西京人—西京は西京ではない、ゆえに西京は西京である。

写真提供:金沢21世紀美術館
 

「新しい人」になろう。
新大陸を目指すのではなくてね。

 「西京」という小さな都が現れました。そこには芸術を愛する人々が住み、笑うか歌うか踊るかすれば、身一つで誰でも入国できます。おっと、その前に、入口で青い国旗を取るのをお忘れなく。

 日本の小沢剛と、海の向こうの隣人、中国のチェン・シャオション、韓国のギムホンソックの3人のアーティストが「西京人」というコラボレーションチームを組んだのは10年前。絵画や映像、インスタレーションなどで「西京」という架空の国を物語ってきた。このプロジェクトに3作家それぞれの近作を加えた、寓話のような展覧会が金沢21世紀美術館で開催中だ。

 「西京」は、東京でも北京でもソウルでもなく、アジアのどこかにあるという。大統領の部屋には、教育や領土問題などに取り組む映像が映し出されている。紙幣はテュッシュペーパーに印鑑、都市計画は西瓜を削ってつくられる。オリンピックも開催される。アイスホッケーはスプーンとコップでちまちまと。3つのテーブルの卓球では勝敗も決まらない。

 中庭を取り囲むガラス壁には、青いドローイング線。それは、言葉にならない無意識の世界を表しているようにも見える。その横で、着ぐるみのうさぎが目を開けて寝ている。アーティストが賃金をもらって寝そべっている設定のそれは「抜け殻」だ。涅槃、休戦、意識のないところでも世界は動いているという例えのよう。また、西京の学校では眠りの授業もある。

 「西京は西京ではない、ゆえに西京は西京である」という展覧会名は、否定の先の肯定という仏教の教えにも通じる。「西京」は現実を映し出す鏡であり、輪郭がなくその都度形を変える。不確定ゆえに開放された自由な空間。「空」のようなものだろうか。

 西部開拓のように、どこかにあるユートピアを目指すのでもない。「西京」は「国家」ではなく、「人」に賭けているのだと思う。大江健三郎が綴り、フィッシュマンズが歌った「新しい人」のように。第三者が参加したワークショップ映像だけでなく、3作家の作品にも他者の存在がある。歴史上の出来事を描いたチェン・シャオションのインク画。戦争画を描いた藤田嗣治の物語を読み替えた小沢剛の「ペインターF」。国家の大きな力に、小さな個人が翻弄され、抗う。自分に問いかけ、格好つけずに出直しや和解の道を探る。

 映像が長く、言葉が多いのは少々鑑賞しづらい。だが、映像を見ながら老夫婦と笑いあい、作品の真似をして上着を被り、パフォーマンスを始める外国人を見た。記念写真を撮っていた中学生にもいつかわかるときが来るだろう。「西京」は、人それぞれの胸にある。

 


EXHIBITION INFORMATION
西京人—西京は西京ではない、ゆえに西京は西京である。

開催中~ 8月28日(日)まで
会場:金沢21世紀美術館 展示室7~12、14
www.kanazawa21.jp/