nonesuchレーベル50周年を祝して、今聴かれるべきアルバムの再発第一弾が3月にリリース!

 先年、設立50周年を迎えたnonesuchレーベルの11タイトルが再発される。再発といっても“歴史的名盤”ではなく、同レーベルの比較的新しいタイトルが選ばれている。

 まずギター・デュオのアサド兄弟。そしてナージャ=サレルノ・ソネンバーグによるヴァイオリン名曲集。リチャード・グード(p)のロマン派とバッハ。更にガーシュウィンのピアノ・ロールによる自演集など。同レーベルの幅の広さを物語るラインナップである。

 ピアソラで一躍その名を高めたアサド兄弟だが、『バロック』アルバムを聴けば、彼らが(ピアソラ抜きでも?)ギター二重奏を刷新した音楽家であることが確認できる。アルバム『ブラジルの魂』には、ヴィラ=ロボスH.パスコアルE.ジスモンチなど、母国ブラジルの香りが横溢する小品がぎっしり収められている。兄弟ならではの一糸乱れぬアンサンブルはもちろんだが、表面的なテンポや音色の変化に頼らない、極めて集中力の高い演奏を聞かせる。民謡調を殊更に強調していないのに、ベースにあるノルデスチ(ブラジル東北部)のリズムが自然に湧き上がり、アルバム全体がまるで1つの組曲のように感じられる。いっぽう、ソネンバーグとの共演盤『GYPSY』では、逆にジプシー音楽特有のうねりを大らかに聴かせる。このフォークロアの扱いの対照は、なかなか興味深いところだ。

 ベートーヴェンのピアノ全曲集で評価を決定的なものとしたリチャード・グード。『シューマン:《フモレスケ》《幻想曲》』は楷書による名演。この作曲家の分裂気質や空想癖を過度に真に受けた演奏が流行だが、グードはそれとは大きく異なり、作品の構築性を前面に打ち出す。作品を部屋に例えるなら、壁の模様や額縁の絵ばかり眺めて、柱や梁を見過ごしていたことに気付かされるような演奏だ。『ブラームス:ピアノ小品集』では、一音目から入魂の直球を投げ込んでくる。ブラームス特有の厚く重ねられた一音一音の全てが、そこになくてはならない一音であったことを、これほど強く感じさせる演奏は他にない。これを王道と言わずしてなんと言おう。ときに浮かび上がるフモールもまた絶品だ。『バッハ:パルティータ全曲集』ではグードは、チェンバロ流のピリオド奏法を深追いせず、ピアノという楽器のメカニズムとソノリティの上に立つ、地に足の着いた演奏を聞かせる。ある時は音楽の強固な構築物に正面から分け入ってゆき、またある時は静かな湖面を進むように、と自在である。特に《パルティータ第3番》は、植物の綾なすアラベスクが目の前で生成されるのを見る思いがする。小手先の業に頼ることなく、鑿一本で多彩な線を彫り出してゆくグードの、音楽に対する目線が常に高く保たれたているのが印象に残る。

 ガーシュウィンの『パーフェクト・ピアノ・ロール』の2枚は、ピアノ・ロールによるガーシュウィンの演奏。奏者の打鍵が記録されたロール紙による一種の自動演奏であるから、ポンと自動ピアノにロールをセットすれば良いように思われがちだが、実はテンポの設定、演奏上のミスや補正に関する考証、ロール機構とピアノの調整など“演奏”にはさまざまな課題がある。今回はピアノ・ロールから緻密にMIDIデータを起こし、YAMAHA製の最高のコンサート用グランドピアノ+コントローラー(ディスクラヴィア)という贅沢な組合せによる再現演奏。響きそのものは、何らメカニカルなものではなく、あくまで自然なアコースティックな響きである。メカニカルなのは、むしろガーシュウィンの音楽そのものの方かもしれない。自作自演集のvol.1には、《ラプソディ・イン・ブルー》や《パリのアメリカ人》も収録。聴いているうちに、いつしかピアノ・ロールの存在など忘れて、次々に楽しいラグ・タイム曲に心踊らされることになる。ガーシュウィンの入門を丁重に断ったシェーンベルクに感謝!