ぼくらはみんな音楽である。

 ずっと気になっていた。ジョヴァンニ・ソッリマのことだ。最初に知ったのはマリオ・ブルネロが、ソッリマの曲を愛奏していたからで、もう20年ほど昔のことになる。同年代の親友で、街中でチェロを弾いたりしていたよ、と誇らしげに語っていた。同じアントニオ・ヤニグロ門下で、ブルネロは北イタリア、ソッリマはシチリアの男だ。そのチェロは鋭く激しく熱い。ドロミテの山地に登り、ジミヘンの“エンジェル”をザリッと弾く男である。

 広く知られる《Violincelles, Vibrez!》 (チェロよ、歌え!)はブルネロに捧げられた曲で、ふたりを前にヤニグロがくり返した言葉と響き合う。抒情に打ち震えるヒロイックな音楽で、ミニマル調の反復を好みながらも、弦の息づかいが柔軟に宿るところがソッリマらしい。

 2004年にブルネロと連れだって〈東京の夏〉音楽祭に登場し、以降の来日の記憶はぼくにはないが、電子音響も用いて多様な作品を手がけ、自身のアルバムも創り続けている。パティ・スミスとコラボレーションしたり、ピーター・グリーナウェイや、カルロス・サウラの映像やロバート・ウィルソンの舞台の音楽を手がけたり。そこへきて、近年情熱を注いでいる一大プロジェクト〈100チェロ〉が、イタリア各地やハンガリーから、飛び火するようにこの夏、東京で開催されることになった。まさしく青天の霹靂である。

 18世紀からの歴史をもつローマのヴァッレ劇場のとり壊し決定に抗して、2012年にソッリマとメロッツィが起ち上げたのが〈100チェロ〉の始まり。出自も実力もさまざまなチェロ弾きが一堂に集い、近隣に寝泊まりしながら、作編曲も含めて音楽を起ち上げていく共同創造のスタイルは、祝祭的なコミューンを思わせる。“Vibrez!”などの自作はもちろん、バロックからクラシック、ピアソラ、民族音楽、レナード・コーエン、デヴィッド・ボウイ、ピンク・フロイド、クイーン、プリンス、ニルヴァーナほかの名曲の多くを、獰猛な胃袋で消化し、100人の大きな心と響きで堂々と謳歌する。

 もの凄い音と熱量になるだろう。どんな音がするのか、現場で体験しないことにはわからない。だから、ぼくにもまだわからない。“ハレルヤ”を弾く映像を観たし、ライヴ音源も聴いた。風に戦ぐ森のようだ。激しい海鳴りのようにもうねる。整然と均して小、小ぎれいにまとめようなんて、彼らは思ってもいない。ばらばらで、雑味と野性味があって、自立しつつ民主的とも言える。だが、心はひとつ。音楽は出来合いのものではない。それは自由の名のもとに課される、体当たりの生の燃焼である。

 ソッリマと同志に、呼びかけに応じたチェロ弾きが馳せ参じる。なんなら、いまからチェロを始めようか。いや、100人の情熱をその場で受けきるだけでもいい。人それぞれ、生きかたはさまざまだが、ひとつわかっていることがある。きっとそのとき、ぼくらはみんな音楽である。

 


LIVE INFORMATION

ジョヴァンニ・ソッリマ 100チェロコンサート
○8/12(月・祝)17:15開場/18:00開演
会場:すみだトリフォニーホール 大ホール
演奏予定曲:ベートーヴェン 交響曲第九番
J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲第三番
ヘンデル 組曲第11番ニ短調 サラバンド
世界を売った男(デヴィッド・ボウイ)
ハレルヤ(レナード・コーエン)
タランテッラ(イタリア南部の舞踏曲)
チェロよ、歌え!(ジョヴァンニ・ソッリマ)
サウンド・オブ・フォーリング・ウォールズ(メロッツィ)