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〈パラダイス・ツアー〉を終え、それぞれの道へ

北爪「長門さんは、その〈パラダイス・ツアー〉が終了した頃に細野さんのパーソナルマネージャーになられたそうですね」

長門「そうですね。その頃にティン・パンのマネジメント事務所が解散したこともあり、細野さんと僕でトロピカル探偵社という小さな事務所を始めました。もっとも、長くは続きませんでしたが」

北爪「翌年にはまた新たな事務所を立ち上げたのですよね」

長門「そう。1977年の夏だったか、細野さんから〈山下(達郎)くんもいま事務所がないようだから、声をかけて一緒にやらないか〉という提案がありました。以前、僕はシュガー・ベイブのマネージャーをやっていたのだけど、ティン・パンの仕事に専念するために辞めています。そのことを細野さんが気に掛けてくれていたんだと思います」

北爪「山下さんも賛成してくれたのですか?」

長門「はい。細野さんがウィルパワーという事務所名を付けてくれて。山下さんに吉田美奈子さんも加わって、僕と日笠さんでマネジメントを担当しました。ただ、優れた才能を持った3人のマネジメントを2人だけで受け持つのは少々無理があった。僕にビジネスの才覚があれば違っていたかもしれませんが、結局ウィルパワーも短命に終わってしまったんです」

北爪「パイドパイパーハウスで働き始めたのはその頃でしょうか?」

長門「パイドはもともと初代店長の岩永正敏さんたちが1975年に始めたお店なんです。僕もオープン当初から品揃えのアドバイスなどで関わってはいたけれど、正式スタッフとして加入したのは1977年の12月ですね。それで細野さんのマネジメント業務は日笠さんに引き継ぐことになりました」

北爪「細野さんがアルファレコードへ移籍するのも同じ頃ですよね」

長門「そうですね。僕はアルファとの契約がまとまるところまでは見届けたけれど、その後の制作活動には深く関わっていないんです。ただ、細野さんは僕との関係を大切にしてくれて、『はらいそ』のクレジットに名前を残してくれました」

細野晴臣 『はらいそ』 クラウン(1978)

 

細野さんの音楽を1人でも多くの人に知ってほしかった

北爪「長門さんは1970年代当時から、海外のミュージシャンに細野さんの音楽を紹介されていたのですよね」

長門「細野さんの音楽は日本の中だけで完結するものではない、という感覚は当時からあったと思います。さすがに現在のような評価になるとは思っていなかったですが」

北爪「直接音源を渡していたのですか?」

長門「『トロピカル・ダンディー』と『泰安洋行』をカセットテープにコピーして渡していました。ジョン・セバスチャンはウッドストックのラジオ番組で紹介してくれたし、リヴォン・ヘルムやジェフ・マルダーにもテープは渡っています。実現しなかったけれど、マリア・マルダーが細野さんの“ルーチュー・ガンボ”をカバーするなんて話もありました。結局テープはマリアからビル・ワイマンを経てエリック・クラプトンまで渡ったようです」

北爪「人から人へと伝わっていったわけですね。その意味では、結果的に長門さんが細野さんの音楽と海外のアーティストを繋ぐ橋渡しの役割を果たしていたとも言えますね」

長門「何か大きな海外プロモーションをしたということではないんです。ただ、細野さんの音楽は、聴く人が聴けばきっと面白さが分かると思っていました。カリブの音楽やハワイアン、ニューオーリンズ、エキゾチカなどいろいろな音楽を吸収しながら、それを日本人の感覚で調理しているわけですから」

北爪「インターネットが普及した現在では、世界中の若い人たちの間でも細野さんの音楽が聴かれています」

長門「マック・デマルコやデヴェンドラ・バンハート、ハリー・スタイルズのような世代の人たちから支持されているのは嬉しいですね」

北爪「少し大げさかもしれませんが、1970年代に長門さんが撒いた種が、いまあちこちで花開いたようにも思えますね」

長門「いやいや(笑)。僕はただ、細野さんの音楽を1人でも多くの人に知ってほしかっただけなんですよ」

 


PROFILE: 北爪啓之
1972年生まれ。1999年にタワーレコード入社、2020年に退社するまで洋楽バイヤーとして、主にリイシューやはじっこの方のロックを担当。2016年、渋谷店内にオープンしたショップインショップ〈パイドパイパーハウス〉の立ち上げ時から運営スタッフとして従事。またbounce誌ではレビュー執筆のほか、〈ロック!年の差なんて〉〈ろっくおん!〉などの長期連載に携わった。現在は地元の群馬と東京を行ったり来たりしつつ、音楽ライターとして活動している。NHKラジオAM「ふんわり」木曜日の構成スタッフ。