制作中のピエール・アレシンスキー 2009年 (C)Adrien Iwanowski, 2009
 

日本との深い関わり、コミック本からの影響など独特な世界観を発見できる日本初の本格的な個展がいよいよ開催!

 筆で描くことによる表現の究極にたどり着いた画家ピエール・アレシンスキーは、ベルギーの現代美術を代表する作家の一人だ。内面からほどばしるように描く圧倒的な筆の勢いと、抽象とも具象ともつかない独自の画風を特徴とするこの画家は、90歳近い今も精力的に制作を続けている。21世紀、あらゆる多様な表現方法が可能な中で、筆で描くという、シンプルな手法にこだわり、手や身体の動きと直結した躍動感ある作品を生み出していくアレシンスキーの姿は、見るものの身も心も魅了する。

 

ピエール・アレシンスキーの絵画の原点

 24歳からパリを拠点に活動してきたアレシンスキーは、作品がパリの国立近代美術館ポンピドゥー・センターの所蔵品になったり、1987年にはニューヨークのグッゲンハイム美術館で回顧展〈アレシンスキー〉が開かれたりと、世界的に活躍してきた画家だ。日本においても、50年代に画廊での個展、1993年には〈ベルギー現代美術展〉の巡回展などで紹介されたりしているが、ピエール・アレシンスキーの名前は、それほど知られてこなかった。

 そのアレシンスキーの日本初の本格的回顧展〈ピエール・アレシンスキー展〉が東京のBunkamuraザ・ミュージアムで10月19日から12月8日まで開かれる。1940年代末から最新作までの約80点のアレシンスキー作品が展示される本展は、若き日から最近までの絵画表現への挑戦の痕跡と彼の心の軌跡を紐解く。本展は日本・ベルギー友好150周年を記念して開催されるものだが、とりわけ彼と日本との深い関わりが紹介されることは見逃せない。この画家の作風の根底に日本の書道の影響があり、彼が禅画の仙厓を師と仰いでいたことは、あまりにも興味深い。

 1927年10月19日ブリュッセルに生まれたアレシンスキーは、中等教育修了後、市内の美術工芸学校で挿絵、本の装丁や版画を学んだ。1947年、独学で絵画を始め、同年早くもブリュッセルの画廊で個展を開き、批評家の目に留まり、1949年にはコブラ(CoBrA)という国際的な芸術集団に参加するなど、早いスピードで画家としての頭角を現した。コブラはプリミティブで力強い、迫力ある作品を世に問い、戦後のヨーロッパ美術の潮流を形作ることになったが、1951年解散。グループの活動自体は短命に終わった。即興的な筆さばきや、因習打破の精神、実験制作など、コブラメンバーが模索したアーティストとしての姿勢は若きアレシンスキーに受け継がれていった。コブラ解散の年、アレシンスキーは新しい出会いを求めてパリに移り住み、左手は絵を描く手、右手は文字を書く手として使い分けながら、表象とも文字ともつかない絵画を描きながら、西洋美術の伝統に囚われない、新しい絵画表現を模索していた。そんな中、彼は、通っていた版画学校で偶然日本の前衛書道の雑誌「墨美」を見つける。雑誌を主宰していた書家の森田子龍と文通を始め、日本を訪れることが彼の夢となった。同じ頃、彼はパリで、中国人の画家ウォレス・ティンの墨の絵と彼の制作風景を見て衝撃を受けた。こうして、20代の彼は東洋の書に一気に近づくことになった。

 

アレシンスキーの走る筆と「日本の書」

ピエール・アレシンスキー 『ボキャブラリー I -VIII』
1986年 アクリル絵具、キャンバスで裏打ちした紙 作家蔵 (C)Pierre Alechinsky, 2016
 

 27歳のピエール・アレシンスキーがその妻ミッキーを伴い、日本の土を踏んだのは1955年のことだった。マルセイユから定期船に乗り、約1ヶ月の船旅を経て横浜に上陸したアレシンスキーは、京都や東京に滞在し、書道家たちの世界に飛び込んでいった。彼は、日本語は読めないものの、書かれる文字の形や目の前で直に見る身体の動きに目を奪われ、短編映画『日本の書』を制作した。この映画は、ヨーロッパに日本の最も新しい書を紹介した画期的なもので、書家たちの余念を感じさせない自然な筆さばきの魅力を余すところなく伝え、いくつかの映画賞に輝いた。(イタリアのベルガモ国際映画祭にて特別賞受賞、東京文化映画祭にて名誉賞受賞など)

『肝心な森』
1981-84年 アクリル絵具 / インク、キャンバスで裏打ちした紙 作家蔵 (C)Pierre Alechinsky, 2016
 

『至る所から』
1982年 インク / アクリル絵具、キャンバスで裏打ちした紙 ベルギー王立美術館蔵
(C) Royal Museums of Fine Arts of Belgium, Brussels / photo: J. Geleyns - Ro scan (C)Pierre Alechinsky, 2016
 

 「京都の町並みに連なる看板、料理屋や居酒屋の入り口に垂れる暖簾、道筋に並び立つ幟が次々に映し出されて映画は始まる。カメラの眼は、看板、暖簾のさまざまにデザインされた文字を捕え、アレシンスキーの関心のありかを示していく」と、国立国際美術館の山梨俊夫館長は、本展カタログの中で、映画『日本の書』について解説しながら、アレシンスキーが日本の書家たちの制作を目の当たりにし、彼の身体性や画風にどんな変容が生じたかを紹介している。アレシンスキーは小学校の習字の授業や僧侶が書に向かう場面、前衛書道家の江口草玄や森田子龍が太い筆や束ねた筆を操り、全身を筆と格闘させながら描く様子を記録し、姿勢を正しく立ったままの篠田桃紅が薄墨の筆をすっと刷いて絵画的な作品をつくる姿を映像でとらえた。森田や江口などの前衛の書家たちは、従来の書のルールに縛られない書の改革に挑み、墨線の走りや勢い、墨痕の広がりを文字の意味を離れた抽象的な形態と捉え、絵画に近づけることを目指した。内発的な衝動を墨線と墨痕で表す身体的運動は彼らの芸術の真髄だった。そのことがアレシンスキーの中にある身体性と響き合った。

 「絵画と書道とは、同じ続きで始められる。どんなに小さな筆あとでも、情緒的超越へ向って連続的に張られた、思想と行動との緊密な混ざり合いを示している。このような見事な心の熟練は、西洋ではあまり見られない」(「習字以上のもの」アレシンスキー著、片山寿昭訳から本展カタログへ引用)。従来の西洋絵画からの脱却を求めていたアレシンスキーは、書の中に自らが追求していた自然発生的な文字の創出、書くことと描くことの見事な融合を感じた。「(アレシンスキーは)身体全体を使って描く、描くことは身体の運動とともにある、というデッサンの方法を、日本の書家たちとの出会いで改めて実感した。それに対して、書家を始め日本の美術界は、アレシンスキーの仕事から線の魅力を感じ取って大いに触発される。影響とか刺激というものは、往々にして相互的なものである」と山梨館長は当時のアレシンスキーと日本の書家たちの交流について解説している。

 「彼は、書を支える身体の運動性を追いながら、書における身体と精神の連動、身体の運動の意義を見て取っていた」(山梨館長)。

 

アレシンスキー独特のスタイルで新たな絵画の地平を拓く

『鉱物の横顔』
2015年 アクリル絵具、キャンバスで裏打ちした紙 作家蔵 (C)Pierre Alechinsky, 2016
 

『夜』
1952年 油彩、キャンバス 大原美術館蔵 (C)Pierre Alechinsky, 2016
 

 日本滞在のあと、アレシンスキーは次第に大きなサイズのキャンバスや紙を書道のように床に置いて描くようになった。しかし、油彩は即興的な制作に向かず、速乾性のアクリル絵具を使うようになる。1961年、国際展への出展がきっかけでアレシンスキーはニューヨークに長期滞在するが、このとき、パリで親しくなっていた中国人画家のティンにアクリル絵具の使い方を学び、書道の流れるような筆さばきを実践することができた。このとき、ティンのアトリエで紙にアクリル絵具を使って描いた《セントラルパーク》は彼の画業のターニングポイントに位置づけられる作品だ。この絵はニューヨークのセントラルパークを真上から見た絵で、強烈な緑やオレンジに彩られた中央の絵の部分をマンガのような小さな絵が囲む、アレシンスキー独特のスタイルが、このとき完成された。本展に出品される《至る所から》《肝心な森》もこのスタイルで、作品の主要部分と周辺部分では何かの物語を語っているかのように見えるが、整然とした脈絡があるわけではない。それは、観るものの深層心理に直接迫ってくるようで、シュルレアリスムの作品を彷彿とさせる。アレシンスキーの作品では、そこに描かれた未分化ともいえる表象こそが魅力で、彼が画面に仕掛けた重層構造が作品に奥行きをもたせている。

 独特なスタイルを確立したのちも、文字のある反故紙を使った作品やフロッタージュ技法(拓本)を取り入れた作品、円形の作品など、多様な作品を生み出してきたアレシンスキー。90歳近い今も、新たな絵画表現のため筆を走らせる。彼の熱い思いが吹き出した作品に接する者は、その筆の勢いに身を任さざるおえなくなるだろう。

 


ピエール・アレシンスキー(Pierre Alechinsky)[1927-]
ベルギー現代美術を代表する作家の一人。1948年結成の前衛美術集団コブラの活動を通じて戦後のアートシーンに躍り出た。内面から湧き上がる情熱を描き出したこのグループは短命に終わったが、彼はその精神を受け継いだ。また日本とも深い関わりを持ち、禅の画家・仙厓を師と仰ぎ、また前衛書道家・森田子龍と交流し、自由闊達な筆の動きに影響を受ける。さらにコミック本に刺激され、枠を設けて描く独特のスタイルを生み出した。著作も多く、文筆家としても活躍。90歳近い現在も常に新たな作品を発表しつづける実力派の画家。

 


寄稿者プロフィール
玉重佐知子(Sachiko Tamashige)

文化ジャーナリスト。早稲田大学卒。1988年よりロンドンで西洋美術史、映画文化人類学を学んだのち、NHKやBBCなどのドキュメンタリー番組制作に関わる一方、美術/建築/デザインについて『アエラ』『BT(美術手帖)』他に執筆。英国や日本の文化政策や、文化を起爆剤にした地域振興戦略を追う。共著に『Creative City―アート戦略EU•日本のクリエイティブシティ』(国際交流基金/鹿島出版会)

 


EXHIBITION INFORMATION

「おとろえぬ情熱、走る筆。ピエール・アレシンスキー展」

○10/19(水)~12/8(木)
10:00~19:00(入館は18:30まで)
毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)*10/24(月)のみ休館
会場:Bunkamuraザ・ミュージアム

○2017年1/28(土)~4/9(日)
会場:国立国際美術館
www.bunkamura.co.jp/museum/