前回、台南最古のレコード屋と言われている〈惟因唱碟(Wien disk Shop)〉について書いたが、今回は台南で〈最新〉のレコード屋、〈亂小唱碟(ランシャオ・チャンディエ)〉について書きたいと思う。店主のブラッキー(Blacky)については前回の記事の最後のほうで触れているが、再度ご紹介したい。

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僕が初めてブラッキーに会ったのはかれこれ一年半近くも前の事で、その頃の彼はまだ自身の店を持っておらず、副業としてレコード・バイヤーをやっていたようだ。LOLA(連載第2回を参照)の常連客でもあり、その時々で仕入れた掘り出し物を携え営業ついでに一杯ひっかける、といったパターンでお馴染みだ。

ブラッキーは英語があまり得意ではないようで、日本語もまったく通じないので、基本的には通訳に間に入ってもらわないと意思疎通が図れない。なので、カウンター席で二人っきりで隣り合わせになった時などは、いくぶんぎこちない空気が流れる。LOLAに寄贈すべく日本から持ってきたロックの名盤ガイドブックなどを手渡し、なんらかのアイスブレイキングを試みるが、結局のところ、僕の拙い中国語では会話のキャッチボールにならないのだ。ブラッキーがその本のとあるページを指差しながら、〈このアルバムは聴いた事あるか?〉といった質問を投げかけてきても、〈非常好(フェイチャンハオ=素晴らしい)〉や〈不錯(ブーツオ=悪くない)〉といった、顧客満足度アンケート並のヴォキャブラリーしか出てこない体たらくだ。

このように、言語という大きな壁が立ちはだかっていたため、僕とブラッキーはお互いについて知る機会があまりなく、顔見知り程度の関係性に留まったままだった。そんなブラッキーが〈亂小唱碟〉をオープンしたのは去年の7月。自身のレコード屋を持つことが長年の夢だったようで、ついに一国一城の主となった訳だ。

前回の記事でも登場した、台南の事情通のビギーからその話を聞いた僕は、〈Wien disk Shop〉と新旧の対比にもなりおもしろいかもしれないと思い、ブラッキーへのインタヴューを決めた。もちろん通訳として同行するのはビギーだ(毎回、本当に助かっている……)。それに、自身の店や、音楽について語ってもらう事で、〈人間〉ブラッキーを知るいい機会だとも思った。

 

オープン当初〈亂小唱碟〉は國華街一段のほぼ末端に位置していて、ダウンタウンからは少し離れていた為、僕のような旅行者からしてみるとアクセスはあまり良くなかったのだが、今年7月からLOLAと同じ信義街に移転し気軽に遊びに行けるようになった。

ただし、ブラッキーの店も〈Wien disk Shop〉同様、月曜日と金曜日から週末にかけての四日間、限られた時間しか開いていないので、店を訪れたいという方は記事末尾の〈SHOP INFORMATION〉で営業時間をよくご確認頂きたい。また、店の看板も一切なく、これといった目印もないため、一見さんはドアを開けて確かめてみるしかない。これはあまり顧客フレンドリーとは言えないのかもしれないが、元々ブラッキーは通販に力を入れており、実店舗は人との社交の場と捉えているようで、集客にはそこまで力を入れていないようだ。

しかし、だからといって内装に手抜かりはなく、一度店内へと踏み込めば、そこは紛れもなくレコード屋なのだ。〈Wien disk Shop〉に比べると品数も少なく、ポスターやオブジェといった装飾品も控えめで、内観は大変質素なのだが、厳選された品々からは店主の強い拘りと知識の深さが窺えるし、〈売れ線には一切興味がない〉とでも言わんばかりのマニアックぶりに感服した。

取り扱うジャンルはサイケデリック・ロックからプログレッシヴ・ロック、フォーク、ワールド・ミュージック、ジャズ、ノイズ、エクスペリメンタル、ブリティッシュ・トラッドなど幅広い。日本の音楽も非常に多く、フリージャズからJ-Popまで多彩なセレクションで、特に60s~70sのフォークやロックに関していうと、日本人の僕でも知らなかったような作品が多数あり、専門性の高さに驚かされる。

しかし、特筆すべきは台湾音楽のセレクトの妙で、戒厳令が敷かれていた頃のフォークやロック(蒋介石率いる国民党政府によって言論が厳しく統制されていた時代で、表現活動は常に危険と隣り合わせだった)、87年の法令解除後から90年代初頭にかけて隆盛を極めた台湾ニュー・ミュージック・ムーヴメントの名盤、南管や京劇の劇伴といったトラディショナル、台湾産のサウンドトラック、原住民音楽など他のレコード屋ではなかなかお目にかかれないような珍盤を豊富に取り揃えている。

日本のインディーズ系アーティストのコーナーも。最近はカネコアヤノと柴田聡子に注目しているようで、ブラッキーは〈彼女たちは特別な声を持っている〉と語っていた
 

以下のブラッキーへのインタヴューはどちらかというとカジュアルなもので、ビギーら台南の友人たちとお店に何度も遊びに行きがてら行った。店舗のプロモーションにはそこまで力を入れていないのにも関わらず、常に来客があり〈ポツリポツリとではあるものの〉、台南の熱心なレコード・コレクターたちの間では密かな話題を呼んでいるようだった。ブラッキーは客に対して基本的に無干渉の姿勢を貫いているようだが、いざ商品について質問を受ければ懇切丁寧に解説してくれる。その絶妙な距離感も居心地の良さを生み出している大きな要因であろう。

トピックは音楽にとどまらず、台湾の歴史や文化、大衆芸能、ブラッキーの生い立ちや経歴にまで及び、当連載に相応しいDEEPな内容になったと思う。いかなる質問に対しても、真摯に受け答えをしてくれたブラッキーに改めて感謝したい。

 

いつもの定位置で黙々とパソコン作業に勤しむブラッキー
 

――ブラッキーは台湾の音楽に関しても相当なエキスパートだよね。ポップスから伝統音楽まであらゆるジャンルを包括的に理解している。店舗でも積極的にフィーチャーしているし。台湾の音楽への理解を促進したいという意思はあるの?

「伝統音楽や民族音楽を積極的にプッシュする人が少ないので、衰退しないか危惧している。なので、自分ができる限りの事をしたいと思っているんだ。台湾の文化庁はそういった音楽に対して常に投資をしているけど、大多数の人は残念ながらあまり関心を持っていない。こういった音楽はどちらかというとより一時的で、ビジネスライクなものとして扱われがちなんだ。予算は限られているし、リリースされる数も多くはないし、売り切ったらそれっきりなんだ。台湾ではリイシューがあまりされないという問題もあって、大切なのは継続的に活動をサポートする事。なので、僕はどちらかというと長期的な視点で文化をサポートし、育てていくべきだと考えているよ」

――ブラッキーのこれまでの生い立ちやレコード屋を始めるまでの経緯についても教えてもらえる?

「幼少期から中学生くらいまではただのゲーマーだったよ。音楽に目覚めたのは中学も終わりに差し掛かっていた頃だ。最初はヒップホップを聴いていて、ドクター・ドレーとかスヌープ・ドッグのようなウェストコーストのものが好きだったんだ。台湾のヒップホップだと張睿銓(チャン・ジュイチュアン)なんかが好きだった。その後はリンキン・パークとかガンズ・アンド・ローゼズとか、ロックも聴きはじめたよ。そこから今度は台湾のインディー系のロック・バンドにも興味を持ちはじめたんだ」

張睿銓(チャン・ジュイチュアン)の楽曲“無聲”。台湾では著名なラッパー/プロデューサーで、台湾固有の方言やミン南語を用いた歌詞、クロスオーヴァーな音楽性が評価されているのだそう
 

――高校入学以降はどんな活動をしていたの?

「自分で音楽を演奏しようとしたけど、才能がないことに気づいたんだ。だからコレクターに専念することにした。高校時代はクラスメートに教わってDJもやっていたよ。けど、そんなに興味は湧かなかったかな。大学では英語学科だったけど、使う機会もなかったから、勉強したことはほとんど忘れちゃったよ」

――レコードのディーラーを始めたのはいつなの?

「6、7年前からだけど、自分があまり好きではない商品もたくさん売っていたし、ネット通販のみだったから、いまとはまったく違う。レコード屋を始めたのは、音楽やレコードが好きな人たちと交流の場を設けたいと思ったからだよ。いまは自分が好きな音楽にフォーカスできている」

――いつからレコードを買いはじめたの? あと、最近はヴァイナルが復権を果たしているけど、それは店舗でも感じる?

「中学時代のクラスメートがレコードを買い集めていたから、その影響で買いはじめたんだ。正直、僕自身はあまりヴァイナル・ブームの恩恵を受けているという実感はないかな……。買うとしても年配の人が多いし、少なくとも台南で若い人がレコードを買っている感じはあまりしない。一時的には興味を持つのかもしれないけど、長続きはしないんじゃないかな」

――音楽への理解を促進する、という目的であれば、必ずしもレコード屋に限定する必要はないのかと思うんだけど、例えば定期的にDJやライヴ等のイヴェントをオーガナイズするとか、知識を生かしてポッドキャストを始めるとか、レーベルをやるとか、ビジネスの裾野を広げようと考えた事はある?

「あるよ。けど、僕は何よりレコードに対しての愛着をもっていまのお店を始めたわけで、それら(レコード屋以外の活動)はいずれもレコード・カルチャーを保護することには直接的に効果はないんじゃないかと思ったんだ」

――音楽業界に就職することは考えなかったの?

「考えたけど、狭き門だし、うまくいかなかったよ」

――個人的にはどんな音楽が好みなの?

「特定の好みというのは本当にないんだ。どんなジャンルにも興味があるし、その時のフィーリングがすべてだよ」

――情報はどこで仕入れているの? 例えばいま店内では日本のフィッシュマンズが流れているけど、どこで知るの?

「いろいろあるよ。ネットははもちろんのこと、雑誌、ガイドブックもかなり参考にしている」

ブラッキーがバイブルの如く読み込んでいるという台湾ポピュラー・ミュージックのディスクガイド、「台灣流行音樂200最佳專輯 1975-2005 / 時報文化出版企業股份」。100人以上もの評論家の投票数に従って重要度がランク付けされており、解説文も詳しく、良書なのだそう
 

――邦楽や洋楽は歌詞を理解するのが難しいと思うんだけど、そこは気にならない?

「歌詞よりは音楽性自体を楽しんでいるのであまり気にならないよ。けど、ネットでどんなことを歌っているのか調べることはある」

――台湾の音楽だとどういったものに注目しているの?

「60年代〜90年代初頭にかけての台湾音楽をよく聴いている。当時は予算も潤沢だったし、才能溢れるミュージシャンが多かったからね。

少し話が逸れるけど、70年代から80年代にかけての古き良き時代の台湾にはレストランとステージ・エンターテインメントを掛け合わせた場所が各都市にあって、当時はそういうものがショービズの主流だったんだけど、そこでは音楽に留まらずコメディーやドラマなどが一体化した総合エンターテインメントが楽しめたんだ。僕が思うに、こういった場所が現在の台湾のエンターテインメント・ビジネスに与えた影響は計り知れない。90年代からTVが取って代わった事で、残念ながらこういった習慣は衰退してしまったんだけど、ここから出てきた歌手やコメディアン、俳優といった芸能人は皆TVでも活躍していたんだ。

例えば、台湾には豬哥亮(ジューガーリャン)という大物コメディアンがいて、日本でいうと志村けんに匹敵するほどのビッグネームなんだけど、彼もそういったステージ・エンターテインメントから頭角を現した人なんだ。彼のネタは卑猥なものも多くて、決して上品とは言えないんだけど、とてもおもしろいよ。

パフォーマンスをする豬哥亮(ジューガーリャン)
 

あとは台湾の原住民音楽も好きだよ。原住民音楽に関していうと、最近のほうがむしろいいんじゃないかな。何故なら昔のものは中国語で歌われているものが多いんだ。妙に現代風にアレンジされていたりね。だけど最近のものは原住民固有の言語で歌われているし、よりオーセンティックだと思う」

台湾原住民の部族・パイワン族出身のシンガー、林廣財の楽曲“珍重”。ブラッキーがCDをプレゼントしてくれた。原住民の人々は声帯からして一般的なアジア人と異なるのか、僕はソウルやゴスペル、ブルースといった黒人音楽を聴いているような気持ちになることがある
 

――ブラッキーにとって〈Wien disk Shop〉の許さんはどんな存在?

「彼は本当に特別だし、ユニークだから、大きなインスピレーションを受けているよ。彼は音楽への純粋な愛が動機付けになっているからね。ビジネスを優先しないんだ。それに豊富な知識に基づいて、客が納得いくまで解説をしてくれるし、推薦してくれる。そんな人はなかなかいないよ」

――ブラッキーが売っているものは許さんとは大分違うけど、彼とは別の事をしようという意識はあるの?

「基本的な姿勢は彼と同じだよ。彼のような博識になりたいと僕も思う」

――首都・台北だと人口も多いし、経済規模も大きいので商機には恵まれていると思うけど、台北でもレコード屋をやりたいと思う?

「マーケットが大きいのは確かだし、売上も3倍近く見込めると思うけど、テナント料の高さを考えると利益率が高いとはあまり思えない。それに競合も多いからね」

――台南なら競合は許さんくらいだもんね。許さんはライバルとしても意識している(笑)?

「それはないよ。実のところ、売っているものはかなり違うんだ。被っているのはECMのコーナーくらいじゃないかな」

 

インタヴュー後、ブラッキーは思い出したかのように、以前に許さんが出演したというドキュメンタリー映像をYouTubeで観せてくれた。〈いまより少し若いよね〉と嬉しそうに話すブラッキーからは、許さんへの敬意の深さが感じられた。新世代のレコード屋オーナー代表として、ある種権威でもある許さんに対して一言物申すことはないものかと最後にあえて意地悪な質問を投げかけてみたがネガティヴな意見は一つとして出てこなかった。許さんは許さんでこんな時代にあえてレコード屋を始めたブラッキーの気概を高く買っているようで、彼らは互いにニッチな商売を営んでいるという意識もあるので、ある種の連帯感もあるのだろう。今後も良好な師弟関係を維持しつつ、年長者の叡智と若手のフレッシュな視点を掛け合わせる事で台南のレコード・ビジネスをいま以上に盛り上げていってもらいたいと思った。

〈Wien disk Shop〉許さんのドキュメンタリー
 

ブラッキーの熱心な探究心と興味関心の広さには常々感心させられているが、インタヴューはとりわけ母国台湾の音楽への愛がひしひしと感じられたものだった。LOLAのジンジンが〈台湾南部ではブラッキーの店が一番だと思う〉と太鼓判を押すのも理解できる。

〈Wien disk Shop〉はいまでも間違いなく台南を代表するレコード屋だし、業界のパイオニアとしてもたらしたレガシーは計り知れない。そうした古き良きものを大事にすると共に、これはいかなる分野についても言える事であろうが、ブラッキーのようなリスクを負ってでも文化に貢献しようという若手を積極的に応援しサポートしていくべきだと思った。ブラッキーの店が今後もますます繁盛し、ゆくゆくは〈Wien disk Shop〉に勝らずとも劣らずの、存在感を発揮してくれることを切に願っている。

最後に、ブラッキーにオススメの台湾音楽をいくつか挙げてもらったのでチェックしてほしい。

〈これもスゲーんだ〉とブラッキーが取り出してきた芸能山城組のCD
 
ブラッキー、ポケモンテラリウムと一緒にパシャリ! 意図は不明……
 

 

~ブラッキーいちおし!台湾音楽~

陳明章『花漾 Ripples of Desire』

台湾の音楽界では巨匠とみなされている作曲家/シンガー・ソングライター/プロデューサー陳明章(チェン・ミンチャン)が、同名の台湾映画(2012年、周美鈴監督作)の為に書き下ろしたOST。ブラッキーはこの作品には特別な思い入れがあるようで、〈プログレッシヴ・フォーク〉とも形容していた。台湾人の歌手/女優である、萬芳(ワン・ファン)による独唱や、ギターや胡弓といった楽器による独奏箇所も多く、作品全体を通して美しい静寂が漂っている。時折、現れる打楽器が適度な緊張感を与えているのもいい。映画を観たことがなくても、そのオリエンタルでシネマティックな世界観に必ずや魅了されるはずだ。

『花漾 Ripples of Desire』表題曲

 

VA『台灣有聲資料庫全集』

台湾の先駆的インディー・レーベル、水晶唱片(Crystal Records)の監修による台湾の伝統音楽集。民族音楽学や人類学など各分野の専門家も参加しており、文化的価値は非常に高いのだそう。台湾ポピュラー・ミュージック史において、水晶唱片が果たした役割は非常に大きく、前述の陳明章や、LOLAの回でご紹介したバンド・1976など、エポックメイクなミュージシャンを数多く輩出した(残念ながら視聴可能なリンクは見当たらなかった)。

 

VA『台灣的囝仔歌』

台湾の児童音楽集。全3シリーズ。これらの楽曲の起源は300年ほど前にまで遡る事ができ、編曲は台湾音楽の大家、李泰祥(リー・タイシャン)が手がけている。歌唱は民族音楽研究者、簡上仁(カン・ションジン)。こちらも、残念ながら試聴リンクなし。

関連動画:李泰祥の85年作『美麗的哀愁』

 


SHOP INFORMATION

亂小唱碟
台南市中西區信義街55號 ※電話なし
開店:月、金〜日 17:30~21:30
★オフィシャルはこちら

 


EVENT INFORMATION

世木トシユキが台南を語り尽くす!
台南についての座談会を行います。
講演会やプレゼンテーションといったフォーマルなものではなく、台湾の音楽を流したり、現地で撮った台南の写真を眺めたりといったユルいイヴェントです。
台南(もしくは台湾)に関する質問にはできる限り直接お答えいたします。どうぞお気軽にお越しください!
9月10日(火)19:00スタート
場所:サロンほし(support By 浅草橋天才算数塾)
台東区浅草橋2-5-8 ※北斗印刷の前

 


~今回のおすすめ台湾ミュージック~

deca joins “海浪”

台北を拠点とするオルタナティヴ・ロック・バンド。ヴォーカリストは台南出身。タイト且つグルーヴィーなリズムセクションと、浮遊感漂うギターが不思議なコントラストを生み出しており、アレンジの随所からはジャズやフュージョンの影響が感じられ、成熟した大人の音楽という印象。ヴォーカルには透明感があり、センチメンタルなムードをより一層引き立てている。台湾人の友人が言うには、歌詞も非常にポエティックで素敵なのだそう。