Page 3 / 3 1ページ目から読む
Photo by Arianna Tae Cimarosti

 別のある日、菊地成孔、水谷浩章、芳垣安洋といった馴染みのメンバーがプーさんとPIT INNで演るというので見に行ったら、水谷さんの他にもう一人ベーシストのクレジットがあったのだが、当日会場に行くと更にもう一人ベーシストが加わるとの事。ウッド・ベースが3人!にまず驚いたが、なんと当日飛び入りのベーシストが最も真っ当なラインを弾き、後の二人は高音でオブリガートを入れたりボディーをさすったりしている。こういった、一見不可解なお膳立てをするのも、〈惑わせ好き、イタズラ好き〉プーさんの成せる技だそうだ。

 そのライヴに向けてのリハーサルはかなりの時間おこなわれたそうだが、結局1曲だけに費やされ、ほとんどが手つかずの状態で本番を迎えてしまったらしい。インプロヴィゼイションの要素は強いが書き譜がしっかりあるライヴだったので、フロント陣はかなり事故ったライヴになってしまった。

 また、アンコールに一人で登場し、ピアノの上に散乱した膨大なスコアを片っ端からチェックし(音楽にまみれて生きている事を強調しているかのように)、観客が固唾を呑む中、弾き始めたのが“Round Midnight”。それはそれは息を呑むような怪演だったのだが、終演後ある人に〈ラスト素晴らしかったですよ〉と声をかけられるも、吐き捨てるように〈う~ん、あんなの全然ダメだ!〉と。

 上手く仕上げるかよりも、満身創痍でその日にしか起こり得ない生きた音楽を創出しようとしている姿が強烈であった。

 先ほど『SUSTO』に膨大な時間をかけてと書いたが、甥っ子との共演経験から推測できることがある。マチャーキのバンドに誘われた時のこと、リハーサルで人力テクノ的な曲にトライする際に、ディレイのかかり具合を確かめるためだけに何十分もループを繰り返したり、あるアイデアを思いつきそれを実現させるまでの時間感覚が予想を超えて長い。筆者などはせっかちなので「付点8分音符のディレイねOK! 本番ちゃんとやるから」てなもんだが、実感し陶酔してみないと気が済まないのだろう。またある日の野外ライヴでは、レゲエの曲を演奏しているにもかかわらず、目の前をヘリコプターが離着陸を繰り返している事に合わせて、マチャーキは終始ノイズを発生させていた(さすがにキレたが・笑)。甥が叔父と同人格なわけはないが、菊地家の血統をここに垣間見てしまうのだ。快楽主義で世捨て人、子供っぽいのに含蓄があり、可愛げがあって憎めない、といった魅力が多分プーさんにもあったんだと思う。

 最後に、マチャーキから伝え聞いたいくつかのエピソードを加えて、本稿を終えたいと思う。

●NYのスーパーで、プーさんが肉を買おうとして並んでいたら、店員が白人を先に通したので、猛烈な勢いで怒鳴ったら店内がシーンとなり、次々と〈I'm Sorry〉と言いながら人々が店を出て行った。
●東京芸術高校から芸大に行かなかったのは、入試当日、教室で焚火をして退場させられたから。プーさん曰く〈寒かったから〉。
●1st Setが終わって、どうも演奏に調子が出なかったらしくピアノの鍵盤を取り外させてドライヤーで乾燥させた。
●ゲイリー・ピーコックとの会話の中で、長七度が一番遠い音程であり興味深いと言っていた。
●和音は純正律で鳴らしたいけどメロディーは平均律がよくて困っちゃうとギル・エヴァンスに話したら〈それはしょうがないよ〉とかわされたとか。そのギルを心から敬愛していたそうで、お葬式の際には〈俺もうどうしたら良いんだよぅ〉と泣いていたそうだ。
●シンセはアナログ派。デジタルシンセはDX7のエレピを、深夜スタインウェイのグランドが弾けないときに代用する程度。
●譜面がキレイで達筆、絵も上手い、レイアウト・センスが素晴らしい。
●「理論は最初に少しやればいい、後は自分でセオリーを作っていくんだ」

 抽象と具象のバランスが絶妙な『黒いオルフェ~東京ソロ2012』、そして2020年11月に発表された、ゲイリー・ピーコック、富樫雅彦とのGreat 3によるトリオ・アルバムの完全版4枚組『コンプリート・セッションズ1994』も合わせてお楽しみ頂きたい。

 


菊地雅章  Masabumi Kikuchi【1939-2015】
愛称〈プーさん〉。18歳でプロとして活動開始し1960年代には美空ひばり、渡辺貞夫、日野皓正などと共演。68年にはソニー・ロリンズの日本ツアーに帯同し、同年バークリー音楽大学に留学。『Poo-Sun』(1970)では、マイルス・デイヴィスが推し進めていたエレクトリック・ジャズの手法を、日本でいち早く体現。70年代にはマル・ウォルドロン(1971)、ジョー・ヘンダーソン(1971)、エルビン・ジョーンズ(1972、1973)、ギル・エヴァンス(1972年7月、1977~1979年、1980年)、ジョニー・ハートマン(1972)、ソニー・ロリンズ(1974年ボストンでのコンサート)等と共演。また、72年公開の映画「ヘアピン・サーカス」(監督:西村潔)の音楽も担当。76年、日野皓正、アル・フォスター、スティーヴ・グロスマン、デイブ・リーブマンとアルバム『WISHES/KOCHI』を録音した。78年にはマイルス・デイヴィスともセッションを行ったが、その時の音源は今も公式には未発表となっている。この際にアル・フォスター、ジャック・ディジョネットと共演した。

 


寄稿者プロフィール
坪口昌恭 Masayasu Tzboguchi

ジャズとエレクトロニクスを共存させ、伝統と先鋭を股にかけ独自のキャラクターを放つピアニスト&シンセシスト、クリエイター。福井大学工学部卒業後87年に上京。〈Ortance〉〈東京ザヴィヌルバッハ〉〈Radio-Acoustique〉主宰。アニメ「ReLIFE」の劇中音楽を担当。〈DC/PRG〉〈akiko×坪口昌恭〉他で現在進行形のジャズやインプロヴィゼーションをアピール。尚美学園大学/大学院ジャズ専攻准教授。