ハイドンとC.P.E. バッハの名作を歌い上げる
ヴェテランの自在が喜ばしく輝く。元イザイ四重奏団のチェリスト、という紹介ももはや要るまいが、ソロ録音でもバッハから現代のデュティユーまで、広いレパートリーでぴたりと焦点の決まった表現力を逞しく魅せるマルク・コッペイの熟練…このような奏者こそもっと聴かれてほしいと願うけれど、いま彼が芸術監督を務めるザグレブ・ソロイスツ――創設者である往年の名チェリスト、アントニオ・ヤニグロとの録音でも知られる――と共演したチェロ協奏曲集がまたいい。ハイドンの傑作2曲に鬼才C.P.E.バッハという選曲に、知性と情熱の緻密な連鎖反応も豊かだ。
「モーツァルトもベートーヴェンもチェロ協奏曲を残してくれなかったので、ハイドンの協奏曲は我々にとって本当に大切なレパートリーです。彼の残した2曲は性格も異なり、古典主義の2つの貌を端的に表現しています。第1番のヴィルトゥオーゾ的な表現はバロック・オペラのそれに近いと思いますが、緩徐楽章の先鋭的な表現は後のハイドンを形成してゆく出発点でもあります。いっぽう第2番でのヴィルトゥオジティもオペラ的なカンタービレを持ちながら〈シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)〉運動へ繋がってゆく要素が第1楽章の展開部などに感じられますね」
コッペイの演奏も、豊穣を艶へと昇華する過程を生き生きと魅せながら、作品の性格を弾き分けてゆく巧みなものだが、モダン楽器に羊腸製のガット弦を張って古典の響きに近づけた弦楽アンサンブルと共に、互いの呼吸も昂揚も実に濃い。そして、併録された大バッハの次男でもある鬼才カール・フィリップ・エマヌエル・バッハのチェロ協奏曲イ長調(H.439)でも、コッペイの辣腕は作品の面白さをこれでもかと冴えた音楽に燃やす。バレエ愛好家には終楽章が人気作《モペイ》で使われてお馴染みの曲だが「ダンスで使われることと繋がるかも知れませんが、リズム感にも強い生命力がこめられた作品ですね。古典派以上に対位法的な表現を振り捨てた、他の誰にも似ない彼ならではの劇的な表現がある。古典派よりもむしろロマン派に近づいた〈私が…〉という表現も聴こえてくる」
ハイドンの2曲よりも前に書かれた作品だが「非常に先駆的な作品だと思います! 弦のバランス、声部をいかに強調して響きの豊穣を際だたせるか、はたまた室内楽的な対話の面白さ…演奏もあれこれ工夫しています。彼とハイドンは内声に価値を置く点で共通していますし、美しい独奏をいかに装飾するかという凡庸に収まるものではない。私たちも、自分たちに高い要求を課しつつマイクの前で常に冒険し続けています。技術的な完璧の先にある一期一会をね!」