『Odd Harmony』までの歩みと、好きな音楽について
――Beat Caravanを知らない人のために遡った話をしたいんだけど、結成は何年くらい?
Miho「こないだ決めたよね、それ(笑)」
Bob「『Odd Harmony』CDの帯には〈90年代後半〉って書いてあるけど」
Matt「いや、結成10周年のときに決めたんだよ。98年に」
――ShoogeとMihoは結成からのメンバーだよね。最初は3ピース?
Shooge「いや、もう1人ギターがいましたね。バンドを始めたときは4人で、TEENGENERATEの曲をやってました」
――その話は聞いたことがある。ShoogeがFink(TEENGENERATEのギター/ヴォーカル)役だったとか。
Shooge「恥ずかしながら(笑)」
Miho「真っ白のフライングVでね(笑)」
Shooge「友人に譲ってもらったそれしか持ってなくて(笑)」
――それでオリジナル曲をやり始めたときに3人になった?
Shooge「そうです。大体そんな感じです」
――その頃にデモカセットを作ってるようだけど、当時はカセットをいろんなところに送ったりする文化が盛んだったよね。Beat Caravanはどうだった?
Miho「BASE(高円寺のパンク系レコード店)に10本持ち込んで、10年くらい前に〈とうとう全部売れたよ!〉って連絡がきたんですけど、その代金をまだ回収しに行ってない(笑)」
Shooge「Psych up(西新宿のレコード店)にも置いてもらいましたね。(店主で元ザ・ファントムギフトの)ピンキー青木さんが結構プッシュしてくれて」
Miho「レーベルに送ったりとかは特にやってないです」
――最近はカセットの文化が復活してきているけど、そういうのは興味ある?
Matt「テープも出したいとは思うんだけど」
Bob「最近の新譜のカセットは、売値もレコードと同程度で嗜好品ですよね」
――そこからMattが加入して、しばらくしてPOP BALL(大阪拠点のポップ・パンク系レーベル。オーナーはTHE WIMPY'Sのヒロッキー)から2002年に7インチ『Beat Caravan』を出すじゃないですか。その辺の経緯は?
Miho「THE WIMPY'Sは大好きなので、聴いてもらおうとGIG-ANTIC(渋谷のライヴハウス)のライヴにカセットを持って行って。Shoogeと一緒に行ったよね」
Matt「そのときに渡したの?」
Shooge「いや、その日ではないです。その日はどうせならたくさん配ろうと思って時間をかけてせっせとダビングした結果、テープがまさかの無音で……。全て」
Miho「オールナイトのライヴだったよね。車で向かって、途中で一応聴こうとしたら音が入ってない(笑)」
Shooge「だからTHE WIMPY'Sに渡せたのは別の機会ですね。で、すごく気に入ってくれて、わざわざ電話もくれたりして。物凄く嬉しかったです」
――無音のを渡さないで良かったね。
Shooge「いや本当に。オノ・ヨーコ的というかジョン・ケージ的というか(笑)」
――その頃のBeat Caravanはポップ・パンク寄りの音だったよね。いまみたいな感じに変わっていく転機みたいなのはあったのかな?
Shooge「Mattがバンドに入ったからじゃないですかね、やっぱり」
Matt「Beat Caravan加入前にShoogeと一緒に別のバンドをやろうとしていて、“Back To The Sweethearts”みたいな感じの曲をスタジオで合わせてみたりしていました」
Shooge「そのバンドは〈パンク・イーグルス〉みたいな感じでね」
Matt「それしかできないから(笑)。気分はイーグルスみたいに爽やかな曲を演りたいんだけど、ギクシャクした演奏しかできなくて。そうこうしているうちにBeat Caravanに加入することになって、引き続きそういう曲をやるようになったというか、それでBeat Caravan(のメンバー)はみんな自分で曲を書く人たちのはずなのに、自分が入ったら全然書かなくなって(笑)」
Miho「〈肩の荷が下りた〉って言ってたよね(笑)」
Bob「Mattが入って1年くらいですかね、当時、僕は客としてよく(Beat Caravanのライヴを)観に行ってたんですけど、そのギクシャクした技術で(笑)、リハーサルでまさにイーグルスの曲とか演奏してるんですよ。“Take It Easy”とか。〈なんだこのバンド?〉って思いました(笑)。その時点で、シングルのああいう(ポップ・パンクな)感じからは違っていたんですよね」
Matt「あとはコモンビル※からの影響もあったんでしょうね。カントリーっぽい感じとヒップゲローからの荒々しさを持ち合わせていて大好きだったので」
※元ヒップゲローの玉川裕高が率いたカントリー・ロック・バンド。2003年に活動休止
――そこから『Volume 2』が出るまで、間が結構空いたんだっけ?
Matt「7インチを出したのが2002年で、その次の『Volume 2』が2004年ですね。んさんに〈出してくださいよ!〉って言ったような記憶があります」
――その辺の経緯をあんまり覚えてないんだよね(笑)。
Miho「最初のデモはポップ・パンクみたいな感じで、いわゆるパワー・ポップ界隈の人からするとちょっと色が違うというか、みんな反応がイマイチだったんですよ。だけど、んさんが〈いやー、Beat Caravanっていいかもしれないんだよね〉みたいな、否定的だけど気にもなってるふうなことを言ってたのはよく覚えてます(笑)」
Matt「僕は自分が入る前からBeat Caravanのファンで、よくライヴを観に行ってたんですよね。確かにポップ・パンクの括りに入れられがちだったけど、ゼロズみたいな曲もあったりしてなんか違うな、という気はしてて。それで好きだったんですよ」
――その頃からモダネッツの“Rebel Kind”とかさ、ああいう感じの曲を演りだしたよね。
Matt「その曲自体は僕が入ってからだと思うんですけど。ただ、雰囲気は当初からもありましたね」
――カントリー・ロックとパンク・ロックの中間に位置するのが“Rebel Kind”だと言えるよね。
Matt「まさに。昔からバック・チェリー(モダネッツのリーダー)は鋭い人だなぁと思ってました。彼はグラム・パーソンズとかも好きですもんね」
――その後、2006年はカジュアルズ(インクレディブル・カジュアルズ※)の来日公演にBeat Caravanにも出てもらったんだよね。
※元NRBQのギタリスト、ジョニー・スパンピナートが在籍するロックンロール・バンド
Shooge「ありがたすぎる話でした」
――カジュアルズと演ったときの感想は?
Bob「(Beat Caravanの)みんなそうだと思うけど、自分たちのことはなにも覚えてないです(笑)」
Shooge「いや本当に。カジュアルズの演奏が格好良すぎて、いま思えば自分たちの演奏はなくても全然よかったです(笑)」
Matt「もちろん、来日する前は音源しか聴いたことなかったわけじゃないですか。それはそれで好きだったんですが、来日の少し前にライヴ盤が出てたんですよね(編注:2004年作『Yearbook '04: Live! At Da ’Coma!』のこと)」
Shooge「出てたね、(録音が)轟音のやつ」
Matt「それでオッ!と思ったんですけど、ライヴでもあのまま再現されてた。すごい感動しましたね。Beat Caravanとしても、あれはかなりデカい出来事だったんじゃないですかね」
――今回の『Odd Harmony』でも、カジュアルズについて歌った曲がアルバムに入ってるよね。
Bob「“At Da ’Coma”では、カジュアルズのホームとも言えるケープコッドのビーチ・コマーというライヴハウスの情景を歌ってます。僕らはそこに行ったことないんですけど(笑)、カジュアルズのライヴを体験しなければ出来なかった曲ですね」
Miho「ジョニー(・スパンピナート)には〈いつでもケープコッドにライヴしに来て〉って言われてるんですけどね」
――カジュアルズ繋がりで訊くけど、Beat CaravanってQ(NRBQ)みたいなイメージを持たれてるじゃないですか。
Matt「好きってだけですけどね」
Miho「好きってことは声高に言ってるもんね」
――さっきはイーグルスの名前も出てきたけど、その辺やQを聴こうというのはどういうきっかけだったのかな?
Matt「イーグルスやNRBQは結構昔から好きだったんです。でも、ああいうのは(自分たちに)できる音楽ではないとも思ってて。とはいえ、日常的に聴いてるわけだしエッセンスはどうしても入っちゃうんじゃないですか。よくカヴァーもしてましたし。一回、Qのカヴァーだけのライヴを演ったこともあります」
Miho「強行したよね(笑)」
Matt「僕らだけが楽しかった(笑)。なんか、クリスマス・パーティーみたいなノリの企画だったような」
――Bobが加入したのは、カジュアルズと共演する前後だっけ?
Bob「『Volume 2』のリリース直後が最初のライヴでしたね。それがラバー・シティ・レベルスの大阪公演(2004年、千日前のアナザードリーム)で」
Shooge「いきなり大阪だったか(笑)」
――その後、『On Parade』が2010年にPOWER ELEPHANT!※からリリースされるわけだけど。矢田(圭伸)くんから話があったのはどういう流れ?
※元MOD LUNG、現Dirty Satellitesの矢田圭伸が主宰するレーベル
Shooge「矢田さんとの最初の接点としては、まずは僕らがライヴ企画に誘ったんですよ。『Volume 2』を出したあとは自分たちのライヴ企画を月1回ぐらいのペースで高円寺のペンギンハウスでやっていて、日常的に出演バンドを探していたんです。それでMOD LUNGもネットで検索しまくって発見(笑)」
Bob「後で話を聞けば、それ以前にless than TVの企画に出た時か何かで、Beat Caravanを観てくれていたそうですけど」
Matt「で、その自分たちの企画にMOD LUNGとSADDLESに出てもらって。数年後、この日出演のSADDLESとBeat Caravanを、それぞれ順にPOWER ELEPHANT!がリリースしてくれたという次第です」
――矢田くんがPOWER ELEPHANT! を始めたころに、SADDLESなども含めて〈東京アメリカーナ〉という打ち出しをしていたじゃないですか。あれってどう思ってたの?
Bob「矢田さんから、『On Parade』のリリースに合わせて、いわゆる〈アメリカーナ〉と呼ばれるようなサウンドのバンドを集めたCDを作りたいというお話がありまして。僕らがそういうサウンドに当てはまるかと考えるとどうなんだろう?と思いましたが、最終的にあのコンピレーション・アルバム(2010年作『TOKYO AMERICANA』)が出る形になりました」
Matt「アメリカでもそうだけど、エモ界隈の人たちがルーツ志向になっていく流れがしばらく前からあったようで。ただ、僕らはもともとそういう音楽性じゃないし、そういう流れにもまったく乗れてなかったので……。ともかく手に取ってくれるきっかけになればと」
――とはいえ、そういう流れのなかで初めてフル・アルバムを出して、多少反響はあったじゃないですか。渋谷の某レコード・ショップで結構売れたり。
Matt「そうらしいですね! お店で何度も曲を流してくれたんですよね。そういう売れ方が一番嬉しい」
――今回の『Odd Harmony』も、どこかで流れれば反応あるんじゃないかな。あとBeat Caravanといえば、ビッグ・スター/アレックス・チルトンを筆頭に、いわゆるArdent Records周辺のメンフィス・ロックが好きじゃないですか。その辺とかはBeat Caravanのサウンドを作る上で意識してるんですか?
Matt「それはあまりないですね」
――でもカヴァーをやってるよね、(アレックス・チルトンの)“Bangkok”とか。
Shooge「そうですね。あとは、アレックス・チルトンがカヴァーした曲のカヴァーも」
――“Lipstick Traces (on a Cigarette)”もそうだよね。
Matt「あれは完璧にアレックス・チルトンのヴァージョンで演ってますね。アレックス・チルトンを聴いてからアラン・トゥーサンや古いロカビリー、カントリーなどを本格的に聴くようになったし、そういう意味でも影響は大きいかと」
――そもそも、どうやってアレックス・チルトンに出会ったの?
Matt「最初は“Bangkok”ですね。ライノのコンピで知って格好良かったから、(アレックス・チルトンの)アルバムを買ってみたら全然良くなくて(笑)。“Bangkok”みたいな曲を期待して買ったから。それが好きになるまで7、8年かかったような気がするなぁ。最初は紫色のベスト盤を聴いたんだけど(編注:91年のコンピ『19 Years: A Collection Of Alex Chilton』のこと)」
Bob「あのベスト、すごくいいんですよね」
Shooge「(1曲目に入ってる)“Free Again”もあのヴァージョンが最高。最後のシャウトが削られてなくて」
Matt「いま聴くといいんだけど、最初はピンと来なくて。みなさんもそうですよね? 『High Priest』(87年)も19、20歳くらいのころに買ったけどわからなかった。『A Man Called Destruction』(95年)が大学出るか出ないかあたりの作品で、その辺から急に〈あれ?〉ってわかりはじめた感じ」
――ビッグ・スターはある意味一般化したじゃない、ティーンエイジ・ファンクラブの影響とかもあって。
Matt「そうですね。インタヴューでもビッグ・スターやニール・ヤング、バーズの名前を挙げているのを見かけたし、自分もそれで聴きましたし」
――でも、そこからアレックス・チルトンやヴァン・デューレン、スクラフスまで広がっていく感じはなかったような気もするんだよね。
Matt「メンフィス周りだと、トミー・ホーエンやプリックスも。一時期はリイシューが活発でしたよね。聴こうと思えば手にとれたというのは自分にとってはデカいです」
――いまだとムリだろうね(笑)。
Matt「モア・ファン(MattがBeat Caravan以前に参加していたパワー・ポップ・バンド)のころからその辺は大好きだったので。なんか惹かれるものがあるんですよね」
――その一方で、みんなビーチ・ボーイズも好きじゃないですか。それとメンフィス物はどう繋がってるの?
Matt「ボックス・トップス※の流れですかね……。ビーチ・ボーイズのカヴァーもしてますし」
※アレックス・チルトンが在籍し、60年代に活躍したポップ・ロック/ブルー・アイド・ソウル・バンド
Bob「“Darlin'”はBeat Caravanがトリオのときから演ってますよね」
――ビーチ・ボーイズの初期はチャック・ベリー的なロックンロール色が濃いけど、その時期と『Pet Sounds』期の感じだと、どちらが好き?
Bob「僕は全部好きですよ。“Kokomo”なんかも含めて」
Matt「初期の曲もハーモニーの付け方が独特ですし、フォー・フレッシュメンっぽいところもあったり。ああいうのは好きですね。全部好きですけど」
――あとはNRBQの遺伝子を今日に引き継ぐバンドとして、例えばシー&ヒムがいますよね。その辺もBeat Caravanの今回のアルバムとリンクしている部分があるのかな。
Shooge「それはまったくくわかりませんが、差し当たりBillboard-LIVEのアンケート(来日リクエスト)には、必ずシー&ヒムの名前を書いてはいます(笑)」
Matt「シー&ヒムは本国ではすごく売れてるんだよね?」
柴崎「バカ売れですよ。日本だとそこまでじゃないけど『Volume Two』がスマッシュヒットしてますね(日本盤のリリース元はPヴァイン)。M・ウォードも勢いがあったし、ズーイー(・デシャネル)が映画『500日のサマー』で人気になって」
Miho「ズーイーはファッション・アイコンでもあるしね」
Bob「ひと昔前は歌が上手で、複雑なコードを使って、なんでもしっかり演奏できるような人たちは緻密で本格的なジャズやポップスを目指すような流れが主流だったと思うんですけど、シー&ヒムみたいにQのようなバンドが好きで、60年代のティーンエイジャー向けみたいなラフなロック・スタイルで演奏する人たちは、いろんなところで増えてきているような印象がありますね」
――つまり、Beat Caravanに時代が巡ってきた?
Shooge「そうだと嬉しいですけどね」
Matt「周回遅れの先頭を走ってるみたいな(笑)」
――『Odd Harmony』の帯では、〈スウィート・ロックンロール〉と形容されているよね。
柴崎「そのまま活字で〈ロックンロール〉と書くと、なんとなくオラオラな感じになっちゃうじゃないですか」
――〈スウィート〉って、Qだったらジョーイのイメージだよね。ラヴィン・スプーンフルからの流れもあって。テリー・アダムスはジャズ寄りというか。
Matt「ちょっとアヴァンギャルドというか。その辺がいいバランスだったんでしょうね」
――その間にトム(・アルドリーノ)がいたのかな。ちょっとスウィートな変人。
Shooge「超音楽マニアでしたね」
Matt「清濁併せ呑むみたいな。彼が全てを融合させてたのかもしれない」
Shooge「ジョーイのスウィートさは、スパンピナート・ブラザーズ(ジョーイが弟ジョニーと組んだバンド)でもさらに際立ってますよね」
――そういうメンバー間のバランス感覚って、Beat Caravanの場合はどんな感じ?
Matt「なにか判断に迷ったときは、なんとなくBobに頼る部分はありますね」
――客観視するポジションみたいな感じかな。
Miho「音楽をよく知ってるしね」
Matt「引き出しも多いし。ギターのアレンジは大抵Bobに任せているんですよ。というか、ギター以外の部分に関して、アレンジらしいアレンジをしていないので。みんなあんまり作り込むのが好きじゃないし、〈どうだ!〉と言わんばかりのアレンジは恥ずかしいというのもあって」
Shooge「そもそも出来ないです」
Matt「〈これがやりたい〉というのでこうなってるのではなくて、〈これは嫌だ、これは恥ずかしい〉というのを避けるところからBeat Caravanの音楽は成り立っているんです」
Miho「これはないよねー、とか(笑)」
――それ言ったら、バンドをやること自体が恥ずかしいんじゃない(笑)?
Matt「恥ずかしいです(笑)。インタヴューやレコ発ライヴも恥ずかしい」
Miho「顔出すのも恥ずかしいよね」
Matt「でもアルバムや曲を作って、それを良かったと言ってもらったり、ライヴを観に来てもらえたらとても嬉しいので。それでやってるんじゃないですかね。そういう人がひとりでも増えれば、それで万々歳。それだけじゃないですか」