生誕100年ユーディ・メニューイン、神童ヴァイオリニストから洞察力とヒューマニティの音楽家へ
ユーディ・メニューイン(1916-1999)は「神童ヴァイオリニスト」、「音楽思想家」、そして「自由人」として20世紀を生き抜いた。
1920年代半ばから1933年ごろまでの神童期のヴァイオリニスト、メニューインの高い演奏性能はいま約80年前に収録された音源で聴いても度肝抜かれる。閃光走るスピード感、音楽の山と谷を大胆に描出する表現力、時折覗く妖しい煌き。師匠格のエネスコの指揮によるショーソンの詩曲はこれらの美点全てが凝縮された録音。
神童期が終わり、第2次世界大戦を経て、1951年9月の初来日前後からのメニューインは「名ヴァイオリニスト」というより特異な洞察力を持った「音楽思想家」、敷衍すれば「音楽で思想する人間」になっていく(この「変貌」の背景については『二十世紀の名ヴァイオリニスト』〔ヨーアヒム・ハルトナック著、松本道介訳、白水社:2005年、原著刊行1967年〕もしくは『増補版ヴァイオリニスト33』〔渡辺和彦著、河出書房新社、2009年〕を御一読頂きたい)。戦後ナチスとの関係が問われたヴィルヘルム・フルトヴェングラーを敢然と擁護、演奏会や録音で共演したのは「音楽思想家」メニューインの代表的行動。また1960年代以降のグレン・グールドとのテレビ収録、異ジャンルの大音楽家であるラヴィ・シャンカールやステファン・グラッペリとの共演、1980年代制作の人間と音楽の歴史的関わりを考察したテレビ講演シリーズ(「メニューヒンが語る人間と音楽」と題され、NHKでも放送。書籍化もされた)においてはメニューインの持つ特異な洞察力を実感できる。
75歳以降のメニューインはほぼヴァイオリン置いて、指揮活動の傍ら若年音楽家の御披露目やダボス会議などでの人道問題に関する発言を活発に行い、いわば自由人として過ごした。「神童」「音楽思想家」「自由人」の3つの人生行路を辿ったメニューイン。その「終わりなき旅」は人間と音楽に向き合う私たちに多くを問いかけ続けている。