ヴィジュアル・テクノロジーの粋
可視化するリアルタイム
iTunesをシャッフルモードにしながら作業にかかりきりになっているとときおり妙な音が流れてギョッとする。それはおもに趣味で録りためたフィールド録音だったりするのだけれども、ときに以前やったインタヴューの音源がかかることがある。自分の声がスピーカーから聞こえてくるのにはなかなかなれない。先日も、もごもごした私の質問にどなたかが英語で答えている。訛りの強い英語だがおちついた芯の強さも感じさせる声音だ。私は作業をつづけながら聞くともなく聞く。私が質問する。
「クラスターの『Berlin 07』は2007年のライヴ盤ですが、あまりにフレッシュでおどろきました」
ああこれは数年前のディーター・メビウスさんのインタヴューの音源だと私が気づく。ファイルを確認すると2012年10月25日の日づけである。その数日前メビウスさんはPhewさんと小林エリカさんのProject UNDARKに参加するため来日し、〈Sound Live Tokyo 2012〉の一環で演奏したのはたしかその週末だった。私は今年7月逝去したメビウスさんが参加した、最初で最後の完全なるProject UNDARKの演奏を東京文化会館小ホールの舞台を扇状にかこむ客席の下手側で聴いた。前世紀初頭、暗くても見えるように時計の文字盤をラジウムでペイントするのが仕事だったラジウム・ガールズたちの生の断片を、Phewは淡々と声にし、ディーター・メビウスはそこに戯れるように音を絡ませる、小林エリカの映像は東日本大震災からまだ日も浅いこのとき、直截でありながら詩的だった。いや、直裁であることの詩情か。それはまたProject UNDARKのプロジェクト全体にもいえることだった。
数年前のコンサートで細部の記憶は曖昧だが、おおまかな構成以外即興でおこなわれたにちがいない演奏の最中、声と音が止み訪れた一瞬の静寂のなか、天井の高い舞台の背後に貼ったスクリーンにキノコ雲を思わせる映像が昇ったのをきっかけに音と声が、凍っていた時間が溶け出すように動きはじめたあの一瞬の感覚はいまでも鮮明におぼえている。私は〈きっかけ〉と書いたが、正確にはPhewとメビウスが背にしたスクリーンに投射されていたからあの映像はふたりにとってきっかけにはならなかった。それに音が止んだ(ように)聞こえたのもおそらく偶然の一致でしかない。しかしそこにこそ即興にかぎらない、あらゆる行為の一回性があり、それは確率と時間の不可逆性を意味するだけでなく、一回性の常套句だけではくみつくせないなにかがあり、声と音と映像の重なりはそのことをことのほか見えやすくするのではないか、はからずも可視化するのではないか。
ディーター・メビウスが日本で最後に踏んだ舞台となった東京文化会館小ホールで、来る1月末の2日間「ON-MYAKU 2016 - see / do / be tone -」と題した企画がおこなわれる。この企画は振付、構成、ダンスの白井剛、音楽構成とピアノの中川賢一、映像演出を堀井哲史が担当する公演で、〈ON-MYAKU〉は漢字にすると〈音脈〉となり、音の系譜や関係、時間的なつらなりと空間的なつながりをほのめかすかに思える。ダンスと音楽と映像、ふだんそれぞれの分野で活動する3人のひとり、堀井哲史は「ON-MYAKU」について「お話をいただいたのは白井さんからでした」と語る。堀井哲史と白井剛は2007年の「true/本当のこと」ではじめて出会った。「true」はダムタイプにも参加する川口隆夫と白井剛、ふたりの踊り手を中心とする、ダンスと映像と音による舞台作品。堀井哲史は所属するライゾマティクスの真鍋大度とともにその作品に映像で参画したが、そのときの映像は身体といくらか距離を置いたものだったと堀井はいう。
「『true』では映像と踊りは直接的には関係していませんでした。ディレクションしていた藤本隆行さんが踊りと映像を切り離していて、ダンスより音のほうが映像に影響していたと思います。『ON-MYAKU』では映像と踊りが綿密に絡み合うかたちになると思います。白井さんの身体にセンサーを装着したり、ステージ上でタブレット端末を使って書いたものが大きいスクリーンに投影されたり、光るライトセーバーのようなものをもってもらい、それと中川さんのピアノの情報を反映させるとか、仕掛けをいろいろ考えています。僕のほうでデータの送り方の調整はしますが、音も映像も踊りも相互に関係する作品を構成していきたいと思っています」