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1980年代日本のテクノポップの新しい時代を象徴するレーベル
YMOが華々しく散開した年の翌年。1984年に発足されたノンスタンダード・レーベルは、日本のテクノポップ第二章のスタート、とでもいうべき新しい時代の象徴だった。
レーベルの顔は、細野晴臣。第一弾リリースも彼の12インチシングル『メイキング・オブ・ノンスタンダード・ミュージック』だった。当時、本作を手にした方はちょっとした衝撃だったはず。A面には7分に渡るディープなエレクトリック・ファンクが収められ、B面には対照的にラフなシンセ音がきままに奏でられる。おまけに、漫画や小説がたっぷり詰まった書籍まで付属されていた。それだけ気合の入ったレーベルのスタートだったのだろう。直後に登場したアルバム『S・F・X』も、この延長線上ともいえる怪作だった。この無機質なビートは、後にF.O.Eというユニットにつながっていく。細野の最もラジカルな時代といってもいいだろう。
ただ、ノンスタンダードの他のラインナップは、もう少しポップな世界観を持っていた。メロディアスなテクノ・ポップを追求したShi-Shonen、カラフルな無国籍ポップスを奏でるワールドスタンダード、エッジの効いたニューウェイヴ・サウンドを聴かせるアーバン・ダンス、テクノとクラシックを融合させて度肝を抜いた越美晴などYMOチルドレンともいうべきアーティストが揃っていた。他にもピチカートVやフランスのMIKADOなども参加しており、その辺りは『ザ・ベスト・オブ・ノンスタンダード』というコンピレーションで、そのエッセンスを味わうことができる。
本レーベルは、実質2年あまりで失速。1987年に入ると、UKジャズファンク風のヒップなバンド、ブルー・トニックもデビューするが、それが終焉の合図でもあった。しかし、テクノポップからワールドミュージックへと移行していった細野の変遷や、その後の渋谷系ブームを生むピチカートVを世に出したことなどを思えば、ポップ・マニアは避けて通れないレーベルなのである。