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コンピューターと人間の共演――東京ザヴィヌルバッハ始動

――続く坪口昌恭Projectの『東京の宇宙人(M.T.Man Lives in Tokyo)』は、97年のリリース。

「このアルバムで〈ジョー・ザヴィヌルのフォロワーです〉とカミングアウトした感じですね。ムーグとかアープのアナログ・シンセとローズを使って、ウェザー・リポートの“Young And Fine”(78年『Mr. Gone』)もカヴァーしたり。東京ザヴィヌルバッハへのプロローグかもしれません」

坪口昌恭Project 『東京の宇宙人(M.T.Man Lives in Tokyo)』 APOLLO SOUNDS/VIVID SOUND(1997)

――東京ザヴィヌルバッハというバンド名は2001年の『Live in Tokyo』で使いはじめますね。

「菊地さんと2人で東京ザヴィヌルバッハを始めたのは99年なんです。98年の半ば、菊地さんが病気で入院して、SPANK HAPPYのメンバーも変わり、デートコース(DC/PRG)が始まって、といろいろなことが起きて。その時期に菊地さんとよく会って音楽を創ったり模索したりしていたんです。

その頃、すでにコンピューターを使ったテクノエスノ・ライヴをやりはじめていたんですけど、ちょうどスクエアプッシャーが人力でやったアルバム(98年『Music Is Rotted One Note』)が出て、衝撃を受けたんです。で、すぐスタジオに行って自分でドラムを叩いたりホルンを吹いて録音して。それを切り刻んでサンプラーに入れ、〈M〉というソフトで鳴らし、そのリズムの上でキーボードを弾いて菊地さんに聴かせたんですよ。そうしたら彼はかなりびっくりして、〈こんなの聴いたことないよ、やんないと駄目だよ。これはプーさん(菊地雅章)に匹敵するほどのものだ〉とか言ってね。菊地さんにその音源を貸していたら、彼はピットインの昼の部で、そのトラックの上でサックスを吹いてたらしい(笑)。

東京ザヴィヌルバッハのリズム隊を担う自動変奏シーケンスソフト

たまたまその頃、(東京ザヴィヌルバッハの)ライヴ会場にトランぺッターの五十嵐一生が来ていて。〈坪口くん、こんなことをやってるの? 僕が東京に出てきたのは、こういう音楽をやるためだったんだ〉とか言って(笑)、〈では〉ということでバンドに誘いました。(五十嵐が入って)こりゃウェザー・リポートにマイルスが入ったみたいだ、と思いましたね。それで、いろいろなところでのライヴ録音を編集して作ったのが『Live in Tokyo』です」

東京ザヴィヌルバッハ 『Live in Tokyo』 APOLLO SOUNDS(2001)

――そもそも〈M〉というソフトはどういうものなんですか?

「入力したMIDIデータをランダムに変化させられるものですね。91年に尚美学園大学の教員になって、コンピューター・ミュージックを教えることになったんですけど。実はコンピューターを持ってなかったので(笑)、Mac SE30を買って、真っ先に〈M〉を入れたんです。このソフトは高橋悠治さんとかカール・ストーンとか、現代音楽寄りの人たちが使っていたので、それをポップ・ミュージックに使えないか、と。彼らは声を入れて、それがランダムに出てくるような使い方をしていたんですが。あと、千野秀一さんの使い方も魅力的でしたね。

僕はランダムな音楽をやりたかったわけではないんだけど、実は生音よりテクノ的な、ぴしっと近接で鳴っている音が好きなんですよ。その上でジャジーなソロを弾く、というのはいまに至るまで続いています。入れた音を〈M〉が変奏して出してくれて、向こうはこっちに反応しないんだけど、こっちが反応して、それによって演奏が変わっていくというのをやり始めたわけです」

――『Live in Tokyo』を聴いていると、五十嵐さんはマイルス(・デイヴィス)的、菊地さんは(ウェイン・)ショーター的で……。

「僕はというと、ザヴィヌル的ではないですよね。ハービー・ハンコックのほうが近いかな? 僕はライヴでやれることにこだわっていて、それはひとつの強みなんだけど、一方で〈ライヴが存在しない音楽〉の価値もあると思います。のちにサントラをやったとき、そのことを痛感しました」

――ジャズ・ミュージシャンはどうしてもライヴということを払拭できない、というか。

「それはありますね」

菊地在籍時の東京ザヴィヌルバッハのライヴ映像

――それにしても菊地さんがこれだけサックスを吹きまくっているバンドも他にないのでは? 菊地さんのリーダー・アルバムだと、プロデューサーという立場もあってこんなに吹いていませんよね。

「僕はザヴィヌルバッハではリズムのおもしろさと菊地さんのおもしろさをフィーチャーしていたので、リーダーのわりにサポートしている、という感じに聴こえたりもしますよね」

――坪口さんはポリリズムのおもしろさをずっと追究している、という感じもします。アフリカ音楽を聴くようになったのは?

「アフリカ音楽については、外山明さんや水谷浩章さんに教えてもらったところがあります。でもそれ以前に、大学時代にパット・メセニー・グループやウェザー・リポートなんかを聴いて、リズムのおもしろさを感じていたからですね。自分はピアノだけど、ドラムやベースに耳が行くタイプなんです。アフリカ音楽が好きなのは、クラシックの西洋的権威に反抗する気持ちもあるんでしょうね」