マッコイ・タイナーに思いを馳せて
マッコイ・タイナーを知ったのは大学生の頃、彼が演奏した“Satin Doll”(63年)の譜面を見つけて、数あるジャズ・ピアニストの一人くらいの意識で練習したことがあるだけで、まだ特別な思いはなかった。のちに後期〈ジョン・コルトレーン・カルテット〉在籍時の映像を見ると、他のピアニストにはない重厚でたたみかける演奏に圧倒されたが、なんだかハーモニー感に乏しく、ペダルを多用するせいか粗っぽい印象を持ってしまい、真似しようと思う対象ではなかった。
それと、1989年に出版されたキース・ジャレットのインタヴュー本をバイブルのように読みふけっていた中に、マッコイを批判するかのように4度和音のことを良く言わない節があった。マイルス・デイヴィスのネガティブなコメントを読んだこともある。ジャズ○○信者あるあるな話で言葉を鵜呑みにするのは良くないし、マッコイにとっては実に風評被害な話だが、ご多分に漏れず筆者も聞きかじっただけで食わず嫌いですませていたのだ。けれど、アーティストのある印象だけを切り取ってその人の全てだと思い込むのは実に良くないということをこれから綴りたい。
勝手な思い込みで食わず嫌いになってしまうのはもったいない
マッコイの1960年代前半の演奏を聴くと基本に忠実であることに驚く。先ほどの『Night Of Ballads & Blues』にしてもコルトレーンの『Ballad』にしても、ペダル最小限で単音を生かしたホーンライクな演奏をし、バリー・ハリス氏も提唱する6thコードやディミニッシュ(減三和音)を使った音の動かし方を習得・実践している。まあ当たり前失礼千万な話だ。あの時代にニューヨークの第一線で活躍し注目を浴びていた人。そんな中にも特有の〈ペンタトニック・スケール(五音音階)ずらし〉アプローチが見え隠れしているのが興味深いのだが。
それが60年代後期、コルトレーンの『A Love Supreme』(65年)ソロの『The Real McCoy』(67年)頃からのスタイルを見ると、〈ペンタトニックずらしテクニック〉が際立ってゆく。II-V-Iといった頻繁に出てくるコード進行上でも、構成音にきっちり沿うのではなく、4つほどの音型を繰り返したり音域を変えることで、メカニカルな構造美が生じる。コード進行感をそぎ落としたコルトレーンやエルヴィン・ジョーンズの怒濤のサウンドの中で埋もれず音の存在感を出してゆく過程で編み出された奏法なのかもしれない。それゆえにマッコイのピアノは表面的には真似しやすい。例えば左手で下から〈ファ・シ・ミ(4度和音)〉と同時におさえ、右手で〈ミシレソミレシ〉と弾いてみよう。似たようなことを黒鍵だけでもやる。ほらもうそれっぽくなるでしょ? マッコイの場合これをあらゆるキーで習得した上で自由自在にずらしてアプローチするわけで、なかなかこれに徹する(つまり半音だとか間の音を出さないように)のは並大抵のことではないのだけれど。もちろん良く聞くとm7系のペンタトニックだけでなく7thやm6の構成音も使っていて……おっと楽理の話はこれくらいにしておくが、この奏法を生み出し確立したのがマッコイの大きな功績であることは間違いない。
このようなスタイルの変化について、画家ジャクソン・ポロックが初期~中期頃までは具象画や対象の見える絵を描いていたが、晩年になってドロッピングに徹するようになってから個性が確立したのと同様に感じる。
ニューヨークで聴いた初めての生演奏
彼の演奏を初めて生で拝見したのは2004年5月12日、ニューヨークの〈イリジウム〉にて。フロントにファラオ・サンダースとラヴィ・コルトレーンという対照的な二人を擁したクインテットであった。最初に演奏されたのが確か当時の新作『Land Of Giants』の一曲目“Serra Do Mar”だったと思うが、出だしの音からして独特のタッチ、ペダリングで、音が少し濁りながらもあまりにも美しいモーダルな泣きのハーモニーが表出。左手低音でクラスターを〈グギョンガギョン〉とやることも歌というかサウンドの重要なコクになっていて、とても紳士的で粋であるのだけれど、黒人の心にある叫びというか人生の〈痛み〉を感じる演奏にいきなり涙が出てきた。そうかピアノという楽器の魅力を引き出すというのはこういうことかと既成概念が崩れ落ちた瞬間。やはり生で観なきゃダメだ!
左手の強烈さは彼が左利きだったことで納得出来るわけだが“Serra Do Mar”のテーマ部分でも左手の動きが独特で、うっかりしていると弾き損じてしまう。ビバップ以降ホーンライクな演奏が良しとされ全ての楽器が同じ発音で演奏されているのがジャズなんだ、という見方もあるが、マッコイの生演奏を拝見してからは、ピアノは弦打楽器でありペダルで共鳴させたりのばしたり濁らしたりできる、その表現力を使わないでどうする!と教えてくれているようであった。そしてその時のベーシストがレゲエのフィールを醸し出していたのがやけにかっこよかった。そう、ジャズ・ミュージックにはもっとレゲエ・フィールがあるべきだ。
その日はセカンド・セット目を堪能し、それでもまだまだ聴き足りないと店内は約10分間拍手が続いたが、ついに彼らはアンコールには応えず終演。マッコイがさっさとNYタクシーで帰路につく姿が目に焼き付いている。
脈々と受け継がれる真のジャズ・スピリット
タクシー……マッコイがコルトレーンの元を離れてソロで活動し始めた頃、昼間の仕事を探してタクシーの運転手をやろうとしたそうだ。でもコルトレーンのバンド・メンバーだった頃の運転手が面接官で、あなたほどの人が!と採用できなかったそうだ。そんなこともあったが、逆境の中でも自分の音楽に妥協せず創造主に忠誠心を捧げた、というレン・ライオンズによるインタヴュー記事が心に残っている。
2回目に見たのは、2006年の同じく5月12日、ニューヨークの〈Blue Note〉にて。その時はタップダンサーのセビアン・グローバーを交えたトリオだったと思う。
2012年だったかニューヨークで自身のギグをおこなった後、興奮したままホテルに戻る気がしないので、グリニッジ・ヴィレッジにある〈Fat Cat〉というジャズ・クラブの深夜ジャム・セッションを覗いたら、そこではまさに後期コルトレーンのような怒濤の混沌ジャズが展開されていた。複数のホーン奏者が入れ替わり立ち替わりブロウしまくり、ピアニストも〈マッコイ・フレイバー〉に溢れていて、1曲30分は軽く続く。それが夜通しおこなわれているのだ。
そして丁度一年後の同じ時期、もしやと思い再び〈Fat Cat〉に深夜訪れたら、全く同じスタイルのセッションが延々とおこなわれていたのだ! コルトレーンがマッコイ、ジミー・ギャリソン、エルヴィンと構築した世界観が脈々と受け継がれている現実。これこそがスピリチュアル・ジャズなんかではなく真のジャズ・スピリットなんだと認識せずにはおれないエピソードである。
それにしてもマッコイ・タイナーの真の魅力を感じずにいたらなんともったいないことだったか。本当に生で拝見できて良かった。でももう観ることができないんだ。
マッコイ・タイナー(McCoy Tyner)
ジャズ・ピアニスト。1938年アメリカ・フィラデルフィア生まれ。1960年にジョン・コルトレーンのバンドに参加。コルトレーンとは65年まで共演、ブルーノートやインパルスよりリーダー作を発表し、66年に自身のグループを結成。『The Real McCoy』『Sahara』『Fly With The Wind』等、数々の名盤で世界的な評価を確立した。90年代以降は自己のトリオで精力的な活動を継続し、92年の『The Turning Point』で第35回グラミー賞を受賞。2020年3月6日にニュージャージー州の自宅にて死去。81歳没。
寄稿者プロフィール
坪口昌恭(Masayasu Tzboguchi)
ジャズとエレクトロニクスを共存させ、伝統と先鋭を股にかけ独自のキャラクターを放つピアニスト&シンセシスト、クリエイター。福井大学工学部応用物理学科卒業後87年に上京。Ortance、東京ザヴィヌルバッハ、Radio-Acoustique、TZBOLABO主宰。映画「Lily」、アニメ「ReLIFE」の劇中音楽を担当。サイドメンはDC/PRG、RM jazz legacy、原田知世など。尚美学園大学/大学院ジャズ専攻准教授。本誌の連載コラム〈Table of the elements〉を2012年12月より担当。