OLD DAYS, GOOD TIMES I REMEMBER...
US西海岸を中心に、自由な折衷感覚を持つバンドで賑わっていた時代
そこまで頑固な見立てをするリスナーも昨今は少ないはずだし、欧米の白人バンドが無造作に〈ロック〉のフォルダに放り込まれた時代だったのだろうから仕方はないのだが、そもそも厄介なのは〈ブラス・ロック〉という言葉自体かもしれない。その形容から例えばチェイス“Get It On”の熱気を連想するのは容易ながら、シカゴの持ち味はそれだけじゃなかった。同じジェイムズ・ウィリアム・ガルシオが送り出したバッキンガムスやブラッド・スウェット&ティアーズのような先達と比べても、シカゴの音楽性がもう少しマイルドなミクスチャー感覚に富んでいたことはその後の足取りを追わずともよくわかる。
チェイスの71年作『Chase』収録曲 “Get It On”
むしろLAを拠点としたシカゴは、モーウェスト勢やベイエリア発祥のタワー・オブ・パワーなど、スライ・ストーン以降の西海岸シーンに顕著な折衷マナーにも感化されていたはずだ。少し前に編纂された『ブロウ・アップ! ブラス・ロックのすべて』という好コンピではBS&Tやサンズ・オブ・チャンプリンにスライやタワー・オブ・パワー、ブレッカー兄弟の楽曲も曖昧に隣り合っているが、そういった視点から解釈したほうが、シカゴの(非)ロック性も見えやすくなってくるのではないか。
なので、そうしたブラス~ホーンズを若々しいエナジーや前進性の表れとするなら、その機能を緩やかに洗練させていく過程がシカゴと通底していたように思えるのは、EW&Fやクール&ザ・ギャングといったファンク勢だ。前者は言わずもがな、デオダートとの邂逅で79年に息を吹き返した後者も、ジェイムズ“JT”テイラーの歌唱を軸にマイルド化を極めていくことになる。また、骨太な西海岸ロックの代表格だったドゥービー・ブラザーズがよりソウル寄りのAOR路線を決定付けたのも78年の『Minute By Minute』から。そこにルーファスの“Street Player”(78年:ダニー・セラフィンが共作)をすぐ取り上げたシカゴの姿を並べれば、ディスコ期を乗り越えた十年選手たちが、己の嗜好と時流を折り合わせて80年代の到来に臨んだ動きも見えてくるはずだ。
ルーファスの78年作『Street Player』収録曲 “Street Player”
その柔軟さや変容への希求は当時の〈硬派〉なリスナーにこそ日和ったものと受け取られたようだが、そんなマイルド・ファンキーな彼らこそ、元祖ミクスチャー・バンドとして再認識されるべきだと思う。
▼関連作品
左から、チェイスの71年作『Chase』(Epic)、バッキンガムスの67年作『Time & Charges』(Columbia)、タワー・オブ・パワーの73年作『Tower Of Power』(Warner Bros.)、コンピ『ブロウ・アップ! ブラス・ロックのすべて』(ソニー)、クール&ザ・ギャングの79年作『Ladies' Night』(De-Lite/Mercury)、ドゥービー・ブラザーズの78年作『Minute By Minute』(Warner Bros.)
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