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83年12月31日

変わらず純粋な存在だった浩一郎だけが取り残された

――渡邉さんとは、いつ頃から、さほど頻繁には会わなくなったのでしょうか?

「鬱病による睡眠薬依存で、浩一郎は入院し、皆でお見舞いに行きました。84年の2月のことです。同じ病院に草間彌生が入院してるんだ、という話を聞きました。まだこの年は、結構よく遊んではいたのですが、徐々に、皆が20代半ばを過ぎるにつれ、就職したり、他のバンドをやったり、私の場合はラクリモーザやきつねのよめいりの活動が中心になったりして、以前のような親密さが失われていったようです。

それでも、84年5月には、〈まだ〉を西村卓也氏と浩一郎と3人で再結成、私はベースを借りて弾きました。写真もあります。

この年の12月13日、やはりカーデューの命日に、浩一郎をはじめ数人が集まって、50年後の2034年になったら、皆どこで何をしているかわからないが、もう一度会おう、という約束をし、記念のライブをやりました。何となく、これからみんな別れ別れになっていく、という予感があったからかもしれません。

その後も折に触れてライブで顔を合わせることはあったはずですが、20代後半になって、以前ほどの無謀さ、計算の無さが失われたのは事実です。

しかし以前と変わらぬ純粋な存在だった浩一郎には、孤独が訪れ、それが彼を追い詰めた一面は否めないと思うのです。誰が悪いというのでもなく、彼だけが取り残されたことを、当時は我々もあまりよくわかっていませんでした」

※編集部注 ラクリモーザ(Lacrymosa)は斎藤千尋を中心とするプログレッシブロック、チェンバーロックバンドで、小山景子は85年からボーカリストとして参加。きつねのよめいりは小山によるバンドで、85年から活動

――そして死後、作品をリリースすることになった動きとは、どういうものだったのでしょうか?

「死ぬ前に、浩一郎は、複数の旧友に連絡をしていましたが、多くは真剣に対応できなかった。そのことが心残りとなって、近親の者達で作品集を編纂する運びとなったのです。誰よりも尽力したのは、第五列のGESO氏で、彼は我々の浩一郎に対する〈心残り〉のようなものを、引き受けて、膨大な作業をこなしてくれました」

渡邉浩一郎 『まとめてアバヨを云わせてもらうぜ』 SUPER FUJI(1991, 2013)

91年作『まとめてアバヨを云わせてもらうぜ』トレーラー

 

80年代、黄金時代を走り抜けた愛すべきアンダーグラウンドの王子

――最後に、渡邉浩一郎とは、何だったのでしょうか?

「そうですね、80年代の前半、いわゆる日本のニューウェイブと言えども、〈西洋の猿真似〉をなかなか越えられなかった時代に、我々は〈世界のどこにも前例のないこと〉を見つけようとして錯雑し、迷走し、やがて自滅・自然消滅したひとつの事象です。渡邉浩一郎は、そのムーブメントの象徴のようなものとして、結果として浮かび上がったのではないかと思います。

彼は、ドラムもバイオリンもやりましたが、ソロバイオリンではなく、オーケストラで言えば第二バイオリン。多くのメンバーの演奏に耳を傾け、その中での自分の役割を様々に見つけ出していくという、そんな性質が、多くの人に愛されました。また、ソロ向きではなかったために、孤独に陥ると弱い部分があったかもしれません。バイオリンらしい派手な音色ではなく、老猫の鳴き声のような、わざとかすれさせた浩一郎の音色が、私はとても好きでした。

渡邉浩一郎は、80年代前半の我々の〈黄金時代〉を走り抜けた、愛すべきアンダーグラウンドの王子であると思います」

 


RELEASE INFORMATION

渡邉浩一郎 『マルコはかなしい―渡邉浩一郎のアンチ・クライマックス音群』 SUPER FUJI(2021)

リリース日:2021年12月15日(水)
品番:FJSP448
仕様:2枚組CD
価格:3,465円(税込)

TRACKLIST
CD-1『まだのアンチ・クライマックス音群+4』
1. やんやややん
2. 北国の二人
3. ソドムの市
4. 構内アナウンス
5. 不明
6. 不明
7. 不明
8. 不明
9. 不明
10. IT’S A RAINY DAY, SUNSHlNE GIRL(涙のラーメン・カルテット高円寺支部)
11. ひまごまだ(涙のラーメン・カルテット高円寺支部)
12. やんやややん(ひまご)
13. ヒポポタマス(まさこ・ほった・マルコ)

CD-2『ガレージセッション 1977』
1. 無題
2. 無題
3. 無題
4. 無題
5. 無題
6. 無題
7. 無題
8. 無題
9. やんやややん
10. やんやややん
11. やんやややん
12. やんやややん
13. やんやややん
14. やん やややん

[M1-8:ガレージセッション 1977]
[M9-14:やんやややんのいろいろ 1980-81]

 


PROFILE: 渡邉浩一郎
1959年、東京生まれ。76年、京都に単身転居、高校入学当初は8ミリ映画やスライド作りなど映像に興味を持つが、次第にジャーマンロックや現代音楽など実験的な音楽に傾倒していく。中学時代から始めたバイオリンや子供の頃から好きだった機械いじりが高じて自作したシンセサイザーで、78年頃から即興演奏や自宅録音を始め、また、〈まだ〉〈オリジナル・ウルトラ・ビデ〉などのバンドに加わる。82年、東京に戻って以後は、エレクトロニクスに加えドラムやユーフォニウムも演奏、多くのセッションやバンドに参加した。工藤冬里率いるマヘル・シャラル・ハシュ・バズは、その初期から参加し、最期に在籍したバンドでもある。90年8月、他界。