting Sun”で全英1位を獲得、彼らの名声が決定的となった。このハシエンダキッズたちのコラボに音楽ファンは沸き、1997年の代表作『Dig Your Own Hole』や同年の“Block Rockin’ Beats”でのグラミー賞受賞へと繋がった。

また、1996年はハウスマーティンズのベーシストやビーツ・インターナショナル名義での活動ですでに知られていたノーマン・クックが、ファットボーイ・スリムとしてデビュー作『Better Living Through Chemistry』をリリースした年。この2つのグループが代表格となり、ダンスとロックがアグレッシブに繋がった〈ビッグビート〉として当時の音楽ファンを踊らせた。

グラスゴーから現れたDIYなギターロック
マンチェスターからさらに北、スコットランドのグラスゴーに目を向けよう。1996年はベル・アンド・セバスチャンが6月に1,000枚限定のデビュー作『Tigermilk』を、また11月には2nd『天使のため息(If You’re Feeling Sinister)』をリリース。当時は中心人物のスチュワート・マードックが基本的に取材に応じなかった(慢性疲労症候群を患っていた、など詳細がのちに判明)ことと併せ、ガラス細工のように繊細で壊れそうなギターミュージックは当時のシーンにミステリアスかつ新鮮な印象を与え、世界中のインディーズギターポップファンから熱狂的に迎えられた。
また、同じくグラスゴーからこの年にモグワイがシングルデビュー。翌年のデビューアルバムでポストロックの雄として名を馳せる前夜に当たる。ちなみに、ベルセバとモグワイに共通することといえば徹底的なDIY意識。ブリストル発の音楽がタイプこそ異なれど共通してレベルミュージックの鋭さを内包していることと同様に、この頃の英国の音楽はまだその街ごとの空気感を色濃くまとっていた。


