新たな空間/設置音楽としての同期しない自由な音の探求

 『async』=非同期、と名付けられた坂本龍一の8年ぶりのオリジナルアルバムは、これまでの坂本のどのアルバムとも異なる作品となった。〈SN/M比 50%〉や〈あまりに好きすぎて、誰にも聴かせたくない〉といったプロモーションのための惹句は、リリース前の音源公開を行なわないこととあわせて、作品の期待度を煽動するためのものであっただろう。しかし、それはむしろ、この作品の、きわめて個人的で内省的ともいえる作風を隠すためのもののようにも思えてくる。たしかに、坂本は何よりも自身のために、もっと言えば、自身のためだけに、この作品を作ることに意識を集中させたように思える。近年の坂本の音楽活動にとどまらない旺盛な社会活動は現在までも多岐にわたり、また、数多くの映画音楽も手がけるなど多忙をきわめていることを考えると、それがなぜ8年という時間を待たされることになったのかが判るような気がする。

坂本龍一 『async』 commmons(2017)

 前作『out of noise』からより顕著になった、サウンド(S)、ノイズ(N)、といった非楽音の導入は、これまでの坂本の作品にも用いられてきたものでもありながら、よりそれらが前景化しながら結果ミュージック(M)として再編されたものであった。最終的には所謂Mとして組織化されるSやNといった要素は、坂本の初期作品から一貫した特徴であったとも言える(ゆえに、最初に聴いた時には、かつてのPhewとの共演や『B-2 Unit』や“HAPPY END”といった過去のアルバムや楽曲を思い出させたりもした)。それが、SとN、そしてMとが別々の要素として拮抗しながら、それぞれをきわだたせていたのが『out of noise』であり、それは坂本の音楽的志向の変化を表わすものでもあった。前後して、高谷史郎らとのインスタレーション作品の制作を経て、CDあるいは5.1chといった従来のリスニング・フォーマットからより自由な音響空間を求めて、坂本の音楽観が変化した。それは、映画音楽のほか坂本の音楽制作にも影響を与えているだろう。 インスタレーションでは作者の意図の元、自由に、自在に音を設計、配置することができる。それは新しいコンポジションの方法である。この作品は、まず坂本自身の好きな音を置いていく=配置していくことからアイデアがスタートし、まずそのための音の採集が行なわれたという。いろいろなものを叩き、擦り、さまざまな響きを採集し、気に入ったものをひとつひとつ置いていく。こうしたプロセスには、このアルバム制作が、坂本自身のためだけに、自身がすべての方向性を決定し、それを自身の指向性によって選ぶことができる、なによりも坂本の自身の音楽的探究によって駆動されたものだということが顕著に表れている。それゆえ、その作品はシリアスでありながら、しかし、あらゆる音から音楽を聴き出し、さまざまな音の響きに聴き入るよろこびに満ちている。それは坂本の自由の探求でもある創造の場となっていることがうかがえる。

 強い印象を残す、バッハのようにも、アルテミエフのようにも聴こえてくる楽曲は、架空の映画のためのサウンドトラックという当初のアイデアから生まれたものだ。ピアノのペダルの残響、ノイズと等しく響き合う、どこか歪んだ荘厳なメロディ、それらがなにか具体的ではない映像を喚起させる。一方、ピアノの打鍵音、金属的な響き、スポークン・ワーズ、といった非楽音要素をおもに構成された楽曲では、響きの中に音楽を聴き取るとも言うべき、繊細な微細な音たちへの指向を感じさせる。もとは5.1chで聴くことを想定して制作されているというように、音の空間性を強調した音構成は、この作品がサウンド・インスタレーションとして構想され、さらに空間的にも拡張可能であるということを想像させる。所謂アンビエントともちがう、新たな空間/設置音楽として体験されるべき作品だ。

 


EXHIBITION INFORMATION
Ryuichi Sakamoto|asnyc
坂本龍一|設置音楽展
2017年4月4日(火)~2017年5月28日(日)東京・神宮前 ワタリウム美術館
11:00~19:00(毎週水曜日は21:00まで延長)
休館日:月曜日
https://www.skmtcommmons.com/